ささやかな忘備録

大体舞台、大体推しの現場

今までの観劇で思い出に残っている劇場リスト

舞台の感想をぼちぼち書いていく前に、何となく手始めに今までの観劇で特に思い出に残っている劇場でも書いていってみようかなと思う。五十音順です。

 

池袋サンシャイン劇場

 今の推しを初めて生で見て、好きになるきっかけとなった公演を見た会場なので思い出深い。推しのことはうっすら知っていて、誘われて観に行ったらたまたま歌を歌う公演で、生で見たら歌声と雰囲気のギャップに惹かれて好きになったんですね。

その時の推しが、幕が開いた瞬間からとんでもない姿だったのも印象を深めている一因だと思う。

 

あと別の舞台で行った時に運営がバグったのか、何故か頼んだ分全部2列目までのチケットしか来なくて震えたという意味でも印象深い。おかげで余り前方に出てくる役じゃなかった推しもよく見えた。

 

サンケイホールブリーゼ

 人生初・大楽に最前ドセンを経験した会場。

観に行ったの殺陣が多い作品だったので、迫力が凄くてかなり印象に残ってます。作品自体凄く好みで何度も観に行ったものだったので、そういう意味でも最後に近くで観られて凄く嬉しかった。

 

渋谷公会堂

 これ、劇場に含めるかすごく迷ったけど、元推しを初めて見た会場なので入れてみました。

 別の人目当てで行った超ドマイナー映画の試写会に元推しが登壇してて、それまで名前も知らなかったけど真面目で可愛い感じに惹かれて好きになって舞台観劇というものををするようになったので、そういう意味ではこちらの界隈に引きずり込まれるきっかけとなった公演だったり。笑

 

 ちなみにこの作品、まさかの上映中に良いシーンで映像が進んだり巻き戻ったりして挙げ句の果てに切れるという今まで経験したことのないトラブルに見舞われたり、制作側が揉めたらしくこの上映会後の映画館上映は中止になり、数年後に予告無く突然ネット配信されたというある意味伝説の作品でもある。

 あれ、本当に何だったんだろう……(色んな意味で)

 

全労済ホール

 忘れもしない、観劇史上一の大事件に遭遇した劇場。

最遊記歌劇伝』の観劇時に開演10分前位にブロマイドの交換も終えてよーし観るぞと席に向かうと何故か既に座っている人。え?と思ってその席の人に尋ねるも何と私と同じ席のチケットを持っていたのだった。

 取り敢えず係の人に言わなきゃと思っていたら近くに同じくオロオロしている女性がいたので話しかけてみたら、彼女も自分の席に既に人がいたとのこと。

 結果、なんと一列総ダブルブッキング。結局座っていた人たちは別席に案内されて(今思うと男性も多かったし関係者の人たちだったのかも)私達は正規の席に座ることが出来たけれども、最初は本当に観られないんじゃないかと凄く焦ったし困惑した。もう二度と経験したくない。

 その事件後、私とその時一緒に観に行った母の間ではこの劇場は魔の全労済ホールと呼ばれている。今の推しの出演作品がこの会場の時はとてもドキドキする。悪い意味で。

 

草月ホール

 初めて自分で「行きたい!」と舞台のチケットを取って観に行った作品の劇場なので印象深い。(小さい頃母に連れていってもらった舞台とかはあるんですけどね)

 ちなみに作品は『愛が殺せとささやいた』。今思うと観劇デビューがそれ!?という感じだけど、サスペンス好きだし、凄く面白かったので初めがそれで良かったなぁと思う。

 後にDVDがとんでもねえプレミア価格になっていてビビったりもした。

 

東急シアターオーブ

 割りと出来たばかりの頃に行ったので凄く綺麗で、ロビーから渋谷の街並みが見渡せるのが雰囲気があって凄く良かったのと、初東宝観劇だったので思い出に残ってる。

 観劇したのは『ロミオ&ジュリエット』の1度目の再演。キャスティングが良かったのもあって、まとまりがあって作品としても印象深いです。

 

