ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

表拍に馴染めない

ここ数年推しが度々レビューやライブパートのある舞台作品に出たり、アイドル出身のグループを好きになってライブに行ったりと

キンブレなどのペンライトを振る機会が格段に増えた。

 

昔から好きな歌手の方はライブでは物販で買い物するとサイリウムがもらえたりしたので、全く振ったことがない訳ではなかったが、元々ずっと行っていたヴィジュアル系のライブはペンライト文化がほとんどなかったため*1、あまり馴染みがなかった。

(当時観に行っていた舞台はショーパートのあるものは殆どなかったし)

 

4~5年前にKING OF PRISMの応援上映に誘われた時に初めてキンブレを購入して、めちゃくちゃ明るくて簡単に色が変えられるので感動したのを覚えている。

当時は買ってからもそんなに使う機会がなかったので上演中に思った色を探すのに手間取ってしまっていたけど、最近は使う機会が増えたので感覚的に色を探して使うことが出来るようになった。

キンブレ以外にも様々な作品で売り出される色とりどりのペンライトやバルーン型のライトなど、多種多様なペンライトに触れたことで、「ペンライトを振る」という行為そのものには随分慣れたなぁと思っている所である。

 

しかし、「ペンライトを振る」こと自体には慣れても、中々慣れないこともある。

 

ライブに行っていた時は、アップテンポな曲でヘドバンや特別なフリがない場合は、拳を挙げて振ったり、音に合わせて両手を交互に前後に動かす(所謂手バン)のが常だった。

その際は所謂"裏拍"でリズムを取り、手を動かしていた。確か初めて行った時からそうしていたと思うし、周りの観客も殆どがそうしていたと思う。また、ジャンル内のどのバンドを見に行っても、大抵はどこのファンも裏拍でリズムを取っていたと思う。*2

つまり言ってしまえば、裏拍でリズムを取るということが当たり前だったのである。 

 

しかし、アイドルものやライブパートのある舞台、アイドル出身のグループのライブによく足を運ぶようになり、長年の"当たり前"が逆に新しい現場での違和感を生むこととなった。

私の周りでペンライトやスティックライトを振るファンの人々の多くは、曲に入るタイミングからライトを振り始めており、所謂"表拍"でリズムを取っていた。人により、曲により多少振り方やタイミングにバラつきはあるが、表拍でリズムを合わせるというのがかなり多数派であるようだった。(正直現場によりけりな部分もあると思うので一概には言えないかとは思うが、私が今まで足を運んだ作品やアーティストは体感的に多いなと思った。) 折角舞台やライブの現場に来ているのだから、違和感なくある程度の一体感も楽しみたいと思う私は、なるほど、と思いながら周りに動きを合わせてみていた。

合わない。

いや、正確には動き自体は合わせられなくはないのだが、「違和感なく一体感を楽しむ」所からは随分遠い場所にいる気がした。最初は表拍でリズムを取っていても段々慣れたリズムの取り方に寄っていってしまう。すると何となくぎこちない振り方になってしまい、それが気になってちょっと楽しみづらさを感じてしまったのだ。どちらが良いとか悪いとかは無いと思うので、個人的な体感の話だ。

そんなところでテンションが下がるのも辛いので打開策を考えた結果、一拍の中で小さく下に振ってから大きく上に振る方法であれば、裏拍の方でリズムが取れるし、同じ振り方の人も見かけるのでそれに落ち着き、そこまで違和感を覚えることもなくなった。習うより慣れろという感じで通っていると多少表拍から始まる振り方も出来るようになった。

 でもやはり表拍に対してまだそこまで馴染みを感じられるようにはなっていない。

 例え行かなくなっても長年の慣れってそう簡単には覆せないものだな、と思っている。

 バンギャルから他ジャンルへ移行して同じような経験がある人、いるのではなかろうか。

 

