ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

「量産型」は誰のためのものか?

ここ最近おたく界隈で良く耳にする「量産型」という言葉について前にこんな記事を書いた。

 

数年前に、似たような格好の女子大生が多くて見分けが付かないことを揶揄して使われるようになった「量産型」(「量産型女子大生」)というマイナスイメージの言葉が、

最近は主に男性アイドル(特にジャニーズ)のオタクの間で「憧れの対象」「なりたい自分」を表す存在としてプラスイメージでも使われることになったこと(「量産型オタク」または「量産型ヲタク」)、

この短スパンでの言葉の意味の転換が凄く興味深いものに思えたので、書いた記事である。

 

そして今、またこの「量産型」、現在の量産型の様相を特徴付ける「量産型オタク」という存在について考えたいことが沸いてきたので、また記事を書いている。

それは、「量産型」は誰のためのものなのか?ということである。

 

一応もう一度説明しておくと、「量産型オタク」または「量産型ヲタク」とは、ふんわりとした可愛らしい洋服を着て、リボンやフリルのついた鞄を持った如何にも「可愛い」を纏う格好をしているオタクの女性たちを示す言葉である。

先程も述べた通り、男性のアイドルや若手の俳優のファンをしている女性たちに多く見かけるファッションである。

 

なので、彼女たちがそうした格好をしていくのは必然的にアイドルのコンサートや俳優の出演する舞台やイベントの会場である。彼女たちは、「量産型」ファッションを身に纏い、「推し」の男性に会いに行ったり、観に行ったりするのである。

 

折角推しに会うのだから良く見られたいというオタクは沢山いるし、そのために身だしなみに気を使って「可愛い」服を着ている女性は大勢いると思う。

では、彼女たちの「推し」たちは皆そういった「量産型」ファッションを好んでいるということだろうか?

勿論可愛らしい格好が好きな男性もいるだろう。しかし、別に全員が全員そうしたファッションが好みであるという訳ではないようである。(人それぞれの好みというものがあるのだから当たり前の話だろう)なので、必ずしも「男ウケ」(「推しウケ」)を狙ってやっているとは言いがたい気がする。

つまり、「量産型」は女性たちが「推し」のためにしているもの、とは一概には言えないよう思えるのだ。

 

しかし、会場には「量産型」ファッションに身を包むオタク女性たちが沢山がいる。

彼女たちはどうして「量産型」ファッションに身を包むのだろう?

「量産型」は誰のためのものなのだろうか?

 

この問いに対する問いとして正しいのは、恐らく

「自分自身」のため、なのではないかな、と私は考えている。

 

少し話は飛ぶが、私は以前、女児向けアニメにおける女性像の変遷について、というテーマで卒業論文を書いた。

その際に、魔法少女・アイドルアニメにおける少女たちの変身・メークアップ・ドレスアップにおける効果について、須川亜紀子氏*1や、柴田絵恵里氏*2の論を援用しながら論じたことがある。

 

女児向けアニメの変身は、ドレスアップやメイクアップを主体としており、より「美しく、可愛い」姿へ変身することが魔法少女であれば敵を倒すためのパワーアップとなり、アイドルであれば自分のアイドルとしての夢を叶える自己実現のためのパワーアップとなっている。

つまり、彼女たちが「可愛く、美しく」変身することは、男性から承認されるためのものではなく、「自分のための純粋なパワーアップ・自己肯定」のためのものなのではないか、というようなことである。

 

私は「量産型オタク」のファッションも、この「自分のための純粋なパワーアップ」なのではないかな、と考えている。

イベントやコンサートを100%以上に楽しみたい、そのために、そこにいる自分自身を最高の状態に「パワーアップ」したい。最大の「可愛い」を纏うことで自分自身の気持ちを高めたい。「今ここにいる自分が最高」を実現したい。「量産型オタク」たちはそんな気持ちでそのファッションに身を包んでいるのではないかな、という気がしてくるのである。

この「今ここにいる自分が最高」でいたいという思いは、沢山のファンがいるコンサートや舞台・イベントの会場で、推しにファンサービスをもらったり、他のファンよりも楽しく推しと話したりしたい、楽しんでいる姿を推しに見てほしいという願望を実現させるためのものであるとも考えられる。

これは一種の戦いであり、そういう意味ではこのファッションは彼女たちにとって〝戦闘服〟であるとも言えるかもしれない。女児向けアニメーションの変身少女たちも、変身によるドレスアップによって敵を倒すパワーを得ていたが、「量産型オタク」の女性たちも同様にこのファッションによって戦うパワーをも得ているのかもしれない。

 

実際に本人たちに聞いたわけではないので、そうじゃない!って人もいるかもしれない。そもそも量産型をプラスイメージで使ってないよ!って人もいるかもしれない。

でも、1つのムーブメントの分析として、こんな風に見えている部分もあるんだなってくらいに思って頂ければと思う。

*1:須川亜紀子『少女と魔法―ガールヒーローはいかに受容されたのか』NTT出版、2013年。

*2:柴田恵里「「変身」の変容史―アイドルにならなかった森沢優と、多重に変身し「女の子」を攪乱する『プリパラ』のアイドルたち」『ユリイカ』第48巻 第12号、青土社、2016年9月。