中野ザ・ポケット

 何だか分からないけど凄く印象に残ってる劇場。単に中野が好きっていうのもあるかも……笑 

 観劇したのは確か『ユメオイビトの航海日誌』(初演の方)。群像劇が好きなので作品も凄く面白かったのを覚えてる。

 

日本青年館

 同じ作品で一番多く足を運んだ会場なので思い出深い。『スタミュミュ2』の時。

 ご縁あって1階の前から後ろまで入れたので色々な場所からステージを眺められてここからだとこうなのか~という比較が良くできて良い経験になった。

 

 他にも色々思い出のある劇場があるけど、特に印象深いのはこんな感じかな、と。

 すぐ推しが特定出来ちゃいそうなのは何となくちょっと…と思ったので作品名ぼかした所とかもあります。

 

 こうして並べてみると面白いですね。

 

時を超えた「ありがとう」を伝えたい-彩冷える「バージンスノーカラー Final Season」

1月12日

彩冷える「バージンスノーカラー Final Season」

に行って来ました。

 

気付けばAREA15thの限定復活から去年の感謝祭、この前の正月のAREAまで、気付けば復活のライブには全部足を運んでいたけれど、

その中でも12日の公演は一番良いライブだったと思う。

びっくりするくらい楽しくて、セトリも演出も凄く良かった。

 

始まりが君の声と約束なのは予想してなかった驚きも相まって、当時の映像をバックに演奏しているのを見ていたらまだ初めなのに凄くグッと来た。

後ろに映されている過去がより一層彼ら5人が「今」ここにいて、演奏しているんだってことを強調しているように感じるからかな、と思った。

 

その後も好きな曲とかちょっと意外な曲も沢山聞けた。

GAMEはびっくりしたし、星ヶ丘はギターの音は暖かいのにあおちゃんの歌は切なくて大好きだなって改めて思ったし、

マスカレードや蟻角はめちゃめちゃ踊った。

1秒も残さずずっと楽しかった。

 

あと、本編ラストのデジタルネバーランドやラストの七色で、メンバーみんな眩しい笑顔で、楽しそうに演奏していたのが凄く印象に残ってる。

こちらも思わず笑顔になったし、「ああ、良かった」と思った。

あの発表の前の頃も、4人がバンドを守ろうと始めてくれたあの頃も、勿論笑顔ではあったけど、今考えればギクシャクも空回りもしてたんだろうなと思うから。

 

MCでイン様があのふわふわの調子のまま

当時の本音を語ってくれた。

メンバーが多少当時のことに触れることは今までも聞いたことあったけど、こんなに包み隠さずに心境を聞いたのは初めてだった。

 

話していたのはこんなことだった。

最後のツアーのファイナル、Zeppでのライブが音楽人生一番空虚だったこと。今回みんな同じ楽屋で話して、5人でまたZeppのステージに立っていることが本当に奇跡みたいで嬉しいということ。

当時の話を聞くのは少し心苦しかった所も勿論あったけど、メンバーの口から「また出来て凄く楽しい」って聞けたのが嬉しかった。

 

夢人もケンゾも相変わらずのテンションだし笑、たけぴもイン様もたけぴとイン様だし、あおちゃんが言ってたように「何も変わってない、噛み合っていないようで噛み合っているような感じ」を見られて凄く嬉しかったりした。

勿論、ここ数年メンバー同士がイベントで話してるのを聞くことはあったし、険悪な感じでは無いのかな~と思うことはあったけど、5人がこんな調子で話してるのが夢みたいに思った。

個性が豊かなのとメンバーがバラバラなのは違うもんなぁと思う。

 

あおちゃんが、このライブは、沢山悲しませてしまったけど待っていてくれたみんなへの恩返しのようなものというようなことを言っていたことも印象的だった。

これまでの復活の時は取り敢えず集まって出来るかやってみる、みたいな雰囲気を感じたりもしたんだけど、今回のライブを見て話を聞いて、この人たちは空白の時間を取り戻そうと色んなことを考えようとしてくれてるんだなぁと思った。

 

私は当時田舎の中学生で、ライブに行くなんてそう出来なかったし、5人を生見られたのもイベントでだけで、

音源を聞き込み映像にかじりつきやっと高校生になって、お小遣い貯めてさあライブ行くぞ!って思った矢先にあの発表だったから、めちゃくちゃ悲しかったしもうめちゃくちゃ怒ったよそりゃ!!

