ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

好きだったバンドのタオルを台所のタオルにした時

以前から何度か書いているが、

私は元・ばんぎゃるである。

昔大好きだったバンドが最近復活していてたまに見に行くことはあるけど、

もう頻繁にライブに行くことはない。

 

一番最近まで行っていたバンドは(といっても数年前である)

何となく最近の感じしっくり来ないな、と離れかけていたところで

心を読まれたかのように本命だったギターが脱退してしまい、それ以来行っていない。恐らくこれからも行くことはないと思う。

 

ヴィジュアル系に限らずだが、バンドには大抵の場合グッズでタオルがある。

(バンドに限らずライブをするような歌手なら大体作っているだろうか)

そこまで売れていないバンドでも、ライブ中に使えるものなので作っている所が多いだろう。(交渉の時の目印になったりするのでありがたい存在だ。)

好きだったどこのバンドも例に漏れずタオルを作っていた。

私はそんなにグッズを買う方ではないけれど、タオルはたまに買ってはライブで使っていたりした。

 

タオルは消耗品とはいえ、替えが何枚かあるなら例えそこそこ頻繁にライブに行ったとしてもそんなにはダメにならない。

すると、ライブにあまり行かなくなって家に残るのは

そこそこに使えるタオル×まあまあ沢山

である。

 

そんなタオルたちを洗顔後に軽く顔を拭くタオルとして使ったりしながら暮らしている中、

今まで使っていた台所のタオルが大分天寿を全うしそうになっていることに気付いた。

あーこれはもう替えなきゃなぁ、使えそうなタオルあったかなとケースを開けたら一番始めに目に入ってきたのは一番最近まで通っていたバンドのタオルだった。しかも、そこそこ長い間通っていたので、何枚もある。

上にも書いた通り、私はもうこのバンドを見に行くことは恐らくない。つまりこのタオルの出番も恐らくもう、ない。

何度か使って吸収性の良くなっているタオルだ。手を拭くにはもってこいだった。

ここまで考えて、そのまま放っておくのも勿体無いし、使っちゃお~ということになった。

 

それから私は、そのバンドのタオルを数枚、台所の手拭きタオルにした。

流しの横のタオル掛けに掛けて使っている。

上に書いた通り、吸水性が良いので重宝している。

 

しかしまあ、このタオルで手を拭いていると、「あ、私もうこのバンド見に行くことないんだな」という事実を何だか強く突きつけられたような気分になるのである。

行かないことを選んだのも、タオルを台所用にしたのも勿論自分ではあるのだけれど、過去に通っていて楽しかった思い出と対照的に日常で使い古されていくタオルに何となく哀愁的なものを感じてしまう部分がある。

 

ライブで汗を吹いたり振り回したりするのと、台所に掛けて手を拭くのとでは、訳が違う。消耗具合も後者の方が断然早いだろう。

 

私は他のバンドのタオルも持っているが、それを台所のタオルにしようとは今のところ思わない。大体がもう居ないバンドだけれど、また復活するかもしれない。復活したら行くかもしれない。

まだ活動しているけれど行かなくなってしまったバンドのタオルもあるが、もしかしたらいつか懐かしくて行きたくなる時が来るかもしれない。めちゃくちゃ良い新曲が出るかもしれない。今は使う予定は無くても「もしかしたら使うかもな」という気持ちがあると、やはりまだ台所のタオルにして使っちゃおうとは思わないのである。

 

ともすると、私にとってバンドのタオルをこうして台所のタオルにしてしまうことは、イコールそのバンドとの訣別なのかもしれないな、と思った。いや見に行っていない時点でもうしてるけど。

 

何と言うか、「台所のタオルにできないバンド」は、例え昔良く見に行っていたあるバンドを今は見に行っていなくても、彼らへの意識は過去から地続きの現在進行形であって、それが今休止している、何かが切っ掛けでまた見に行くことがあるかもしれないという状態なのである。

しかし、「台所のタオルにしちゃおう」と思ったバンドは、意識として、もう現在進行形ではない。完全に思い出になってしまっているのである。

勿論そのバンドに好きな曲も沢山あるし、今も度々聞く曲もある。がしかし、それらはもはやただ良い音楽作品として享受される、過去の楽しかったライブやイベントを思い起こさせるだけなのである。

 

このように、私は好きだったバンドのタオルを台所用にすることで、無意識のうちに彼らを完全に過去の思い出にしていたのかもしれない。だから、いつもはタオルを見たくらいでは特に何も思わないのに、その時に限って「もうこのバンド行かないんだな」という事実を強く突きつけられた気がしたのかもしれない。

いつか他のバンドのタオルも「台所のタオルにしちゃお」と思う日が来るのだろうか。

 

 

いや本当になんの話だよ。

 

「いま、ここ」なコンテンツの力の強さを感じる話

最近特に、世の中において「いま、ここ」感が強いコンテンツがものすごく強い力を持っているな~と感じる。

 

ここで言ってる「いま、ここ」というのは

特に哲学的な意味とかではなく、

今、この時にタイムリーに展開されていくものとか、すでに出来上がったものを提示されるというよりはその場(それが厳密にその場ではなくても)、消費者の目の前で物語や作品が進んでいくことを指している。

 

それを表すのにふさわしい言葉ってなんだろうと考えた時に

「いま、ここ」かなと思った次第である。

 

まあ元より消費者の声はエンタメにおいて人気を獲得するのには欠かせない一要素だし、大々的にそうした要素を取り入れているものはそこそこ前から存在するとは思う。

 

例えば、今読んでいる『アイドル/メディア文化論』(西兼志著)では、

「リアルタイム、「光ー時間」」に近づくことが、メディアの 趨勢であり、力の源泉でもあると述べられており、アイドルという存在はそうしたリアルタイムをデビュー前の成長過程を見せることで必要不可欠な存在であることが述べられ、そこにおいてファンは「愛着」と「批評」の2つの視点を持つようになったことが述べられている。

具体例としてAKB48が挙げられていて、彼女たちは「プロダクト=(完成品)」ではなく常に変わり続ける「プロジェクト=(成長)」であることが説明されており、リアルタイムで変わり続けるアイドルをファンが投票などで審査の過程にも立ち会っていくという方式が示されている。

これなんてまさに、「いま、ここ」でアイドルのドラマが進んでいき、そこにファンの声が反映されていくという例だと思う。

 

あとは、テレビやラジオ番組で視聴者から寄せられたお便りやメールを読んで、それを元にリアルタイムに進行していく…という企画なんかもありふれたリアルタイム+消費者の声の形式のエンタメであろう。

 

ただ、私がここで言及したいのはそうしたものとは少し違う。

今挙げてきたものは、生身の人間が関わり、対象になっている企画やプロジェクトである。しかし私が言及したいのは、あくまで対象の作品や物語を形作っているのは作者や制作であり、それらが私たちの生きている「いま、ここ」の時間と共にタイムリーに進んでいるような感覚を覚える場合の話である。

基本的には作者や制作が考え、完成したものを提示するのが主だったゲームやアニメなどのコンテンツに関しても、最初から全て決まったものを提示していくのではなく、眼前で、少なからず意見や要望を取り込みながらタイムリーに展開していくコンテンツが増えているように感じている。

 

例えば、ファンの投票や意見で物語や衣装が変化したりするという企画は最たる例かもしれない。

そのように制作側が直接意見を求めていなくても、SNS他でファンが発信した意見や要望を拾い上げて反映していく例は多くある。

 

また、ソシャゲや配信型のゲームなんてのは形式自体がそれに当てはまる例だと思う。

 元々は作りきり、買いきりが基本であったゲームが、日々更新され、次々と新しいストーリーやキャラクターが追加されていくものとなった。

その更新の中では、プレイヤーの意見や要望が反映されることもよくあるだろう。

キャラクターがまるで私たちと同じ時を生きているような感覚を覚えることもある。

まさに、「いま、ここ」で進んでいくコンテンツだなと思う。

 

どうして現在このような「いま、ここ」なコンテンツが力を持っているのか、と考えてみると、

まずは、単純にファン(消費者)側が意見を表明する場が整ったというのが大きいと思う。

言うまでもなくそれはSNSツールである。

ファンが自ら感想や要望を随時発信していくことが当たり前になったことで、制作側が専用に場を設けなくても即時に意見を拾い上げることが出来るようになった。それによりファンの欲するものを即時に提供することで商業的に成功する、という方式が定着していって、それがタイムリーに進んでいく作品に繋がっているのだろうと思う。

(そうしてファンの意見を随時反映していくことが必ずしもプラスに働くわけではないけれども。)

意見表明という部分ではブログやHPなんかはやや昔から存在していたけど、これは昨今のSNSの情報の速さあってのものに思える。

 

あとは、以前美術手帖2.5次元特集(確か)で「現在、ファンは「体験」を求めており、体験型コンテンツが人気を博している」と述べられていたのを読んだことがあるが、それも関係があるように思う。(ここでの「2.5次元」は舞台作品だけではなく、聖地巡礼やコスプレなど「アニメやゲーム作品をリアルに感じることの出来る物事」全般を指して使われていたと記憶している。)

「体験する」ということには、「その物事に流れる時間をも肌で感じる」という意味が内包されていると思う。コンテンツの中身を見たり聞いたりしてインプットするだけでなく、そこに存在する〈時間〉をもリアルタイムに体感することに注目が集まっているということであろう。