表拍でリズムを取るのが多数派の現場に行くと、拍の初めからペンライトを前にかざすのと同時に、何となくぐいぐいと心理的に前に前に進むような、前のめりな熱狂を感じるな、と思う。言葉にするのがなかなか難しいところではあるが、ドンと盛り上がるような感じの。私がバンドに行っていた時は熱狂は熱狂でもそれぞれの芯から湧き上がって放出されたものがなだらかに一つになるような、そんな熱狂だった気がする。

どちらもそのアーティストなり、作品なりを好きな人が集まっているので、同じ熱狂であることに間違いはないのだが、何となく生まれ方や種類が違う熱狂だな、と感じる。それがリズムの取り方を切り口として見えてくるのもなかなか面白いではないか、と思った。(これも正直アーティストなり作品によりけりで、あくまで私の主観としての話なのだけれども)

 

ところで、私の場合拳→ペンライトへの移行でこの違和感を覚えたわけだが、もし今ペンライトを振っている現場が拳になったらどうなんだろう?リズムのとり方変わったりするのかな?と少し気になったりした。ジャンルとして無意識の集合体的に培われてきた文化のようにも思うので変わらないかな、と思ったりもする。*3

*1:ペンライトをグッズとして販売しているバンドもあったし、全く無いわけではなかったけれど、売ってる割にほとんど使わないじゃん…というバンドが多かった。代わりに光り物だと所謂フラッシュリング(ドンキとかに箱で売ってる色んな色にピカピカ光る指輪)を使ったり、私の行ってたバンドだと星型のライトが売られていて手で持ったりはしたけど、あくまで拳の邪魔にならないものが多かった。

あと旗とかタンバリンとか光らない小道具は結構売られてたけど、決まった曲のフリで使うような感じだった。

*2:他ジャンルのバンドのライブにはあまり行ったことがないので他の所がどうなのかは詳しくは分からないけど、昔行ったポップ寄りの邦ロックのバンドはやはり裏拍だったような?気がする。

でもよく見かけるフェスなどでのノリ方を見ていると、人差し指を挙げて手を縦に振る動きが多い気がして、それが多数派だとすると裏拍は主ではないのかなと思った。今回の話にはあまり関係ないけど、調べてみたくはある。

*3:私が今好きなグループは前はキンブレ型のペンライトを販売していたが、今回のライブツアーでは初めてリングライトをグッズで出すようなので、ノリが変わったりするのかちょっと気になっていたりはする。ファンの大多数が完全にアイドルだった時代から来ている人たちだと思うので、変わらないような気もする。

2次元のヴィジュアル系の「リアル」とはーマシュマロの返信ほか

またまたご無沙汰しています。

ちょっと忙しいなと思ってたら急に人事異動があって、そのまま繁忙期に突入して春になってた。推しの舞台も何作かあったんだけど、最近は丁度昨今のアレで最前が何回分も吹き飛んだので正直暫く何もやる気が起きなかった。

そろそろなんとか立ち直ってきたので、気分転換がてら物書きしようかな、と思って書いてる。推しの冬の舞台がすごく良かったのでそのことも書きたいけど今回は別の話を、と思う。

 

久しぶりにマシュマロを覗いたら

ありがたいことにメッセージを頂いていたので、そちらの話を書きたい。

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appleringo.hatenablog.com

こちらの記事(後編もあるよ)を読んでくださったとのことで、ありがとうございます。

実はこの記事、引用で感想をいただいたり、ツイッターで読んだよと書いてくれた方がいたりと、地味に反響があって少し驚いた。

 

頂いたマシュマロにあるような2次元のヴィジュアル系に対するある種の「違和感」について、私の周りでは度々話題に登ることもあったとはいえあくまで自分の周りの話だったので、同じような違和感を抱いている方が他にもいるんだなということを知られたのはとても嬉しい。また、その「違和感」への疑問を多少なりとも晴らす一手段になれていたら光栄です。(そんな大層なものではない)