4人のAYABIEは暫く通っててそれはそれで楽しかったし好きだったけど、途中で何か楽しくなくなって行かなくなっちゃったりもした。

どんだけ振り回すバンドなの?今さら何?っていう声だってあるとは思う。

 

でも、今の5人を見てると、

今楽しそうにライブしてくれてるなら良いや!って思えるくらい頼もしいしカッコいい。

 

またライブも決まっているし、

今度は悔しい思いをしないように、しっかり見守っていきたいと思う。

 

以前の記事で私はばんぎゃる上がりかけだけど~という話をしたけれども、

彼らがいる限りは上がれないだろうな~!笑

業が深い!!

 

 

また出会ってくれてありがとう。

 

 

(舞台の雑感をまた書きとめようと再び始めたブログなのに、一向に書かず突然ライブの感想なのは許してください笑 推しに偏った感想にならないように書きたいというのもあって舞台の話はじっくり書くと物凄く時間がかかるので…また今度…)

 

「歌い手」の音楽に触れたばんぎゃるが考えたこと

私の周りには様々なヴィジュアル系のバンドのファンの友人がいますが、

集まって話すと頻繁に

「最近自分たちより若いファンの子、少ないよね」「中高生のファン、あまり見掛けなくなったよね」

という話になります。

 

私は最近あまりライブに行かなくなった身ではありますが、それでも周りの話を聞いていても自分の体感でもそう感じます。

勿論若いファンが多いバンドというのは存在するし、全く居ないわけではないのですが

自分が中高生だった頃に比べると随分減ったなぁという気がしています。

 

若いファンが減っているということは必然的に新しくジャンルに流入してくるファンが減るということなので、長い間身を置いてきた側からすると悲しいことです。

 

流行ってないのかなぁ…悲しいね…

話は大体そういう結論で終わりました。

 

でも、実際どうしてなのか、その理由は良く分かっていませんでした。

そんな中、こんな記事を見掛けました。

「この調子だとバンド音楽はあと10年もしないうちに消滅する」

石左さんという方のコラムです。

 

やや極端な書き方をしている部分もあるかとは思うのですが、

内容の核心の部分を読んで、今まで疑問だったことがスッと解決したような気がしました。

 

このコラムのメインとなっている話は、

今までだったらヴィジュアル系を好きになっていたであろう少女たちが人気「歌い手」のファンへと流れてしまっている。

理由はバンドがインターネットと親和性が低いことにあるのではないか、ということでした。

 

それが全ての要因であるとは言い切れませんが、冒頭のような話を頻繁にしていた私は思わず「なるほど、そういうことだったのか」と呟いてしまいました。

 

ただ、理論としては飲み込めたのですが、

「歌い手」の文化が未知の領域である私には「そんなにかっさらわれる程凄いジャンルなのか」ということはイマイチピンと来ないという側面もありました。

 

そんなことを考えていた少し後、何とまあお誂え向きな、というタイミングで歌い手文化に触れる機会が出来ました。

推しが歌い手さんの曲が原作となる舞台へ出演することになったのです。

最初はどういうこっちゃという感じで飲み込めなかったのですが、どうやらその方が数人でやっているプロジェクトの曲がストーリー仕立てになっており、それを歌い手さんが実際に歌唱する音楽+演劇の形にアレンジした舞台らしいと。

どんな雰囲気なのか丸っきり想像出来ませんでしたが、演出家さんも好きな方だし、チケットを押さえて公演日を待つことにしました。

 

そして、先日千秋楽が終わりました。

何度も観劇しましたが、一言で言うと、予想以上にめちゃくちゃ面白くて勢いのある舞台でした。

推しは予想以上にダンスも殺陣も多くて、推しのキレのある動きが好きな私は思わず見惚れてしまったりとか、あまりないタイプの大人な役がカッコ良かったとか推しについての感想は挙げたらキリが無いのですが、