こうした「体験」への注目は間違いなく、ファンの目の前で進んでいく「いま、ここ」なコンテンツへの需要の高まりと関係があるだろう。

そう考えると、(生身の人間が関わるという意味では少しここで取り上げているものからは外れるかもしれないが) 2.5次元の舞台も「いま、ここ」なコンテンツの一部と言いうるかもしれない。アニメやゲームといったあくまでも「作者や制作が作った作品」をその場で再現されることで、(例え元が完成された状態で提示された作品であっても)舞台としてのその作品は〈その場〉でタイムリーに作り上げられてく。時には観客の反応で流れが変化することもある。キャラクターと同じ時を生きている気持ちが芽生えることもあるだろう。こうした点から、今まで述べてきた「いま、ここ」的なコンテンツと非常に近い性質を持っていると考えられるだろうと思う。

 

そして、最後に最近見かけたあるツイートを読んで考えたことが理由として挙げられるかもと思っている。

(あくまで私がそれを読んで連想して考えたことで、ツイートで主張されていることはまた別の内容なので敢えて引用などはしないでおく)

それは「時間がない」ことである。

周りの人を見ていてもこうしたネット上の意見を見ていても、やはり現代人、物凄く忙しそうな人ばかりである。

技術革新で色々なことが便利になっているとはいえ、それが逆にまた覚えること・やることを増やしているという側面もあり、仕事にせよ私事にせよ、忙しい世の中を生きている人ばかりである。

ここ数ヶ月はコロナの影響で暇を持て余していた方もいたかもしれないが、だんだんと元の日常が戻ってくるにつれてまた忙しい毎日に身を置く人も増えているだろうと思う。物理的には時間があっても気持ちが疲れてしまっていることもあるだろう。今の所そんなに忙しい暮らしをしてはいない私ですら、仕事を終えて帰ってきて、本読みたいけど何もしたくないな~…という矛盾した気持ちになることがあるから、もっと忙しい暮らしをしている人は一層そうなのではないか。

完全に完成されたコンテンツやすでに完結した作品を後から追っていくというのは、結構労力が要ることだと思う。忙しい中で合間を縫って楽しむ、ということを考えると、現在進行系で進んでいるものを少しずつ楽しんでいく方が気軽で手軽な気がするのである。

なおかつ、「いま、ここ」的に自分の生活と同時間的に進んでいくコンテンツであれば、同じ時間にいるように感じられることで、より馴染みやすく入っていきやすいものなのではないかと思うのである。

(終わっているものを追うほうが自分のペースで追い進められて楽だという意見もあるかもしれないけど、コンテンツや作品の規模が大きければ大きいほど最後まで行き着くのに時間がかかり、既に終わりがハッキリしているのに、時間の問題でなかなかたどり着けないというのも歯がゆいものだと思うのである。まとめて見たり読んだりする時間があれば良いのかもしれないが…。)

 

今述べてきたことは、一言で言ってしまえば、「時代の流れ」とか「時代性」ということになるのかもしれない。しかし、その中に様々な理由や物事の関係が付随するのだと考えていくと、なかなか面白いものである。

今の段階だと「いま、ここ」で展開しているものとはいえ、どうしても制作し提示するまでのタイムラグがあるが、技術がより発展していつかそのタイムラグすら取っ払われて即時的にコンテンツが提示される時代が来たとしたらどうなるのだろうか。(そこまでいくと通信技術とかAIなんかが絡んでくる問題になりそうだ。)

「いま、ここ」的なコンテンツと私たちの実際の生活や暮らしが密接に、最早融合していく可能性もあるのだろうか。私はそういう技術的な部分には全く詳しくないのでこの先のことはよくわからないが、それはそれで面白いかも、と思ったりもする。

まあとりあえず今は、たまにはそんなことを気に留めながら、自分の好きな「いま、ここ」を楽しんで暮らしたいと思う。

修正テープだらけの手帳が虚しさを助長する

また推しの出演舞台が座席の調整で払い戻しになることが決まって、もう気持ちのやり場が無いなーという感じですね。

 

中止ではなくて、出来るように調整してくれているのはすごくありがたいことだし、スタッフの方々も日々色んな案を練ってどうにか公演に漕ぎ着けようとしてくれていることには感謝しなくてはならないと思う。

 

でもそれとは別に、やっぱりさーー、

折角色んな先行申し込んで、時には円盤を買って…ってしたチケットが無意味な紙切れになってしまうことにはやっぱり愚痴のひとつも言いたくなってしまうのは仕方がないよなーという。

頭では分かっていても、慣れろと言う方が無理だろう。これに関しては。

 

3月から、色々な中止発表があって。

日々手帳に書かれたひとつひとつの予定を修正テープで消していく。

沢山の日付がただただ白い跡となっていく。

 

今見返したらその修正テープの跡にすごく虚しさを覚えて、こんな記事を書きたくなった。

6月なんて土日全部埋まってたからさー、手帳の右端だけ真っ白なの。きっとこれからも暫くこの白い跡は増えていく。

他の舞台オタク、俳優オタクのみなさんもきっとそうなのではないでしょうか。

 

早くまた、手帳を書ききれないくらい文字でいっぱいに出来る日が来ますように。

 

 

紙の本の物質性と半永久性にどうしようもなく惹かれる話―デジタル情報の儚さと脆さ

院生の頃、就活をしていた時にそこそこ出版社を受けていたので、

「他でも散々聞いていると思いますが、出版は、紙の本は、斜陽です。」という話を何度も聞いた。面接でも「この時代に何故紙の本に携わりたいと思ったのですか?」というよう質問を何度も投げかけられた。

 

当時の私は、小さい頃から本が好きだからというのも勿論あったけど、「勉学に励む人に、すぐ流れるような情報ではなく、芯のある知識を届ける」ことに興味があって、それに適しているのが紙の本だと考えていたからそう答えていた。情報が手に入れやすい世の中にはなったけど、代わりに取捨選択の難しさも付いて来たと感じていたからだ。あとはまあ、紙の本はページ同士を見比べやすいとか書き込みしやすいとか、そういう理由も述べてたと思う。最終的には違う業界に就職したけど(論文を扱うことも多いので学問と紙媒体に無縁ではないのだけど)、

最近、当時自分が答えたこと以上に大切な、本が紙として存在する必要性や紙の本に魅了される理由があるな、と考えることがある。

 

それを考え始める切っ掛けとなったのは、本とは真逆に位置するであろうデジタルな情報について、考えることがあった時だった。

それは、とあるスマホアプリゲームのサービス終了のお知らせを見た時であった。よくある、いついつに最後の更新を行います、その後いついつにはサービス自体が終了して中身が全て見られなくなりますよ、というお知らせだった。お知らせには、終了を悲しむファンのコメントが沢山ついていた。沢山のアプリゲームが競争している今の時代、特に珍しい光景でもないだろう。でも、私はふと考えてしまうことがあった。

この作品は別媒体でも展開はされているが、アプリゲーム中でオリジナルのストーリーが展開されており、ゲームをプレイしないと読めないストーリーがあるらしかった。ということはつまり、当たり前ではあるが、サービスが終了してしまえばファンは二度とそのストーリーを読むことができなくなるということではないか、と。アーカイブを残してくれる所もあるだろうが、そう多くはないだろう。(そもそも終了してしまうサービスということは…という所である。) 個人でスクショを保存したり、まとめサイトを作ったりと色々方法はあるだろうけど、限界がある。提供されていたそのままの状態で読むことは、やはり二度と出来ないのだ。

恐らく制作会社のどこかにはデータとして残るだろう。しかし、こうしたストーリーは人の目に触れることで初めて作品として完成されるものだと私は考えている。誰も読むことの出来ない状態になれば、失われ、無くなってしまったも同然であろう。こうしたことを考えるうちに私は、デジタル情報って実は凄く脆くて危ういものなのだなと感じてしまったのである。

 

その後、もう一つこのデジタル情報の脆さを感じる出来事があった。Yahoo!ジオシティーズヤプログ!のサービス終了である。

前回の記事でも触れたが、私は元々HPもブログも運営していたことがあるので、双方のサービスに相当馴染みが深かった。ジオシティーズは自分でもずいぶん長いこと利用していたし、他の方が運営しているサイトに遊びに行っては、公開されているゲームやイラストをいつも楽しく見ていた。ヤプログ!は利用はしていなかったけど好きなブロガーさんがいて、もう随分長いこと更新はなかったけど、度々記事を読み返していた。サービスが終了した後、それらのページを開いてみると、そこには「こちらのサービスは終了しました」の文字だけが残っていて、とても寂しい気持ちになった。

こうしたHPやブログというのは、前に述べたアプリゲームとは違い、個人で制作・運営しているものが殆どである。そのため、何年も更新されないサイトやブログは、最早制作者の手を離れてインターネットの海を漂う断片のようなものである。大元のサービスが終了してしまえば、その中に記されていた物事はそのまま消滅して、この世界から完全に消えて無くなってしまう。いつか誰かが作り出した作品や書き上げた記事が、制作者の預かり知らぬところで失われてしまう。それって凄く苦い感覚だな、と考えたのである。

 

デジタルな情報は、何度もコピーが出来るし、遠方にいる人にもすぐに送ることが出来るという利点がある。公開もしやすい。それに、嵩張らなくて整理もしやすい。並べ替えも簡単である。劣化もしない。学生時代、企業の嵩張る紙の資料をデータ化するアルバイトをしたことがある。もう置き場がなくて仕方がないとのことだったので、保存方法としては最適だったかもしれない。