 

作品について特にマイナーなものは、自分が読んでいた雑誌に載っていたり、たまたま触れる機会があったものが多くて、結構色んな方面から引っ張って来られたのはラッキーだったかな。あとは私の周りにバンギャ兼オタクの子が多いので、割りと他ジャンルでV系の要素が観測されると話題になりやすくて、その辺りも幅が広がった要因かなと思っています。

そもそもそういう形で日々ヴィジュアル系をモチーフにした作品を目にすることが多かったのでその分「何か違うんじゃない?」と考える場面が多かったのかも、とも思ったり。それでもやはり知らない作品もあり、細かい所まで検証するために当時のニュースサイトの記事とかまで調べ上げて色々考えた部分もあったので、そう言っていただけると頑張った甲斐があったな…と感じます。

 

そして最後になんと「っぽい」作品のご紹介までありがとうございます!!知らない作品だったので検索して興味深く拝見しました。

というかメッセージを初めて拝見した時、「サンエックスってあのこげぱん(昔好きだった)の……?いや流石に違うサンエックスだろう」と思いながら検索したらそのサンエックスだったので、まずそこで度肝を抜かれた。SHOW BY ROCK!!がリリースされた時「サンリオ、どうした」とは良く言われていたものだが、サンエックスも同じ波に乗ってきているとは夢にも思わず。よくよく設定を見てみると、ダメージを受けると小動物の姿になる…とあり、モロ意識してるじゃん!という。笑

そもそも昨今の2次元カルチャーの中で音楽メインのキャラクターコンテンツがかなり流行している印象は受けるので、次々と新しい作品が出てくるのは不思議ではないけど、これはサンリオには負けてられんぞという強い意思が透けて見えるな、と思った。笑

 

少し話が脱線してしまったけれども、ご紹介いただいた「セツダン倶楽部」、はっきり「ヴィジュアル系」と明記されていないとはいえ、確かにあまりにも既視感がす~ごい。右の人、犬…にいなかった??

アングラ方面で良く見掛けた「白塗り系」と「和風系」(あるいはレトロ系?)を組み合わせた感じだろうか。どちらも2次元のヴィジュアル系バンドのモチーフとしてはあまり見掛けないので、新鮮に思った。そもそも大半の2次元のヴィジュアル系は、キャラクターとしてある種の記号化が行われる時点で取っつきやすく、スッキリとまとめられる傾向にあると思うので、モチーフの不気味な感じがメイクや雰囲気として残されているのが新鮮。ボーカルの夜雀が拡声器持ってるのも良い。白塗り系にも和風・レトロ系にも拡声器持ってるバンドマン、いるよね……。

曲も聞こうとPVを見てみると、あまりにもおどろおどろしい和風系バンドのそれすぎて唸ってしまった。私も好きだった和風系のバンドがあったので、なんだか懐かしくなった。歌詞の表記に歴史的仮名遣いや古典文法、カタカナ表記が使われたり、「鬼哭啾啾」「晦冥」など「いつ使うんや」な言葉のオンパレードなど「っぽさ」が盛りだくさん。そして極めつけが「貴女」表記……!ゼロ年代を感じずにはいられない。曲調も例えば「朱殷ノ獄門」は歪んだギターの音色で始まるイントロ、激しく速く刻まれるドラムにエコーのかかったボーカルの声で早口な歌詞が乗るAメロ、急にちょっとポップになるサビなど、曲の展開が「っぽい」。作詞や作曲は界隈の人ではなくロック系の得意な作曲家の方がされているようで、細かい部分まで調べて作っているんだな、という印象。