 

この記事ではそれは一先ず置いておいて、触れたいのは

「歌い手」さんの音楽のパワーに私が感じた衝撃です。

 

この舞台では、キャラクターの心情を表現する存在として、歌い手さんが原作の曲を歌うパートがありました。

私は正直原作をチェックせず挑んでしまったのですが(それはどうなんだという感じですが)

まず、曲のカッコ良さに驚いた。

少し怪しげでセクシーな雰囲気を醸し出していて尚且つロック、歌詞もちょっとセクシーな感じ。

若い子はハマるだろうなぁと単純に思いました。

私ももっと若い頃に出会っていたらきっと好きになっていたと思った。

そして、歌い手さん自身ビジュアルも凄く良く、尚且つ歌が上手い。

 

本当に単純に「これはそりゃ持ってかれるわ」と思いました。

少し気になって最近他の人気「歌い手」と呼ばれている方もちょっと見たり聞いたりしてみたのですが、ちょっと影があったり同じくセクシーだったり、勢いがあったりとやっぱり若い子がハマりそうな方々が多くいました。ヴィジュアル系に近い部分も感じました。

顔出しされてる方も結構いて、皆さんビジュアルも文句なしの方ばかり。

 

このレベルのものをインターネットで提示されて容易に触れることが出来る。そしてリアル(ライブ)でも楽しませてくれる。

初めからこの文化に触れてしまったら、インターネットに弱いバンド文化をあれこれ探しに向くことは中々無いだろうな……と正直、思ってしまいました。

 

音楽は勝ち負けではないし、

私はバンド側の人間ではないので口を出すことでは無いのかもしれません。

でも、そちらに多くの人が流れるということは衰退の一途を辿ることに繋がってしまうのは事実だと思います。

文化というのは世代交代を繰り返して繋がっていく側面があると思うのですが、若い世代が来なければ繋げることも出来なくなってしまう。

 

ヴィジュアル系の音楽は本当にカッコいい。

胸を張っておすすめしたいバンドも沢山あります。

自分が大好きな1つの音楽表現のかたちが衰退してしまうのは、やっぱり悲しい。

 

でも、だからといって、目につくようにむやみやたらにインターネットと親和性を高めていくのが生き残る道なのかと考えると、それも違う気がしてくる。

バンドは硬派であれ。リアルに、生に存在するのがバンドなのだ。それがカッコ良さの一部分だ。という考えも凄くよく分かるから、より難しい部分なんだと思います。

 

生であるカッコ良さとインターネット

音楽配信の部分などで、双方を上手く両立させようと頑張っているバンドさんも沢山いると思います。

 

これだ!という解決法を提示することなんて私には勿論到底出来ませんが、大好きなジャンルが、文化が、これから先も勢いを持って続いていくように何か打開策が出来れば…と願ってしまいます。

 

これからヴィジュアル系に、バンド音楽に光がありますように、と祈るばかりです。

これからー続「CLIE」について

前回の記事、本当に沢山の方に読んで頂いているようで恐縮です。

自分と同じ気持ちを抱いている方もいらっしゃるようで、私だけでは無かったのか…と少しホッとしています。

 

この件に関して、私自身も他の方の意見を沢山読みました。

似ていても異なる意見の方もいらっしゃって様々な見解に触れることが出来ましたし、問題点を明晰に書いて下さっている方もいらっしゃって、より問題意識を深く持ちましたし、

CLIE作品を愛していた人たちがCLIEに嫌悪を抱いていく、CLIE作品を観ない決断をしていく様子は凄く胸が痛いし、凄く悲しいです。

 

私は依然として新作には反対ですし、湯澤さんを同じ立場に据えることで起こりうることへの危惧や吉井さんへの不審感、CLIE全体としての動きが何ら無いことへの不審感も募る一方です。

 

ただ、CLIEの作品をこれから二度と観劇しない、という選択は現段階の私には出来ません。

 

前回も書いた通り、私の推しは現段階で出演が決まっている作品があります。

私も既に何枚もチケットを押さえています。

大好きな作品です。

 