しかし、これだけ利点があっても、サービスの終了や機械の故障で呆気なく消えて無くなってしまう可能性があるというのは、それらの利点を吹き飛ばしてしまうくらいあまりにも大きな欠点であろうと思う。そういえば、修士論文を書いている時にUSBが壊れて、集めた雑誌データ10年分が吹き飛んだことがあった。まさにあれだ。(まぁ言ってしまえば紙の本だって火事などで燃えてしまう可能性があるわけだが、デジタルな情報の喪失はそれよりもより身近にあるものであると思える。)

人間が考えたことを永遠に覚えていられれば別だけど、そうはいかない。自分の考えを人に話して聞かせることにも限界がある。だから、何かに書き記す必要がある。その書き記す媒体としては、デジタルな媒体は実はあまりにも脆い存在なのではないかと実感しているのである。

最近までは、情報革命があって、情報化社会が発展していく中でとにかくデジタルは便利!というのが謳われてきた時代に思えたけど、それが成熟を迎えて、情報化の初期や中期を支えたサービスが段々終わっていく中で、デジタルな情報が超ハイテクで永久不滅のものではないことに世間が気づき始めて、それに目を向けるべき時代に来たのではないかな~という気がしている。

 

そうしたことを考えていく中で、やっぱり紙の本って必要じゃない?と考えているのである。とにかくデジタルは便利!と言われてきた中で、紙の本はもう古いという風潮があるのはまあ、冒頭に述べたことからも明らかだろう。確かに紙の本はデジタルな情報と違って、重いし、嵩張るし、コピーも大変である。その中で私は、面接で答えたようなことに本が紙である意味を見出しているのだと思っていた。

確かにそれも事実なのだが、今はそれ以前にまず、本が、本に記された知識や作品が、物として今自分の目の前に存在するのだという「物質性」に価値を感じているのだな~と考えているのである。目の前にある紙の本に私は触れることが出来るし、例えば(ダメだけど)叩いたり、落としたりしても、中に書かれた情報が消えることはない。それに、紙の本は何かに依存することはない。それだけで存在しているのだから、他の何かの物事が終わった拍子につられて消えてしまうことも絶対にない。

紙の本にも細かい利点や欠点が色々あるけれど、まずこの「物質性」と「半永久性」が何よりも大きな利点であり、魅力なのではないかと気付いたのである。そして私は、その魅力にどうしようもなく惹かれるからこそ、紙の本が好きのではないかと考えたのだ。

 

思えば私は装丁にすごく惹かれることがあって、好きな加工の施された本の表紙をうわ~~最高!とまじまじ眺めてしまったり、特殊印刷加工の実物サンプル本も持っていたりする。こうした印刷加工の素材感というのも、平面のデジタル媒体ではどうしても表現できない部分である。この辺りも紙の本の「物質性」に惹かれる一因なのであろうなと思う。

仕事で論文扱う時とかはコピー面倒くさ!!手切れる!!送るの大変!!数回読むだけならデータで送らせて!と思ったりすることもあるのだけど。この辺りは用途に合わせて柔軟に紙の本とデジタル媒体を使い分けても良いのかもしれない。いやでも紙で読んだ方が捗るという気持ちもとても分かるので頑張って発送したりしている。

あとやはり、雑誌なんかはその当時の流行や空気感をそのまま1つの存在としてパッキングしてくれているものが多いので、文化研究をしてきた身としては凄く役に立つものに感じている。インターネットでそれらを一つ一つ調べるのは恐ろしく手間がかかるし、流行の情報なんかだとそれこそサービス終了で欲しい情報はもう消えてしまっていることも多い。修士論文を書く時に、紙の雑誌の存在が本当にありがたかった。出版の中で雑誌が一番落ち込んでいるとは聞いているが、どうか無くならないでほしいものである。買うからさ。

 

あとは余談だが、推しが雑誌に載るのもやはりそういった意味で嬉しい。インタビュー記事なんかは、時が経って開くと「この記事は存在しません」の文字が目に飛び込んでくることも多いので、手元にずっと残しておけて、いつでも読み返せるのは凄く嬉しい。

やっぱり紙の本って良いな。

 

まあそれを書いているのがこうしたデジタル媒体のメディアであるというのはある種の皮肉になってしまうかもしれないけど、

私は誰かに読んでほしくてこの文章を書いているから、そこを優先した結果、個人で発信しやすいインターネットのとあるブログという形態を選んでいる。しがない覚え書きのようなものだから、という気持ちもあるのかもしれない。

いつかここで書いたことが自分にとって物凄く必要だなと感じたら、紙に起こしておこうかな、と思ったりしている。

 

P.S.

少し話はズレるが、あつまれどうぶつの森の攻略本がめちゃくちゃ売れている理由が、インターネット上で中身のない攻略サイトが乱立されて、検索に引っかかるようにプログラミングされている(アフリエイトなどのためだろう)せいでファンが欲しい情報に全くたどり着くことが出来ない状況だからだと聞いて、これも情報社会が成熟しすぎた結果なのかな…と思ったし、やっぱり紙の本に立ち戻る瞬間が少しずつ訪れているのかもな~と思ったりした。

マシュマロ

最近、記事を見たり読んだりしてくださる方が結構いらっしゃるようなので、

ご意見とか、ここはこうでは?みたいなのがもしあったとして、投げられる場所があった方が良いのかもと思っていたのですが、

マシュマロを埋めこみで置くことが出来るということを知ったので設置してみました。

marshmallow-qa.com

 

基本はそれぞれの記事の下に表示されるように設定してます。

なかなか無いかとは思いますが、もし何かあればどうぞ。

 

こういう匿名のメッセージツールを見ていると古のweb拍手を思い出しますね。

HPに置いていたなあって思い出した。私は元々HPとブログ両方持ちだったのですが、メインで使ってたジオシティーズも無くなっちゃったし、好きなブロガーさんがいたヤプログ!も無くなっちゃったし、割りと子供の頃から使ってたサービスが無くなるのは寂しいなあ。(web拍手はまだあるんだね)

サービスそのものもだけど、やっぱりサービス終了時に中身が無くなるのが寂しい。好きで何度も読み返していた記事とか、好きだったイラストやゲームとか。制作者が別の所に移してくれていたりする場合は救われるけど、何年も更新がないページだったりすると、最早制作者の手を離れてインターネットの海を漂う断片のようなものなので。そのまま消滅して、その情報にはもう二度と触れられないという脆さが何だか苦いですね。

その辺りの、ハイテクなはずのデジタル情報の脆さみたいなものにも少し思うところがあるので、近いうちに書こうかな。

 

途中になっちゃってる感想などありますが(そうこうしてたら円盤が出ちゃって当時一緒に観劇してた子と遠隔観賞会まで終えてしまった)

感想というのを上手く1つにまとめるのがあまり得意ではないのかもしれない…と思っていたり。思えば、読書感想文はめちゃくちゃ嫌いだったな。

長いこと論文を書いていたからなのか、何か1つの事象に関してまとめて考察して結論を書いて…っていう方が得意だなぁと思いました。

まあ、筆が乗ったら書きます。

 

2次元とヴィジュアル系 後編ー2次元のヴィジュアル系バンドは「リアル」か?

前回の記事の続きです。

appleringo.hatenablog.com

引き続き、元ばんぎゃるが漫画、アニメ、ゲームなどに登場する「2次元」ヴィジュアル系バンドに時たま感じる「違和感」の正体とは何であるのか、そして2次元のヴィジュアル系がどこまで「リアル」であるのか――そもそも2次元のヴィジュアル系は「リアル」であるのか、ということについて考えていきたい。

注意事項他は前回の記事の前置きのとおりである。

 

前回は90年代~2012年までの作品を取り上げて簡単に考察してきた。今回は主に2010年代後半の近年の作品を取り上げて考えたあと、まとめに入りたい。尚、前回同様本記事の記載において、取り上げる作品やキャラクター自体を批判・攻撃する意図は一切ないということは申しおきたい。 

***

(タイトル横の年数は作品またはキャラクターの初出年を記載。)

8.Squall(バンギャループ)2014年

タイトル通り、バンギャとタイムループが主題の漫画作品であり、物語の核となるのがヴィジュアル系バンド・Squallである。物語は、彼らのファンである主人公が参戦予定だったライブが突然中止となり、その原因がボーカル・霧の突然死だと報じられる事から始まる。悲しみに暮れる主人公だったが、とある事故によりデビュー前のSquallメンバーの家にタイムスリップしてしまう。主人公が過去のメンバーと交流する中で、来るべき未来の出来事が少しずつ変化していることに気づき、「霧の死なない未来」のために奮闘するストーリーである。

本作はメンバーと親しくなりつつ、スタッフのような手伝いも行う主人公の目線で描かれるため、彼女関わる素のメンバーの物語と、ステージ上のメンバーの様子の双方にスポットが当てられている。

Squallのビジュアルは、メンバーそれぞれ黒マスクや女形で個性を出しつつ、黒系衣装で統一されており、ネオ・ヴィジュアル的なコテ系バンドとしてリアルに描かれている。ボーカルの霧が黒い傘を指しながら登場し、「コンニチハ、Squallです」「雨を降らせに来ました」といった挨拶をするのもとても「ありそう」な感じである。オフのメンバーと比べてガッツリとメイクをしていることが分かるのもリアルだと思う。