実際の白塗り系はもう少しアングラな雰囲気が強いイメージがあるので、全体的に見るとゼロ年代~の和風系バンドの色を濃く反映しているように思った。前の記事の中で書いたように、大半の2次元のヴィジュアル系において「ヴィジュアル系=コテ系や耽美系っぽいもの」という記号化がされていて、特にゼロ年代以降に細分化された後も他の系統をモチーフにしているキャラクターというのはすごく少ない。そのため、勿論和風系がモチーフに(しかも余り認識のズレがない状態で)なっている作品は殆どないので、貴重な存在だなと思った。

2次元の音楽コンテンツで和風系というと、アイドルコンテンツでは比較的良く取り入れられているモチーフであるように見受けられる。(有名どころだと「あんさんぶるスターズ!!」の「紅月」とか)  ただし、やはりどのキャラクターもすっきり爽やかに纏められていたり、可愛らしくアレンジされていたりと、不気味さやおどろおどろしさを絡めたものは見かけない。そういう意味で、2次元音楽キャラクター界隈においても貴重な存在かもしれない。

白塗り系は90年代後半から見られるかと思うが、和風レトロ系はゼロ年代以降に隆盛した系統かと思う。前にも書いた通り、私はネオ・ヴィジュアル全盛期を生きてきているので、この手の作品において見られる古き良き=ヴィジュアル系という記号化に違和感を持っている。だからこうしてこの世代のバンドをモチーフにしたキャラクターがこうして現れることはとても嬉しいなと思うし、「リアル」を感じられるなと思う。ご紹介いただき、ありがとうございました。

 

若干話は変わるが、この記事を書こうとしている頃、丁度「マツコの知らない世界」でヴィジュアル系特集が放送された。私も勿論見たのだけど、時間の関係もあっただろうし(あの短時間で膨大な歴史を総ざらいするのは難しい)「古き良き」に焦点を当てた特集だったので仕方がないのかもしれないが、「2000年以降はパッとしない」みたいなニュアンスで特に紹介なしで流されてたのはちょっとガッカリした。一般化して見れば、長いジャンルの歴史の中でのゼロ年代ネオ・ヴィジュアル系というのはそのくらいの認識なんだろうな、というのを感じた瞬間だった。そりゃあ作品として落とし込まれる時にモチーフとしては選ばれづらいよな、と思ってしまった。

友人が言っていたが、最初期を見てきた人からするとネオ期のバンドというのは邪道に見えるのかもしれない。(実際この時期のバンドは認められぬというようなことを書いている記事も見かけた。) それでも今もこの文化が残ってるのは絶対に間の世代があったからこそだし、その時期を生きていたバンドに支えられた人も沢山いるんだよ、というのは忘れないでほしいな、と思っている。そのためにもまたこの世代のバンドをモチーフにしたキャラクターが登場するといいなと思う。

 

長くなってしまったけどお返事などでした。

同人誌、急に忙しくなった&文フリに合わせて出そうと思っていて中々折り合いがつかず遅くなっていて申し訳ないです……。今年中には……!

マシュマロのお返事

寒くなってきましたがいかがお過ごしでしょうか。

私は推しの舞台期間が終わったあと

オンラインでトークしてヤッホーと言われたり

WITHの舞台を観に行くなどしていました。

(アサヒのあろまちゃん真似に大爆笑するなどした)

 

さて、だいぶ前に連携してるツイッターではお返ししたのだけど、

すごく嬉しいマシュマロを頂いたので

こちらでも返信しておきたいなと思う。

 

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前々回のエッセイ同人誌を作ります!と告知をした記事を投稿したあとに

頂いたマシュマロ。

普段マロや感想をいただくことがあまりないので、頻繁にチェックをしないんだけど、

(そのせいで気づくのが遅れてしまって申し訳なかった……。)

なんとなくボックスを覗いたらこのメッセージが届いていて、

すごく驚くと同時にすごく嬉しかったです。

 

私は特に創作を書いているわけでも二次創作やってるわけでもないから、

自己満足の部分が大きい記事などを

こうして読んでくださる方がいるというのは奇跡だな~と思っていて。

こんな風に言ってもらえると思っておらず、本当に嬉しいなって。

あ~~また頑張って書こう!という気持ちになるなぁと思う。

 

エッセイ誌の頒布がいつになるか現段階ではわからないけど、頑張って作ります!!