作品や、それに関わる原作者さんや演出家さん、役者さんたちに罪は無いです。(そもそも決まった段階ではこんな騒ぎが起こるとは思っても無かった筈です)

友人を連れて観に行くことを告げたら推しはそれは頑張らないと!と言っていました。

魂を込めて役を演じる推しを「見ない」という選択は、やっぱり私には出来ない。

 

だから、それらの作品がこのまま上演される限りは観に行くかな、と思います。

(本当は別所に権利が移るのが一番良いのでしょうけど…急にとなると中々難しいでしょうかね…)

勿論件の作品には、例え推しが呼ばれても行く気はありませんが。

 

でもやはり少し後ろめたさはあります。

大好きな作品と推しを見る機会にこんな気持ちを抱かなければならなくしたこの件を恨みます。

前回も書きましたが非常にアンビバレンスな気持ちです。

 

CLIE側はこの件に関して黙りを決め込んでいるようですが、今後どうなるんでしょう。

早く平穏を返してほしいです。

 

追記

公演、中止になったようですね。

正直推しが関わらないで済むということでホッとしています。

 

ただ、こうして意見を提示してはいましたが、それによってほれ見ろ!公演中止にしてやったぞ!みたいな気持ちは全くありません。

純粋に作品のファンで公演を楽しみにしていた方だっていると思いますし…。

勿論中止になってほしいという思いはありましたが、もし推しが関わったら確実に本人が何も悪くなくても悪い噂が囁かれてしまうことがあると考えたのでそれを恐れていたからです。

 

そして何より一番腹立たしく、悲しかったのはこの件でCLIEの株がだだ下がりして、多くの人がCLIEを離れたこと、推しを観てもらう機会を奪われたことです。

これに関しては公演を中止にしたとしても一度落ちた信用は中々戻らないと思いますし、これからも引っ掛かる部分であり続けるかとは思います。

 

今後どうなるかは分かりませんが、推しに被害が及ばないことを祈りばかりです。

 

 

推しを観てもらう機会を沢山奪われたーCLIEとあの作品について

CLIEの完全新作がもうすぐ発表!

と聞いて「へー楽しみだなぁ」と思っていたのは少し前の私。

 

そして

作品の発表を聞いて思わず

「なんで?」と言ってしまいました。

 

私は作者と作品を割りと離して考えるタイプの人間ではありますが、

これに関してはそうはいきません。

 

性犯罪を犯した人間が

あまつさえ娼婦を題材とした作品を再びプロデュースする

なんて、このご時世にあり得てはならないことだと思います。

 

昔の作品のことは元々知っていましたし、

少し見たこともあって、それらは演技派の俳優陣と素敵な歌のある作品として面白いものであるとは思っています。

でも、いくら昔の作品が面白くても

何もなかったかのように同じ立場を与えて作品を任せようとしているCLIEに、吉井さんに、非常にガッカリしています。

 

吉井さんの言明が出されましたが、

何も根拠の無い「既に反省したと感じる」「再犯の可能性は無いと考える」という無責任な言葉に呆れて何も言えません。

 

私の推しは、CLIEの作品に沢山出演しています。今出演が決まっているものもあります。

いつも素敵な脚本や演出のスタッフさんや他のキャストさんと共に素敵な作品を作り上げて提示してくれています。所謂2.5次元の作品も、他社と色んな面で差別化してくれていてその雰囲気も凄く好きです。

大好きな作品も沢山あります。

大好きな作品を原作とした作品もあります。

推しに出会ったのもCLIEの作品の観劇が切っ掛けです。

 

だから、凄く悲しいし、凄く怖い。

推しが、あの作品に呼ばれたらどうしよう。

これは本当に怖い。早く他のスケジュール出てほしいとハラハラした気持ちでこれから過ごさなければならないのかと思うと苦しいです。

また、例えば推しが出演せずとも、結果として出演した演者の方には、その方がどんなに良いお芝居をしたとしても、彼自身に全く何も非がなかったとしても、きっと何かしらの悪評は囁かれると思います。

そんなこと、あって良いんでしょうか?