また、本作にはSquallと関わる存在として、人気バンドRAVENやライバルユニット・ZerOも登場する。RAVENは霧の憧れのバンドであり、非常に人気がある様子が描かれる。メンバーの雰囲気はバラバラだが、それぞれが個性を極めており、ライブシーンでも売れっ子らしい気迫が描かれる。2次元にありがちな取り敢えずそれっぽいものを詰め込んだバラバラさではなく、「バラバラだがバランスが良く成り立っている」売れっ子バンド感がうまく表現されていて思わず唸ってしまう。ZerOは、愁と千草という2人の組んだユニットである。愁はバンドが中々上手く行かない様子が描かれ、バンドだと何となく上手く行かないメンバーが少人数でユニットをするというのが何ともありそうな流れで苦みを感じてしまうリアルさである。可愛い系の愁とコワモテだがラフめな千草の組み合わせはコテではなくオサレ系・キラキラ系の系譜っぽくて「おっ」と思った。ライブシーンで全力を出し切り、ステージで寝転んで笑う姿も妙にリアル。レコード会社の売り出し方と齟齬が生じてぶつかる辺りも見たことがあるような気がして何だか苦い。

全体的なストーリーの中でも、主人公の目的と同時進行で、バンド内・バンド同士の揉め事、レコード会社との出会いや売り出し方による亀裂、女性関係のトラブルなどが描かれ、タイムループというファンタジーとの対比でより現実感が強く感じられて面白い。また、高田馬場AREAや新木場STUDIO COASTなど知っている箱が度々登場するのも面白い。筆者はつい一気読みしてしまった。取り上げた中では、全体的に一番「リアル」を感じられる作品かもしれない。

余談だが、実在したバンドであるカメレオとコラボしていたこともある。

 

9.DRINK ME・MEDICODE (FlyME project) 2015年

こちらは「人気男性声優×V系スペシャルプロジェクト」*1 という触れ込みで始動した2次元バンドプロジェクトである。「異なった見た目、楽曲のV系バンドが同じ音楽レーベルへほぼ同時期に所属。事務所側からはお互いを競わせるため、CDの同時リリースを決める。」*2 というイントロダクションの通り、2つのタイプの異なるバンドが登場する。また、楽曲は実際にシーンで活動しているヴィジュアル系バンドのメンバーがそれぞれ提供を行っている。

DRINK MEは、カラフルだったり、パンキッシュだったりするポップな衣装に身を包み、キャッチなポップ・ロックの楽曲を中心としているバンドである。前回の記事の最後に述べた通り、2次元におけるヴィジュアル系は2010年を回っても殆どが大枠に「コテ系」や「耽美系」っぽいものであり、ヴィジュアル系=コテ系っぽいもの+耽美要素という記号化が行われているように思える。その流れに対して、DRINK MEはお揃いの骸骨柄のパーカーや、カラフルな柄のシャツ、小柄で可愛い系のボーカル、ポップ路線の楽曲といった要素から「キラキラ系」「オサレ系」の系譜を感じることが出来る。ヴィジュアル系を記号的に扱うのではなく、作り込んでいることが感じられて、リアリティがある。筆者は、やっとキラキラ系が現れた~~~!!!と思った。始動直後のニュースサイトの記事にもやはりDRINK MEは「オサレ系」を意識しているのであろうか、という記述があった*3

楽曲も例えば「わくどき☆ワンダーランド」は、ポップな同期と可愛い歌詞にCV.山下大輝のふわふわとした歌い方が相まって、如何にも近年の若手キラキラ系にいそうな感じである。曲の提供を行っているのは摩天楼オペラのキーボードの彩雨である。摩天楼オペラはシンフォニックメタルがメインのバンドなので、随分毛色は異なるが、やはり実際にシーンを見ているバンドマンは強いな…と思った。(歌詞は別の人みたいだけど)「The New World」はアリス九號.(当時はA9)のヒロトの提供曲である。こちらはド直球に得意な感じを持ってきたんだろうな~という感じである。爽やかだけど、同期の感じに「っぽさ」があって良いなと思った。

MEDICODEは、打って変わって黒基調の落ち着いたビジュアルに、コテ系っぽい楽曲のバンドである。こちらのバンドはDRINK MEと比べるとややアニメティックな感じが否めない。多分原因は、コテ系を意識しているのだろうが、何となく中途半端に感じてしまう所かもしれない。ボーカルは思わず「あ…いる…こういう人…」と思ってしまったが、ちょっとシンプルすぎる気もする。でも…女優帽…被っている人、いるよね…。対して他メンバーは中々構造の難しい衣装を身に着けている。にも関わらずメイクが薄めなのも気になるかもしれない。ちょっと「ヴィジュアル系っぽいってこうだろ」という要素を無理やり詰めた感が出てしまっているのが残念である。始動直後のニュースサイト記事でもファンから同じような指摘があったことが記載されていた。*4 シンプルな衣装と難しい衣装の組み合わせは、昨今増えているややロキノン寄りのヴィジュアル系だと結構見かけるかもしれないが、MEDICODEは音楽がコテ系っぽいから違和感があるのかな、と思った。しかしDJってなんだ。

楽曲は、例えば「CARMA」はデスヴォとサイレンから始まり、サビでメロディアスになるという流れが如何にも近年のコテ系バンドの曲らしさがありリアル。曲の提供を行っているのはLM.CのAijiである。LM.Cはどちらかといえばポップ・ロックだが、なんせ以前はPIERROTのコンポーザーだったメンバーである。すごいわかってる。「GABBY」はDIAURAの佳依の提供曲である。こちらもダークな怪しげなサウンドから始まりサビでメロディアスになるというらしさが感じられる曲である。DIAURAは王道コテ系なので、得意分野なのかな、といったところ。歌詞も契約したり、息の根止めそうになったり、足枷が錆びたり、過去を後悔したりと「らしさ」が散りばめられながらクサくなりすぎない感じでリアル。だからこそちょっと衣装とメイクの描写が勿体ないなぁと思う。でも、ロゴはすごくそれっぽいなと思ったりもした。

また、双方のバンドに元々一緒にバンドをやっていたメンバーがいる…という設定があったり、ドラマパートでメンバーのすれ違いが描かれたりと、裏事情の描写はリアル。しかしフライミープロジェクト、突然音沙汰がなくなり、数年間何も動きがないようで残念である…

 

10.フォックス・イヤー (妖かし恋戯曲) 2017年

こちらは乙女ゲーム。攻略対象となるのが、作中の人気ヴィジュアル系バンド、フォックス・イヤーのメンバーである。フォックス・イヤーは狐耳と尻尾を付けたコスプレバンドであり、主人公の従兄弟がマネージャーをしている。ある日、主人公がライブを観に行くと、持っていた勾玉が光り出し、幻覚を見たあと気を失ってしまう。気がつくと、そこはフォックス・イヤーの楽屋であり、彼らは勾玉を奪おうとしてくるが、彼らはそれに触れることが出来ない。なので、主人公をマネージャー補佐として側に置くことを要求する。幻覚の正体が気になる主人公は、戸惑いつつも話を受ける。メンバーたちは実は妖狐であり、興奮すると本当に狐耳と尻尾が生えてしまう。(カモフラージュのために耳と尻尾を付けていた)そして、妖力の増幅のために主人公の持つ勾玉を探していたのであった。如何にも乙女ゲームらしいストーリーである。

今述べた通り、フォックス・イヤーは妖狐によるバンドであり、必ず耳と尻尾を付けてステージに立っている。この時点で凄くファンタジー色の強い設定なので、リアリティがどうのと考察するのは野暮な気もしてしまうが、ヴィジュアル系と冠しているからにはリアルのバンドからの影響もあるだろうということで、ファンタジー要素を除いた部分で考えていきたいと思う。(耳と尻尾で言えばSHOW BY ROCKのシンガンクリムゾンズも生えていたし)

まず耳と尻尾を除いたビジュアルは…といきたい所なのだが、その前に気になることがある。…ボーカル、誰よ?キャラクター紹介にはボーカルの記載がない。と思って調べてみたら、どうやら全員で歌っているらしい。そういう感じ!?私の知っている限りでは、全員ボーカルを兼任のバンドはいない気がする。いるにはいるのかもしれないが、簡単に検索した限りでは見当たらなかった。全員で歌うってなるとイメージ的にアイドルバンドっぽくなってしまってヴィジュアル系っぽさは薄れるな~と思う。せめてメインボーカルが決まっていたらな。あと音楽性に関しては作中でもあまり触れられていないらしく、よく分からずじまいである。

気を取り直してビジュアルは、メンバーそれぞれてんでバラバラだが、全体的にアニメティックな感じが強い。リードギターの暁仁は、前がガッツリ空いたシャツに革ジャケット、ダメージスキニー。セカンドギターの霞美は王子系。ベースの晃征は暁仁を少し大人っぽくした感じで、ドラムはサルエルにカラフルタンクのオサレ系。キーボードの螢丞は軍服風。暁仁と晃征の衣装は、前回の記事でも書いたように、V系要素を部分的に取り入れたファッションであるお兄系を元のヴィジュアル系と混同して扱ってしまっているように見受けられる。他のメンバーは単体で見ればコテ系、キラキラ系、耽美系で、それぞれいそうな感じである。いやでもやっぱりお兄系の隣に王子や軍服は並ばないだろう。「ヴィジュアル系=コテ系っぽいもの+耽美要素」という2次元的な記号化に縛られず、ヴィジュアル系にも多種多様なタイプがいることを把握した上で作っていることが分かるのはとてもありがたいが、とにかくそれっぽい要素を詰め込みすぎてかえってゴチャッとしてしまっているのが残念である。

まあ本作は、音楽よりも妖要素のほうがメインであるように見受けられるので、2次元感が強くても仕方がないのかもしれない。ちなみに作中には、同じく勾玉を狙う狸の妖のバンド・ピエロ―ズも登場する。狐のライバルが狸なのはなかなか面白い。