マロを下さった方、本当にありがとうございました!!

 

今はエッセイ誌の原稿書くのに使えそうな理論とかないかな~と本を読んでいて、

積ん読していた川村邦光の『オトメの祈り』を読みながら、〈オトメ共同体〉という〈想像の共同体〉ってネットで繋がってくオタクの集まりにもすごく当てはまるんじゃないかな~と思うなどしている。

(少し前のユリイカでこの「オトメ」と乙女ゲームの「乙女」を結びつけた論考を書かれていた方もいた気がする)

こうして読んだものがどこかしらに活きると良いな。

 

それでは。

 

 

(Twitter: post_siteimasu)

迷い込んだのはとあるダイナーだったー舞台『Oh My Diner』感想

この前観劇した作品の感想。

私の場合大抵は観劇して割と経ってから感想を書くことが多いのだけど(単に書き始めるまでの取っ掛かりが遅いだけ)、今回はすぐ「書いておきたい!」と思ったので、

1週間しないうちにに筆を執っている。

記憶が新鮮なうちに書き残すことを急かしてくれるようなそういう性質の、そう思わせてくれる作品だったのかな、と思う。

『Oh My Diner』という舞台作品である。

 

ある日仕事帰りにツイッターを開いたら、諸星翔希くんが舞台に出るよ!という公式ツイートが目に入った。へーモロの演技まだ生で見たことないから見てみたいなぁと詳細を開いたのがこの作品を知った切っ掛けだった。

詳細を開くとポップなキャストビジュアルが目に飛び込んできて、「可愛い~楽しい感じの作品かな」と更によく見ると、コメディミュージカルで脚本演出が三浦香さんという記述を見つけてなにそれ絶対好きなやつ!!と思った。私は最遊記歌劇伝を毎回必ず観に行っていたり、CLUB SLAZYが結構好きだったり(網羅出来ているわけではないけど…)するので、三浦さんの脚本演出に結構馴染みがある。しかもショーありのコメディとなれば、スレイジーを思い浮かべつつ絶対好きなやつ!!と思ったわけである。キャストさんも知ってる人が多いし、折角だから観に行こう~ということにした。

 忙しくて初めの先行をすっかり忘れててやっちまった…と思ってたんだけど、次の先行で週末のマチソワ取れて良かった!(忘れないでください)

 

当日会場に入ると、すごくポップで可愛いセットが目に入って、それだけでもうワクワクしてしまった。NYの看板を模したポスターの額もすごく楽しい!思わず写真に収めてしまう。

 

開演すると、本当にジェットコースターみたいにあっという間に時間が過ぎてしまうように感じるくらい楽しい作品だった!

どの登場人物もみんなこういう感じの人!って一言で表すのが難しいくらい一癖も二癖もあって、そんな彼らがみんな思い思いに喋って動くから画としてはすごくハチャメチャなんだけど、実は噛み合ってないようで噛み合っていたり、とんでも展開がムードのあるシーンへ繋がっていったりするような軽妙な言葉のキャッチボールがあって、すごくストンと世界に入っていくことが出来た。この辺りの展開がすごく三浦さんだな~と思った。好きです。

そうした言葉のキャッチボールからそれぞれの登場人物の色が見えてきたところで、一人ひとりにスポットを当てて生き方や姿を生き生きと描いてくれていて、そこからただハチャメチャなだけではない、みんなの居場所としての「Oh My Diner」が描かれるっていう流れがすごく良いなぁと思った。私は群像劇的なものがすごく好きなので、メインになってるプリンスやマシュー以外のキャラクターにもしっかり「そこにいる」人間としてスポットを当てて描かれているんだなと思った所が好きなポイントだった。