 

そして、ツイッターで検索をするとズラズラっと並ぶ「CLIEの作品はもう2度と観ません」という文面。

 

これは、私の推しを知らない人に、推しの演じる素敵な姿を観てもらえる沢山の機会を奪われたのと同じことだと思います。

本当に悔しくて仕方がないです。

 

推しの出演する大好きな作品を作っているCLIEと、犯罪を許容しているかに見えてしまう、糾弾されるCLIE

私の好きなCLIEと、嫌いなCLIE

完全にアンビバレンスです。

私はどうしていいのか気持ちの整理がつきません。

 

考え直してほしいです。

もっと事態を重く受け止めてほしいです。

会社の名前に深い傷をつけていることを自覚してほしいです。

 

舞台上での推しの輝く姿に惹かれる気持ちと、CLIEにお金を落としている嫌悪感

相反する気持ちを持ちながらこれから現場に行くことになると思うと

心が重いです。

 

追記

若干修正しました。

 

私は湯澤さんが社会復帰していくこと事態を否定するつもりはありません。

きちんと罪を償って生きていくべきだと思います。

 

作品自体のファンの方が作品を楽しみにしたい気持ちも否定するつもりもありません。

それは、人それぞれだし作った人間と作品を分けてお考えになる方もいらっしゃると思いますので。

 

でもこの形って違うんじゃない?と思うこと、この発表によって会社の株が急激に下がって推しに損害がいくように思えることに一番憤りを感じている訳です。

「好き」を作ってくれる人へ「好き」を伝えること

私は以前こんな記事を書いた。

 

愛だけでは生きていけないー「応援する」ということに関する意見 - ささやかな忘備録appleringo.hatenablog.com

端的に云えば、クリエイターや俳優に対するお金をかけない言葉だけ、口だけの応援を「応援」と呼ぶのか?「愛」があればそれでも良いのか?ということが少し話題だった時期に、私はそうは思わない。愛だけじゃ応援対象は生きていけないから、対価を払う必要があると思っている。ということを書いた記事だ。

 

この考えは勿論変わっていないし、

最近テレビ番組の影響でハンドメイド商品に対する値下げ要求や心無い声が増加したという話を目にしてこのことを思い出したりもしていた。

でも、最近、それだけじゃ駄目なんだな、と改めて考えさせられたのがある記事との出会いだった。

 

神がジャンル移動した話

大好きな同人作家さんが、別のジャンルに移動してしまう。元ジャンルの方が沢山の人に手に取ってもらえるが、声を掛けてくれる人は少ない。移動先の方が反応を沢山もらえて活力になる。

筆者さんはいつもその作家さんにお手紙を書いていて、移動前にお手紙が支えだった、ありがとうとお礼を言われたというお話だった。

 

この記事を読んで、

チケットなり創作物なりCDなりにお金を出すことは当たり前の大前提として、

加えて、自分の「好き」を作ってくれる人、届けてくれる人にはもっとコンスタントに「好き!」と伝えていくべきだなぁと思ったのである。

私も物を作る側や演奏をしていたことがあるけど、感想とかの声をもらった時、凄く嬉しかった記憶がある。それと全く同じなのだ。

 

記事の筆者さんとは若干状況が異なるけれども、私は主にある俳優さんのファンをしていて、舞台やイベントに行く度に前回の感想や気付いた好きな点をお手紙に書いて持っていっている。

実際に全部読んでくれているのかなんて尋ねたことはないし分からないけど、お手紙を読んで嬉しくなった、元気が出たって書いていたりすることがあるから少しは活力にしてくれているのかな、と思う。

 

あと好きなイラスト作家さんが個展やイベントをする時にもなるべく積極的に足を運んで、在廊している作家さんとお話しして、直接作品の好きな所とかを好きです!って伝えたりしている。作家さんたちは「いつも本当にありがとう」、と言って見送ってくれる。

 

こう考えてみると、私は割りと「好き」を伝えている方なのかもしれない。だから、この「好き」を伝えることをこれからも止めないで、もっとコンスタントにしていきたいな、と思っている。

 

上に挙げた記事の筆者さんと同じように、今度好きな本を描いている作家さんにも本の感想のお手紙を書きたいな、と思ったのだけど、少し前に出された本だから、ツイッターでご本人に「次のイベントで前の本の感想のお手紙、持っていっても良いですか?」と尋ねてみた。

返ってきた答えはこうだった。

「そのお手紙を頂けるようにイベントまで生き抜きます!」

 

張り切ってお手紙を書いて持っていくことにした。

 

 

「量産型」は褒め言葉になったのか?