 

11.四十物十四 14th Moon(ヒプノシスマイク)2019年

こちらはキャラクターラッププロジェクト。女性が政権転覆を行い、武力を根絶させた世界で、男性は地区(ディビジョン)ごとにチームを組み、武器に代わり特殊なマイクを通してラップをすることで戦うことで領土を勝ち取っていくというのがメインテーマである。本作では様々なディビジョンの代表チームのキャラクターが設定されており、それぞれの個性的な楽曲と、キャラクター同士の因縁を描いたストーリーが展開されている。その内、追加チームであるナゴヤ・ディビジョンのキャラクターの一人が、ヴィジュアル系バンドマン・四十物十四(14th Moon)である。チーム曲のPVで名古屋E.L.Lの入り口に十四が佇む様子が映るので一部で話題になったりもした。

本作のチームのメンバーは様々な経緯で集まっているので、年齢も職業・経歴もバラバラである。そのため、ナゴヤ・ディビジョンにおいてもヴィジュアル系バンドマンという設定なのは十四だけであり、十四がボーカル担当であるという情報 *5以外、具体的なバンドの設定や他のメンバーの描写はまだ登場していない。しかし、明らかにV系を意識した濃い目のキャラ付がされていたり、個人楽曲を提供しているのが実際にシーンで活動しているバンドのLeetspeak monstersのであったりするので、その辺りに着目して考えていこうと思う。

まず、ビジュアルは、黒髪に金メッシュで後ろがロングの髪型に、ナポレオンのロングジャケットを羽織っている。雰囲気的には、耽美寄りのコテ系っぽさがある。しかしここで一つ疑問が。この服、私服…?勝手にステージ衣装だと思っていたが、友達に聞いてみたらヒプマイの他キャラクターが普段メインビジュアルの服装で過ごしているのを見ると、私服では?と言っていた。確かに。私服だとするとちょっとコスプレ感がありすぎるかもしれない。こういった服を私服にしているバンドマンはあまりいないだろう。

そして、彼には初対面の人の前だと芝居がかった喋り方になってしまうという癖がある。そうした喋り方で「それが貴殿のレゾンデートルなのであろう…」「我は華麗にして混沌のボーカリスト…」*6等といったことを言う。ゴリゴリの厨ニ病発言である。何というか、ヴィジュアル系に傾倒している人間というと世間的にはまだこういうイメージなのだろうか…と若干心配になってしまう。勿論こういう世界観が好きな人もいるだろうが、今のヴィジュアル系というジャンルでは、それがステレオタイプには成り得ないと私は思っている。ヴィジュアル系のイメージが大分前で時が止まってしまっている気がしてくる。これが、「ヴィジュアル系=コテ系っぽいもの(+耽美要素)」という記号化の原因かもしれない。しかし元の喋り方に戻るときゅるんとするの可愛いよね。十四。

上述の通り、十四のバンドの詳細はまだ描かれていないが、ソロ曲はLeetspeak monstersの提供であり、コテコテのヴィジュアル系っぽさを盛り込んだ一曲である。イントロの何となく重苦しい感じが如何にもゴシック耽美系のそれである。私はこの曲を聞いた時、何となくゴールデンボンバーの「†ザ・V系っぽい曲†」を思い出してしまった。まあ、そういうことなのだろう。しかし、この曲調にラップが盛り込まれているというのは結構新鮮で面白いなと思う。Leetspeak monsters自身もゴシックなミクスチャーロックバンドであり、ボーカルのD13がラップも担当しているため、得意分野なのかなと思う。

余談だが、同作品のシンジュク・ディビジョンの伊弉冉一二三の2つ目のソロ曲をゴールデンボンバー鬼龍院翔が手掛けており、一時期界隈で話題だった。どこを取ってもあまりにもキリショーである。キリショーの固有性ってすごいんだなと思った。

 

12.Fantôme Iris(ARGONAVIS from BanG Dream!)2019年

こちらは、バンドリ!ガールズバンドプロジェクトの派生作品であるボーイズバンドプロジェクトである。そのうち、今年冬リリース予定のゲームアルゴナビスfrom BanG Dream! AAside」に登場予定のバンドの一つがFantôme Irisである。少し前に、実際にシーンで活動しているバンドであるシドが楽曲提供をすることも発表されている。まだバンドストーリーが発表前なので、公開されているビジュアルと設定、楽曲を基に考えていこうと思う。

ビジュアルは、黒基調で、正統派のゴシック耽美系でまとまっている。ボーカルめっちゃ王子じゃん、と思ったらリアルフランス貴族だった。「ようこそ白銀の百合咲き乱れし夜会へ。」*7というセリフが添えられて耽美系のバンドってこういう感じだよね…と妙に納得してしまった。リアル。他にも女形がいたり、ヴァンパイア設定の人がいたりと、なんかありそうな感じである。唯一少しだけ違和感を持ったのは、ギターの洲崎遵。中の人がイベントで「ヒャッハーしちゃってる」と述べている*8通り、狂気的な笑みを浮かべ、首に棘の付いた衣装を着ており、どちらかと言えばネオ・コテっぽさがあり、他メンバーの耽美っぽさからは若干浮いているような?この辺りはやはり「ヴィジュアル系ってこういうの」を詰め込んだ結果なのかなぁと言う気もする。でも、全体的に見れば衣装やメイクは結構リアリティがあるかなと思う。あと、竿隊の楽器が一人ひとり個性的に描かれているのも面白い。御劔のギター可愛い。

楽曲は、前述の通りシドが担当しており、現段階で発表されているのは「銀の百合」で、MVも公開されている。元シドギャからすると「あ~明希曲~」となる感じである。おどろおどろしげなイントロや起伏の少ないAメロがゴシック耽美系のバンドの曲っぽい。「月夜に照らされて光る」や「深紅の夜に溶ける」といった歌詞の退廃的さもそれっぽい。そしてMVなのだが、あまりにも所謂「耽美系・コテ系あるある」過ぎて驚いてしまった。最後の晩餐か?という大きなテーブルに着くメンバー、絡まるチェーンと飛び交う羽根、籠に入れられたぬいぐるみ(これをみて洲崎遵がマスコット的ポジならありなのかもと思ったりした)、教会での演奏、飛び散るガラスの破片…あまりにもてんこ盛りである。前の記事で紹介した不破尚(スキップ・ビート!)の「Prisoner」くらいの盛り盛り度である。ここまで一つの曲に詰め込むか?というのはあるが、あまりにも既視感があるからリアル…と言いざるを得ない。是非他の曲も早く聞きたいものである。

 

***

以上、90年代~現在までの2次元作品に登場するヴィジュアル系バンドについて1つずつ考察してきた。どの作品に登場するバンド(キャラクター)も「ヴィジュアル系」を表すために様々な設定や工夫が施されており、調べていて興味深かった。元々知っていた作品も、こうして他の作品と並べてみると、カラーがはっきりして面白い。しかしながら、こうした設定や工夫が実際には「ヴィジュアル系」を表すことからはズレてしまっていたり、時代にそぐわなかったりすることがあるということが分かった。ここでは全体を通して感じられたそうした違和感についてまとめたいと思う。

 

①謎のファーの存在とお兄系との混同?

これは特に前半の記事に登場した作品(2012年以前)に多く見られた傾向である。だが、コテ系または耽美系っぽい黒っぽい衣装に肩からファーを担いだキャラクターが複数の作品で登場しているのである。しかし、実際に衣装で大きなファーを担いでいるヴィジュアル系バンドマンというのは、そんなにいない。実際に肩からファーを担いでいるのは「BELIEVE」の時のSOPHIA松岡充くらいだと思う。あれは松岡充だから為せる業である。多分。だからコテコテ衣装+でかいファーという組み合わせがよく登場するのはやはり違和感がある。

前の記事でも述べた通り、恐らくこれは2006~8年頃に流行していた「お兄系」のファッションとの混同に起点があるのではないかと筆者は考えている。ヴィジュアル系の要素を取り入れたファッションである「お兄系」をヴィジュアル系そのものと混同してしまっているのではないかと思うのである。ファーではないが、「妖かし恋戯曲」のキャラクターの衣装もお兄系との混同らしきものが見られた。こうした勘違いが微妙な違和感を演出してしまっているのかもしれない。

 

②系統混ぜすぎ問題

筆者はヴィジュアル系のことを自由と多様性のあるジャンルだと思ってはいるが、バンド単位で見ればそれぞれテーマやカラーがあり、統一感のあるバンドが多いと思っている。バンドごとに、コテ系、耽美系、オサレ系、キラキラ系などそれぞれのバンドが得意とする方向性(時には近い方向性を併せ持っているバンドもいるが)に合わせた音楽やビジュアルを提示しているということである。しかし、2次元作品におけるビジュアル系は、「それとそれ並ぶ?」という系統を混ぜていることが度々見受けられる。コテ系っぽい衣装でまとめたビジュアルだけど音楽は非常に爽やかであったり、コッテコテのボーカルにめちゃくちゃカジュアルな格好のギターが並んでいたり、コテ系、キラキラ系、耽美系なビジュアルのメンバーが全て同じバンドに混在していたり、といった形である。ビジュアルと音楽を切り離し、メンバー同士を切り離して考えれば上手く文化を取り入れていたとしても、同じバンドに共存してしまうと「ごった煮」感が出てリアルさがぐっと下がってしまうと思う。様々なヴィジュアル系っぽさを見せてくれようとした結果なのかもしれないが、逆に微妙さが生まれていて勿体ないなと思った点である。