そして、この作品はオールディーズが沢山歌われるんだけど、どの曲も名前はわからなくても聞いたことのある曲ばかりだからスッと馴染めたし、場面や登場人物にぴったりな雰囲気の曲が選ばれていたのも聞いていてすごく楽しめたなあ。普段テレビとかで聞くことはある曲でも、こんな風に目の前でダンスも見ながらじっくりと聞くっていうことはなかなかないのでそれも新鮮だったし。(一緒に観劇していた母はまさに世代だから全部知ってる~!こんな風に聞けるのはすごく新鮮だねって楽しそうだった。)

ショーパートもキャストがみんな楽しそう~に歌って踊っているから見てるこっちも本当に楽しい~~という気持ちになった。(セットが変わった時はびっくりした)

 

登場人物のことはまた後ほど詳しく触れるとして、

お話ではやっぱり冒頭のSJがマシューと出会ってもしかしてお前…宇宙人――!?宇宙人とトモダチになったぞーー!って勘違いした所からどんどん話がこじれていく一連の流れが本当に好き(笑)SJが「コレ、クツ、ワカルカ?」って宇宙人語(?)で頑張って話しかけてる姿がとても可愛い(笑)

冒頭だとSJがかなりハチャメチャを率先して場をかき回してくれるし、違うと言い出せない感じからマシューの人物像が見えてくるのも面白いし。そこにジョシュアやプリンスが加わって全く噛み合ってないのに「宇宙人の力(ではないが)」という所で微妙に噛み合ってしまってどんちゃん騒ぎになるこの掛け合いの軽妙さ、すごくクセになる……!そのあとのJ.Yザックprojectもめちゃくちゃ笑った。初め、あの部分が完全なアドリブだって知らなくて、2回目観て全く違ったから毎回これを…!?と驚いてしまったりもした。最後まで騙されてたプリンス、俺様なのにおとぼけで可愛かったな。

そして、この宇宙人ネタを見たとき咄嗟にドラマ版のスレイジーでキャスト同士で電話して片や宇宙人のフリをして片や英語でまくし立てたせいで話がこじれてCBが「スレイジーが宇宙人に侵略されたぞーー!!」と叫ぶシーンが思い出されてしまって、三浦さん宇宙人で話をこじれさせるの好きだな!?と思わずフフッとなってしまった(笑)(てかあまり詳しくないけど結構スレイジーの舞台とスタッフさん被ってたね)

 

あとオリビアとキャンディのそれぞれの恋模様も、ちょっと捻くれてるけど可愛かった。最初は言い合いばっかりしてるのに、キャンディが落ち込んだ時はわざとらしくなくさり気なく励ましてくれるオリビア、本当にイイ奴…。一番友だちになりたい。あのシーンは、自分へも言い聞かせてるんだろうなぁと思った。イーサンと仲直りできてよかった。

プリンスが「ごめんなさい」を言えるようになるまでの「ごめんなさい」を聞くたびに効果音とともにフラフラになるシーンも、コミカルなんだけどテーマは至ってシンプルで、みんなが押し付けがましく説得するのではなくプリンスがちゃんと自分で気がつける流れが良いなぁと思った。

 

観ているととにかく登場人物がみんな愛しく思えてくる作品だったなぁと思う。

みんな癖がありすぎるんだけど、夢のために必死だったり、自分の生き方に正直だったり……「物語の登場人物」っぽくはあるんだけど、現実味もあって、そういう部分もスッと入っていける一因だったのかも。折角だから一人ずつの感想を。

 

プリンス

めっちゃくちゃに俺様!で、初っ端から神も愛した俺!って感じで登場するのになんだか憎めないのは、ちょっとおとぼけな所があったり、素直になりきれないけど本当は素直なんだろうなっていう部分が見え隠れするからなのかな。プライドが傷ついた時のプリンスはなかなか衝撃だったけど、結構可愛かった笑