大学院の研究の関係もあって

女性ファンの文化とかを調べたりすることがあるのだけど

 

最近凄く気になるのが

「量産型ヲタク(量産型オタク)」なる存在である

 

主にドルヲタ界隈*1で使われている言葉のようであり

ネットで検索を掛けると

「私は量産型ヲタクです」といった文言のみならず「量産型ヲタクを目指しています」といった”私はそれになりたい”という意味合いの文言まで沢山ヒットするのである

見たところどうやらヲタクとしてのある一定のファッションやスタイルに関して使われている言葉らしい

 

私はこの状況を知った時凄く驚いたのである

 

何故なら私の中で「量産型」という言葉が表す意味というのは、

外部から見て同じような格好をした無個性な集団を批判したり揶揄したりする

というものだからだ

つまりどちらかといえばマイナスに使われていたイメージのある言葉なのだ*2

 

例えば数年前に流行した「量産型女子大生」なんていうのは量産型という表現が一般に浸透するきっかけの1つであり、上記のイメージをそっくりそのまま表している存在であろう

同じような茶髪の巻き髪、ベージュのトレンチやジャケット、パステルカラーの洋服…といった格好の女子大生がわんさかいて見分けがつかないことを批判して使われた言葉であったと思う

当時自分も丁度学部生だったのでよく覚えている

(現在は上であげた定型スタイルはそう多くは見掛けなくなったが代わりにパンツにスニーカー+リュックの女性が凄く増えたように感じる時期があったりと「定型」がうつろっているだけで量産型女子大生は消えていないのでは?というのも面白い着目点かと思うのだが話が逸れるのでまた別の機会に*3 )

 

まあとにかく

上記のように、ファッションやスタイルにおいて使われる「量産型」という言葉はマイナスイメージの言葉ではないかと私は考えているのである

でも、現在多数のオタクの女性たちが「量産型」に"なりたい"と言っている

 

つまり彼女たちにとっては「量産型」という言葉は褒め言葉であり、憧れの対象であり、

自らにプラスのイメージを付加させるための表現として「量産型」という言葉を使っていると考えられるだろう

 

これは非常に大きな言葉の意味の転換なのではないか?と興味深く感じているのである

 

「量産型」は褒め言葉になったのだろうか?

 

*****

ドル界隈の「量産型ヲタク」と呼ばれるスタイルはリボンを頭につけたり、ふんわりとした洋服を着ていたりと確かにパッと見て「可愛い」と感じられるものだと思う

 

個人的には人とは違う格好をして生きていきたい人間なので、彼女たちの憧れを良く理解することは出来ないのだけれど、

彼女たちの服装が「可愛い」表すものであることは事実だし、「推しの前で可愛い自分でいたい」という気持ちはどこのオタクもきっと一緒なのだろうなと思う

 

*1:主にジャニーズのファンの間で多く使われている模様 でも特徴を見てみるととうちの界隈も似た感じの子を見掛けることが良くあるなと思う

*2:元々の「量産型」という言葉はガンダムの「量産型ザク」が由来となって使われ始めた言葉らしく、試作を経て量産されるロボット等を表す言葉だったようで、イメージにプラスもマイナスも無かった模様である

*3:この量産型女子大生の変遷を上手くまとめてくれている記事を見つけて、面白かったので参考までにリンクさせて頂こうと思う

なぜ女子大生は「量産型化」してしまうのか? 元量産型の女子大生が語る、絶滅した「ガーリー型」の謎と、わたしが量産型になってしまうまで。