 

③「ヴィジュアル系=コテ系や耽美系っぽいもの」という記号化

一番気になったのは、やはりこの部分である。今まで紹介してきた2次元作品におけるヴィジュアル系の殆どは、コテ系や耽美系と呼ばれる黒っぽさや豪勢さのある派手な衣装やメイクでまとめたビジュアルに、退廃的、ゴシックな要素のある(見ようによっては厨ニ病っぽさがあるものもある)楽曲を演奏しているバンドであった。こうした系統のバンドは確かに実際のシーンにも多数存在している。

しかし、前にも述べた通りヴィジュアル系というのは実際は結構多種多様であり、自由と多様性のあるジャンルである。特に2000年代(ゼロ年代)以降はオサレ系やキラキラ系といった、カラフルだったり、ポップだったりするバンドも多数登場しているし、オサレ要素を加えたコテ系もいる(コテオサ)。90年代から現在に至るまで黒っぽさとは真逆の白系と呼ばれる儚さや清廉さを表現するバンドもいるし、和風バンドも今や定番である。にも関わらず、2次元作品におけるヴィジュアル系は今も殆どがコテ系や耽美系ばかりなのである。実際、記事で紹介した中で他の系統と言えるのはキラキラ系らしい「Flyme project」のDRINK MEや、オサレ系らしい「バンギャループ」のZerOくらいだろう。オサレ系やソフビを主として聞いて育ってきた筆者としては、やはりこの記号化に違和感を持たずにはいられないのである。

アニメやゲームで実際にある文化を扱う場合、流行をタイムリーに取り入れるより少し後から「っぽさ」を抽出することの方が多いのではないかと思うので、ゼロ年代くらいまでは黒っぽいバンドが多いのも頷けるが、それ以降はより多様化が進む時代に入ってくる。2次元作品のヴィジュアル系はその辺りで時が止まってしまっているものが多いように感じてしまうのだ。あと、オサレ系やキラキラ系っぽいバンドのキャラクターはヴィジュアル系という枠組みではない形で2次元の作品に登場しているような気もしている。(例えば、「DYNAMIC CHORD」の[rêve parfait]や「ROOT∞REXX」のREXXなんかがそんな感じ。) あと、2次元だとアイドルジャンルの方にそういった雰囲気を持ってかれてる気もしている。(それを悪く言うつもりはない。)

まあ言ってしまえば、2次元の作品というのはあくまで2次元であり、現実とは違うものである。誇張表現や記号化が主であるものに関してこうして「リアル」であるか?を考えること自体もしかしたら見当違いのことなのかもしれない。制作側ももしかしたら「それっぽさ」があればよく、「リアルさ」を重視してはいないのかもしれない。

しかし、人が作った表象は程度の差はあれど何であれ実際の世界を映すものだろうし、バンドが登場するとなればある程度「現実感」を考えずに作ることは難しいだろう。受容する側だってそれを期待しているところがあると思う。実際の文化の流れを汲まず時が止まったままでいるというのは、そうした現実感からの乖離に近づいてしまうことではないかと思う。そうなればある種の古臭さだけが残ってしまう可能性もあると思う。

筆者は今20代半ばで、丁度ネオ・ヴィジュアル系が盛り上がっている時代をヴィジュアル系と共に生きてきた世代だ。古き良きも勿論好きだけど、それだけがヴィジュアル系って思われるのはやっぱり悔しいし、普段ヴィジュアル系は聞かないけど2次元は好きって子たちにヴィジュアル系のキャラってなんかずっと同じような感じの人しかいないよねって思われるのも正直悲しい。これから出てくる作品ではどうかポップなバンドもヴィジュアル系として沢山登場してほしいなと思う。

 

長くなってしまったが、以上が、元ばんぎゃるである筆者が感じた「違和感」のまとめである。最後に、主題である「2次元のヴィジュアル系は「リアル」であるのか?」という問いについての結論を述べて締めたいと思う。

「2次元のヴィジュアル系は、作品ごとに言えば、非常に「リアル」であると言えるバンドもいる。しかし、どこか違和感のあるバンドもいる。「ヴィジュアル系」というシーン全体で考えると、時が止まったような感覚を覚える部分があり、現在のイメージから言えば「リアル」とは言い難い部分が大きい。」といったところだろうか。

これからも2次元のヴィジュアル系の動向には注目していきたいなと思う。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

 

(何かありましたら、マシュマロかTwitter:post_siteimasuまでどうぞ。)

 

P.S. 完全に余談なのだが、今回扱わなかった「ビジュアル探偵明智クン!!」というヴィジュアル系の探偵が活躍する作品の2巻の表紙で、明智クンが取っているポーズ*9と、「SHOW BY ROCK!」のアイオーンのポーズ*10と「ヒプノシスマイク」の四十物十四のポーズ*11や、今回は取り上げていないが「SKET DANCE!」のダンテ*12のポーズがほぼ同じであり、「このポーズってヴィジュアル系っぽいポーズとして定着しているんだな…」と思ったりした。何となく分かってしまう所が悔しい。

 

[5/22追記]

ありがたいことに、引用で感想を書いてくださった方がいらっしゃったようで…

嬉しいです。ありがとうございます。

ご意見を頂いたJZEIL(DAIIGOのいたバンド)もファーをまとっていたような(ジャケットだったのかも)…?の件、JZEILに明るくないので調べてみたのだけど、ファージャケットもあったけれど、確かにジャケットの襟元に黒いファーをあしらっているっぽい衣装がありました!!DAIGOはDAIGO☆STARDUST時代もカジュアルにお兄系な感じだし、DAIGOになってからも蝶の羽とか背負ってるし、ファーくらいまとっててもおかしくない気がする(?)

スターも沢山ありがとうございます。

*1:「News | FlyME project」http://flymepro.com/news/

*2:「aboutFlyMe | FlyME project」http://flymepro.com/about/

*3:V系×人気男性声優陣がコラボ! 謎に包まれた「FlyME project」ってなに?」https://www.excite.co.jp/news/article/E1422856870742/?p=2

*4:同上

*5:『Bad Ass Temple Funky Sounds』Drama Track「不退転の心は打ち砕けない」より

*6:同上

*7:「キャラクター紹介 | アルゴナビス from BanG Dream! AAside(ダブルエーサイド)」https://aaside.bushimo.jp/characters/#tabs1-f

*8:「“ファントムイリス”キャストが初お披露目! 池袋に“ゴールライン”が響く『ARGONAVIS』ステージをレポート」https://www.bs-log.com/20191123_1382881/

*9:こちらを参照「まんがタイムきらら - 作品紹介ページ - まんがタイムきららWeb」 http://www.dokidokivisual.com/comics/book/past.php?cid=132

*10:こちらを参照 「シンガンクリムゾンズ | TVアニメ「SHOW BY ROCK!!」」http://showbyrock-anime.com/character/shingancrimsonz/

*11:こちらを参照「CHARACTER|音楽原作キャラクターラッププロジェクト『ヒプノシスマイク』オフィシャルサイト」https://hypnosismic.com/character/nagoya/14th_moon/

*12:こちらを参照「『SKET DANCE』出演&劇中歌のGACKTインタビュー | アニメイトタイムズ」https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1308937924

2次元とヴィジュアル系 前編ー2次元のヴィジュアル系バンドは「リアル」か?

元ばんぎゃる的に、オタク的に、結構ずっと気になっていることがある。

アニメ、ゲーム、漫画などの――つまり、「2次元」の作品におけるヴィジュアル系バンドの存在についてである。

 

2次元の作品には「ヴィジュアル系バンド」とはっきり冠したバンドのキャラクターがそこそこの頻度で登場する。冠していなくても明らかにヴィジュアル系を意識しているバンドもそこそこ登場する。

一般的に「派手」なイメージが定着しており、元々長いこと2次元との親和性が高いと言われてきているヴィジュアル系なので、登場頻度が高いのもおかしなことではないだろう。

 

しかも、作品展開で楽曲がリリースされる際には、本家本元のヴィジュアル系バンドが楽曲を提供したり演奏を担当することも多くある。

私がこの話題を思い出したのも、先日の記事で触れた「ヒプノシスマイク」に登場する四十物十四(14th Moon)がヴィジュアル系バンドマンであるという設定であり、彼の楽曲を実際にヴィジュアル系シーンで活躍しているバンドであるLeetspeak monsterが提供していること *1 や、

つい昨日「ARGONAVIS from BanG Dream!」のゲームに登場するヴィジュアル系社会人バンド・Fantôme Irisの楽曲を長年ヴィジュアル系シーンを引っ張っているバンドであるシドが提供するというニュース*2を目にしたことがで切っ掛けである。

 

このように、正直ヴィジュアル系バンドブームは少し落ち着いてしまっているように思える現在も、2次元にはヴィジュアル系バンドがそこそこ登場する。

つまりこうした設定は、2次元において流行り廃りのある設定というよりかは、ある種普遍的なものになっているようにも思えるくらいである。

 

しかしながら、バンギャの目線でこうした現象を見ていると、些か気になる部分がある。

それは、2次元に登場するヴィジュアル系バンドたちは「リアル」であるのか?ということである。

 

実際にバンギャをやってきた私から見ると、「2次元のヴィジュアル系」にはたまに「うーん、なんだか勘違いしてない?」と思う部分もあるように思えるのである。これは、友達のバンギャと話しているときにも話題になったことがあるので、私という一個人だけが思っていることではないのだと思う。