そして登場シーンのターンや倒れる時の身のこなしは三浦宏規くん流石……!といった感じで惚れ惚れしちゃった。なんとなめらかな動き。

あとSJとの日替わりシーンが本当に可愛くて好きだった。前髪を気にするJKの回、とても良かったです(笑)あと衣装がカラフルなのにまとまってて可愛かった。

 

マシュー

宇宙人だと思われて、でもなかなか言い出せない感じはマシューのちょっと引っ込み思案な感じがよく分かる流れだなーと思った。でも最終的に優しさとプリンスの言葉に感銘を受けちゃうくらいの真っ直ぐさを武器に夢を追うぞ!ってなるのがとても愛しい。

J.Yザックprojectのシーンがガチ目なアドリブの日替わりだと知ったとき、増子敦貴くんのふわっとしてるのに強烈なアドリブ力に驚いてしまった。すごいよ……おばたのお兄さんとの掛け合いめちゃくちゃ面白かったもん。結局もっと大きな夢がなんだったのか明かされないままだったから、是非今後聞ける機会があったらいいのになぁなんて思ったり。

マシューズ5もノリノリで楽しそうでとっても良かった!

 

イーサン

実はすごい強個性。闇の部屋に閉じこもっちゃった時の独り言がどれも面白くて思わずフフって言っちゃった。特に○○さんの真似するぞ!で部屋に籠もっちゃったのに「誰だそれ」ってなってたのめちゃくちゃ面白かった。泣かないの可愛いね……。

初めはオリビアの愛にちょっと押され気味だったけど、本当はすごく優しくて、オリビアのことすっごく大切なんだなぁというのが節々から感じられて、最後はちゃんと仲直りできて良かった~~と思った。卵は美味しい。SJとのおとぼけ兄弟コンビも、端の方でわちゃわちゃやってるのがとても可愛かったです。

田中涼星くん別の作品で見たことあったけどやっぱり脚が数メートルある。ダンスも映えるし羨ましいスタイル。

 

リビア

ちょっと捻くれたこと言ってイーサンを困らせちゃうけど、本当は心は素直で真っ直ぐなんだろうな~というのがキャンディとの会話で見えてくる。所々のさり気ないツッコミも味があってとても好き。そして上でも書いたけど、キャンディのことをさり気なく励ます気の遣える優しさがすごく素敵。友だちになりたい。イーサンとのもだもだ感も少女漫画みたいでキュンとした。

しかし雷太さんも脚が長いので、イーサンと並ぶとマジで高スタイルカップル。ポーズつけたりダンスしてると本当に映えるなと思った!羨ましい。あと髪色が好きです。

 

ノア

ストーリーテラー的な役割もあるし、すごく落ち着いたキャラクターとして描かれているなと思ったけど、実はOMDのことをすごく大切に思ってて、熱い部分があるのかなっていうところが愛せる。プリンスとイーサンのドタバタをスッと受け流せるのは彼しかいない……!ショーパートでは打って変わってハジけてるのも良かった。

 

SJ

むちゃくちゃワルだしヤンキーなんだけど、物凄く情に厚い男。初っ端のハチャメチャの発端になっているだけあってとんかく突飛もない行動をするんだけど、くるくる動き回ってくるくる表情も変わっていく姿がとっても愛しい~~!!イーサンとのおとぼけ兄弟も可愛かったし、プリンスに対してツンデレなのも良かった。上でも書いたけど、日替わりのシーン好きすぎる(笑)

マシューの夢の話で僕になんて出来っこないと言った後に間髪入れずにお前なら出来るよ!!って言ってくれるの、本当にイイ奴。ちょっと意地張っちゃってるけど、本当はみんなのこと大好きなんだろうな―っていうのがこういう所から見えてきてとても愛しい。