 

ヴィジュアル系興味ないよ―という方々からすると、「ヴィジュアル系」と聞いて思い浮かべるものはもしかすると結構ワンパターンなのかもしれない。

しかし実際は、ヴィジュアル系と一口に言ってもバンドの雰囲気も音楽も様々である。その多様性というか、自由度の高さがヴィジュアル系の一つの魅力なのではないかとも思える。

2次元のヴィジュアル系は、それこそ上述のように「リアル」に活躍しているバンドが楽曲を提供することも多い。そのようにリアルと交わるような形で制作されているにも関わらず、妙なステレオタイプが作り上げられているというか、記号化が行われてしまっていることが多い気がしてしまうのである。

(アニメや漫画というのは、ある程度物事を大げさに書くものであるから、リアルの「ヴィジュアル系」の有名な部分や目立つ部分を抽出してパロディ的に扱っているという部分も大きいのかもしれない。)

 

この妙な記号的な設定の存在というのが、実際は結構多種多様であるリアルなヴィジュアル系に触れてきた人間にとっての「違和感」になっているのではないかと思うのだ。

 

まあでも逆に、そうした2次元のヴィジュアル系の設定が「ありそう」なものであることも勿論多々ある。

そこで私は、その「違和感」の正体とは何であるのか、そして2次元のヴィジュアル系がどこまで「リアル」であるのか――そもそも2次元のヴィジュアル系は「リアル」であるのか、ということについてごく簡単にだが考えていきたいと思う。

 

考えるにあたり、実際の作品やキャラクターを取り上げて検証していきたいと思うのだけれど、該当するようなキャラクターが登場する漫画やアニメ、ゲームは細かいものも含めれば数多くある。それを全てここで網羅するのは難しいだろう。

そのため中心とする対象を絞りたいと思うのだが、今回は「リアル」という観点に着目したいので、より現実に近いスタイルを持った作品やキャラクターを中心に取り上げたい。そこで、基本的には実際に楽曲が制作・発表されている作品やキャラクターを中心に考察し、補完的に漫画など視覚のみで登場するキャラクターを紹介したいと考えている。初めに挙げた2作品のように、実際に活動しているヴィジュアル系バンドが楽曲を提供している場合には、提供元と提供先の毛色の相違も比較できるだろう。

また、リアルのヴィジュアル系バンドは基本的に男性メンバーで構成されていることが殆どで、女性メンバーが所属する場合もあるにはあるが、圧倒的に数が少ない。そのため今回扱う2次元のヴィジュアル系においても基本的には男性メンバーで構成される設定のバンドを取り上げることとしたい。

 

そして前述の通りこうした2次元のヴィジュアル系は、そこそこ前からコンスタントに登場しているので、もしかすると年代によって変化している特徴というのもあるかもしれない。折角の機会なので、古い方から順番に比較も交えて検証していこうと思う。

 

最後に、この記事での「ヴィジュアル系」「V系」の意味合い、また「リアル」なヴィジュアル系というのは、ある程度は一般的な解釈に基づいて入るけれども、最終的には私が今までライブや雑誌やはたまた友人との会話など、経験上体感してきたものを元にしている。そもそも「ヴィジュアル系」という言葉自体指し示す対象がはっきりと固定されているわけではないと思うので、決まった意味に合わせて考えていくのは難しいかな、と思うためだ。そのため、人によっては「違うんじゃない?」と思う部分ももしかしたらあるかもしれないが、そこはご理解願えればと思う。(もし大きく認識違いをしている部分へのご指摘などありましたら、マシュマロかTwitter : post_siteimasuまでご連絡ください。)

本記事の記載において、取り上げる作品やキャラクター自体を批判・攻撃する意図は一切ないということも、申しおきたい。

 

前置きが長くなってしまい恐縮だが、ここから実際に考えていこうと思う。

***

(タイトル横の年数は作品またはキャラクターの初出年を記載。)

 

1.NOIR(卓球とハードロックと僕。)1996年

参考になりそうと思った作品の中で一番古いのはこれ。タイトルは「ハードロック」だけど、登場するバンドは完璧にヴィジュアル系で、漫画の紹介文でも「人気ヴィジュアル系バンドNOIR」となっている。人気ヴィジュアル系バンドNOIRのボーカルは実は高校3年生で、卓球部の部長を掛け持ちしているという設定で、彼やメンバー、後輩部員の日常が描かれる4コマ漫画。

メンバーのビジュアルは長髪をセットして、黒い服を着るといういかにも90年代ヴィジュアル系な雰囲気。描かれる日常もライブ風景やラジオ番組でのファンのメッセージなども結構リアルな雰囲気。その辺りを色々な所で見聞きした当時の状況と照らし合わせると、結構リアルだな、と思う。(90年代をリアルに生きてきた世代ではないのであくまで聞きかじりの知識だけど…。)そのリアルさにボーカルが高校生で卓球部員という要素が加えられることで上手くギャグに仕上がっていて面白い作品。

 

2.Λucifer(快感♡フレーズ)1997年

比較的古いものでヴィジュアル系バンドが登場する作品というと、やはりこちらが思いつく。よく内容がツッコミどころ満載なことについて触れられているが、今回はそれは置いておこう。ビジュアルは、黒髪短髪~長髪派手髪までいるし、恐らく革であろうジャケット、黒ハイネックのノースリーブやハーネスなど、一昔前のコテコテな感じにまとめられている。にしては化粧が薄めな感じがするなぁという印象はあるけど、90年代だとブームもあるし、ソフビも流行っていたし、大きなバンドは段々化粧が薄くなるのが常である。Λuciferは作中で東京ドームの公演を行っている描写があり、かなりの大人気バンドなので年代を考えると割とリアルなのかも?と思った。

Λuciferは楽曲提供ではなく、実際に同名のバンドが合わせてデビューという形だったから、見た目は結構寄せている部分もあってソフトな感じだし、曲も結構キャッチーだなという感じ。なんだけど、タイアップ曲の歌詞は、なかなかのクサさがあって、ソフビっぽいのにそんなに中二なことある!?という印象もある。まあそもそもこの物語の事の始まりが、主人公が落とした中二病全開な歌詞をボーカルの咲也が拾って使うことなので敢えてそういった仕様なんだろうけど、その部分だけ妙に作られている感が強くて(アニメっぽいというか)リアルではないかなと思った。(タイアップの作詞をしているのはメンバーではなく作詞家さんだし。)しかしまあ、劇中のキャラクターの素行の悪さはある意味リアルかもしれないが(?)

ちなみに現在、主人公と咲也の2人の息子が登場する続編のゲームがスマホアプリでリリースされていたり*3する。息が長い作品である。片方の息子もコテコテの衣装を着用しているが、何故ファーを肩に纏うのだ。(後述)

 

3.不破尚・VIE・GHOUL(スキップ・ビート!)2002年

こちらの作品は、主人公がずっと尽くしてきた歌手の男性に捨てられた復讐のために芸能界に入り、次第に演技の楽しさを知っていくというサクセスストーリー。その復讐相手というのが、不破尚である。

彼はバンドマンではないが、ヴィジュアル系ロックシンガーという肩書で自分で作詞作曲をして歌を歌っている設定であり、作中では主人公が共に出演するヴィジュアル系らしいPVを撮影するストーリーもある。このPVが90後半~00年代のコテ系や耽美系の「あるある」な感じで調べていて唸ってしまった。笑 アニメ版で実際に映像が制作されているのだけど、天使と悪魔が恋に落ち、最終的に天使が堕天してしまう設定、チェーンの付いたコテコテの衣装、楽園にいる綺麗な女性の出演、羽が飛び交う演出…と「うわ~わかる~」が盛りだくさんである。曲もオルガンの音に重ねたギター音、「残酷なほど美しい愛に」といった程よく退廃的な歌詞など、懐かしさを感じてしまう。声を担当しているのが宮野真守なのだけど、彼のビブラートを効かせたやや誇張気味の歌い方も一昔前のコテ系っぽくてハマっている。漫画の該当巻の発売が2004年頃なので、タイムリーにその時代のヴィジュアル系要素を取り入れていて、バンドではないけどリアルだなと思った。実際シーンでもソロの人も結構いるし。(個人的には少し前のDAIGOを彷彿とさせるものを感じたりした。)

ちなみにこの作品には他にも、尚のライバル的な位置づけでVIE・GHOULというヴィジュアル系バンドが登場するが、こちらもコテコテの黒衣装や銀髪などコテ系っぽさがある。ボーカル霊能力者だけど。(棺桶に薔薇を敷いて眠っているという設定も如何にも漫画的ではあるけど、耽美なイメージ作ってるバンドマンなら言いそうな気もする…。笑)

 

4.七瀬瞬/ヴィスコンティVitaminX)2007年

こちらは乙女ゲーム。攻略キャラクターの一人がバンドマンという設定である。作中では単にインディーズバンドとのみ言及されているが、瞬のキャラクター設定が「ヴィジュアルクール系」*4であり、キャラソンの紹介文も瞬のキャラに合わせて「ヴィジュアル系風の楽曲」*5に仕上がっていると記載されているため、今回は扱うことにした。

瞬はベーシスト兼バンドリーダーという設定である。彼以外のバンドメンバーは攻略対象ではないため、ストーリーにあまり関与しないようであるが、ビジュアルは登場しており、OADアニメ版の制作記念としてバンドの楽曲も制作されている。楽曲は疾走感があってカッコいいけど、爽やかで軽めな感じがそこそこコテコテな見た目と反していて何だか「うーん、ちょっと違う気がする」という気持ちにさせられる。歌を担当しているのがボーカルの祐次のCVとは別の歌手の方で、その歌声もかなり爽やかなのもあるかも。(ちなみに私は歌手の方の人のファンなのだけど、ヴィジュアル系がどうのを置いておくとライブパフォーマンスがかなりカッコいいのでとても好き。)歌詞もちょっとアニメっぽいクサさが強くてうーん…といったところ。この感覚って何なんだろう?歌詞中の英語の使い方とかだろうか。瞬のキャラソンもあるのだけど、歌詞の岩崎大介節が強すぎるのでヴィジュアル系がどうとかで判断ができない。岩Dは岩Dなので…。

あとどうしても気になるのが衣装である。瞬のステージ衣装は肩から襟に沿って大きなファーが付いている。彼は制服姿でもバンドマンらしい出で立ちをしているが、やはり肩からファーを乗せている。祐次なんてカッチリとしたジャケットの襟に合わせてファーが付いている。何故だ。何故そんなにもファーを担ぐのだ。まあお兄系が流行った時に私服でファーの付いたコートとか着ているメンバーはいたし(私が好きだったバンドマンは当時を思い返し「ダッセェファーのついたジャケット着てた」と述べていた)、制服の方は100歩譲ってアリかもしれない。(2007年頃って丁度お兄系が流行していた時期だし?)しかし、実際に衣装で大きなファーを担いでいるヴィジュアル系バンドマンはそんなにいない。全身モコモコとか羽を肩に乗せてる人はたまにいるけど。だからこのコテコテ衣装にでかいファーというビジュアル設定にはすごく違和感がある。

この「大きなファーを肩から担いでいる」というビジュアルは、他の2次元のヴィジュアル系でもそこそこ頻繁に見かけるものであり、2次元のヴィジュアル系において割と記号的に用いられている設定のように思える。しかし、上で述べた通り実際のヴィジュアル系ではそういう衣装をまとっている人はそんなにいない。ファーを担がせておけばそれっぽく見えるというステレオタイプが何故か出来てしまっているように思えるが、これはリアルではないように思う。こうした傾向って、もしかするとリアルの「ヴィジュアル系」と、その要素を取り入れたファッションである「お兄系」を混同して扱ってしまっていることに起点があるのでは?と思ったりした。ヴィジュアル系のファッションを取り入れたお兄系の要素をヴィジュアル系の要素そのものと思ってしまっているというか…。しかし、それとは逆にドラマーの衣装に袖がないのは高評価である。ドラマーは袖をなくしがちなのである。そこはリアルだ。

 

  1. Dampire(Diabolic Garden)2008年

ヴィジュアル系が出てくる作品知ってる人いる!?」と呼びかけたら友達のバンギャが教えてくれた漫画。悪魔封印師が主人公であり、依頼を受けて悪い悪魔を封印していくストーリーである。Dampireは作中に登場する悪魔と人間が組んでいるバンドである。筆者は本作を読んだことがないので、ビジュアルだけの判断になってしまうが、首輪の付いたコテコテの衣装やアイブロウのピアス、M字バングにメガネに口ピにゴシック調の衣装、そして何よりキュッと上がった短い眉毛がゼロ年代ヴィジュアル系あるあるといった感じでとてもリアルである。この作品の絵を見ていて、眉毛の雰囲気って結構重要だなと思った。本作自体がゴシック色の強い作品で、バンド以外のキャラクターもゴシック&ロリータやパンクファッションに身を包んでいるし、著者の方がV系やゴシックに詳しい方なのだろうなと思う。

 

6.ReVott(DEATH EDGE) 2012

こちらの作品もゴシック色の強い作品。人間に侵食して憎悪を増幅させようとする天使を退治する異形と人間に取り憑いた天使が「視える」ようになった少女のバトルストーリーである。作中で異形の一人である夢魔のキャルロットが趣味のゴシック・ブランドの服を買いに行く時に出会う男性がヴィジュアル系バンドのボーカルであり、キャルロットがめちゃくちゃ早番のチケットを渡され(仕方がなくだが)ライブを見に行くシーンも描かれている。(そして黒い服の女の子しかいないから魔女集会(サバト)と勘違いする。)

バンドは3人組で、メンバーに一人女性がいるが、殆ど出番がないため今回はこの作品も扱うこととした(まあ実は女性がいても炎上しない理由らしきものが描かれたりもしている)。ライブが始まると、ボーカルは半裸に首輪とロンググローブ、ギターの女性はへそ出しでロンググローブ、ベースの男性はノースリーブの黒Tに首にストールを巻いている。すぐに脱ぐバンドマンはいるが、初めから半裸で出てくるバンドマンはあまりいないぞ!?ストールの男性は割とカジュアルな出で立ちなのでボーカルのコテコテ感とのちぐはぐ感もあり、ファンタジーだな…と感じてしまう。スカーフに関しては突然オサレ系が混ざってしまったのか、やはり4.同様お兄系が混同されてしまっているのかという感じである。

しかし、バンドはファンタジーな雰囲気だが、一部のお行儀のよくないバンギャの描写は結構リアル。最前の割り込みや自分を勝手にメンバーの特別な存在だと思い込んでいるファンの描写など…(そこに天使が漬け込んでくるのだけど)妙にリアルで、連載当時読んでいて「わぁ妙にリアル~…」と思った記憶がある。ちなみにバンドメンバー以外の服装もゴシック調で可愛い。

 

7.シンガンクリムゾンズ(SHOW BY ROCK)2012

こちらは、当時「サンリオ、どうした!?」と話題になったバンドもののキャラクタープロジェクトである。(サンリオはサンリオタイムネットの頃から突然こういうことをする。)本作の登場人物はミューモンという獣人のキャラクターであり、人の姿に変身した時も獣耳が付いている。沢山のバンドが登場する中のひとつが、シンガンクリムゾンズである。

公式で「痛い中二病全開の、V系ロックバンド」*6と言われている通り、チェーンやスタッズ、十字架がふんだんにあしらわれたゴテゴテの衣装をまとい、「オレ達は深紅色の心眼でこの澱んだ世界を見続けル・・・。」というキャッチコピー通りの中二病全開な歌詞がついた曲を演奏している。薔薇を咥えていたりもして、メンバーのアイオーンには耽美系っぽさもある。楽曲は複数の作詞作曲者が提供しているので曲によってやや雰囲気が違うが、コテコテの見た目とは裏腹に爽やかすぎるかな?というものもある。4.のヴィスコンティ同様、ややアニメライズされてしまっている感がある。しかし、重めのドラムや重なるギターが響く曲もあり、「あ~っぽいな~」と思わされる曲もあるのでそこそこリアルかもと思う。元DELUHIのLedaが提供している曲もあり、こちらはリズム感やサビで突然入るファルセットなどコテ系っぽさに忠実であり、やはりシーンがわかっている本家のバンドマンが作った曲という感じである。

歌詞は全体的に漆黒や深紅や囚われの鎖や月といったワードが頻繁に用いられている。昨今のヴィジュアル系だとコテ系や耽美系でもここまで直接的に黒っぽいワードを盛り込みまくっている所も少なくなってくるし、やや誇張気味なのが気になってしまうが、シンガンクリムゾンズは設定自体が「中二病全開」ということで敢えて誇張されているのだと思うしこれで良いのだろう。ただ、このあたりの年代の作品になってくるとやっぱり作り手が「ヴィジュアル系ってこうでしょ?」というイメージで取り入れてくるものが所謂「コテ系」や「耽美系」っぽいものばかりなのが気になってくる部分がある。ヴィジュアル系=コテ系っぽいもの+耽美要素という記号化が行われてしまっている気がする。

そして、やはり気になるのは衣装である。だからなんでそんなに大きなファーを肩に担ぐんだ!?クロウの衣装、シャツの裾がボロってなってる所なんてそれっぽいのに肩がモコモコしているのだけ気になる。ロムもなんでトップス上から下までモッコモコなの!?やはりファーを付ければヴィジュアル系っぽいという謎のステレオタイプが作られてしまっているらしい。ファーってゴージャスだし、画面映えするのもあるだろう。クロウたちはコテっぽいのに、アイオーンはゴシック耽美系でそこが混ざってしまっているのもやや違和感がある。

あともう一つ「これはリアル!」だと思ったのは、ボーカルのクロウが他メンバーと比べて圧倒的に背が低いところだ。勿論全員がそうではないのだが、ヴィジュアル系バンドって何故かボーカルの身長がやや低めな所が多い*7。あと眉毛の角度もリアル。

 

長くなってしまったので、これ以降は次の記事で後編として書きたいと思う。

2次元のヴィジュアル系は、元のヴィジュアル系シーンの流行をタイムリーに取り入れているわけではなく、後から「ぽさ」を抽出しているのだと思うからゼロ年代くらいまでは黒っぽいキャラクターばかりなのも頷けるのだけど、このくらいの年代ならオサレ系やキラキラ系も現れて少し経つし考慮して欲しさはある。でも、誇張と記号的表現が主である2次元作品にそれを求めるのは難しいのだろうか…という気もする。でもそういうイメージだけを追いかけていってしまえば、あまりにもリアルからは乖離してしまい、ある種の古臭さだけが残ってしまうのではないかという危惧もあり。私はやっぱり折角だから2次元ヴィジュアル系にもカッコよくいてほしいのだ。その辺りが気になってきてしまうのが、後編で紹介する2010年代の後半にかけての作品である。

また近いうちに更新します。