他の映像見たとき、諸星くんは演劇っぽいけど自然な演技がすごく得意な人なんだな、と思った時があって、是非そういう感じの役やってるの見てみたいな~と思ってたから、SJがまさにそんな感じで良さが活きててそう!こういうの見てみたかったんだ~~!と思った。ある意味大げさではあるんだけど、わざとらしくないというか、そういう感じ。

私が観た夜の公演で武器にしてた棒が折れてしまってショック(泣)っていう顔をしながら、両手に持って振り回してるのが面白かったんだけど、その次の日ピカピカ光るバットに新調されていたという話を聞いてやったじゃん!と思った(笑)なにそれ楽しい。

そして、観劇前からサックス聞けるところがあると聞いていてすっごく楽しみにしていたんだけど、まさか小野田くんとコンビだと思わなくて……!ぜ、贅沢の極み……!!とすごくすごく嬉しかった。最初は何だオラって表情だけど、段々渋くて良い表情になって吹いていくのが曲の雰囲気に合っていてすごく良かった!!

ダンスも沢山見られて嬉しかった~~本当に楽しそうにしてるから見ているこっちまで本当に楽しくなってくる。観に来られて良かった~~!

 

ジョシュア

癖の強さでは恐らくピカイチなジョシュアさん。そこそことんでもないことをしでかしていることが語られるけど(笑)、彼も夢に向かって一直線なんだなぁと思うとやっぱりなんだか憎めない。マシューが彼に服を見立ててもらってSJがオシャレじゃん!って言ったもののジョシュアが見立てたと知った瞬間ダサくね?って言うの本当にウケちゃった(笑)いやお洒落だと思うし、彼のブティック、ちょっと見てみたいかも。

そして、やり方はとんでもないけど、お洒落だし、見る目はきっと確かなんだと思うから、今度は正攻法で素敵な子をプロデュースしてほしいと思う。がんばれ!(笑)ショーパートでなんとか雇ってもらおうとするのも可愛かった。

この作品を知ったとき、歌がある!小野田龍之介くんいる!行こっかな!って思った部分も実は結構あった。小野田くんを見るのは多分最遊記ぶりで(アリス・イン・ワンダーランドじゃないよね?最遊記のほうが後だよね!?(記憶が曖昧))本当に歌が素敵だったから機会があればまた聞きたい!と思っていたから今回また生歌聞くことが出来て本当に嬉しかった。低いのに艶のある素敵な声でバラードを歌い上げていたのが聞いてて惚れ惚れしてしまった。そしてSJのところでも書いたけど、ショーパートで小野田くんの歌+モロのサックスが聞けたのは本当に……贅沢としか……。

 

キャンディ

紅一点のキャンディちゃん。とってもチャーミングだった~~!My Boyfriend's Backが本当に可愛くて可愛くて。最後にマシューを好きになった時に、本当に好きになると気軽に好きって言えない!って言ってたのもめちゃくちゃキュートでした。恋してる!その反面、興味ない人にはめちゃくちゃ冷たいのもなかなかいい味出してた(笑)「デリケートに好きして」みたいな女の子だ……。

社家あや乃ちゃん、Best Of My Love(だったかな?)の歌が本当にむちゃくちゃ声量あるし艶と伸びがあって素敵!と思ってパンフレット見て生まれ年でびっくり。むちゃくちゃ将来有望だ……!演技もチャーミングですごく良かったし、機会があれば是非また見たいな。

 

ザック

縁の下の力持ち的にさり気なく、流れるようにスッと場を動かしていくかと思えば、J.Yザックprojectで突然プロデューサーになったり、この作品の「噛み合ってるようで噛み合わない」の一端を担っていたザックさん。

ハチャメチャを涼しげに真面目な雰囲気に戻したかと思いきや実は余計ややこしくしてるだけな所が多くて本当にいい味出してて面白かった。でも彼もまた夢を持って生きてるっていう真面目な部分も持っていて、ある意味二面的なのも良かったなぁ。

J.Yザックは本当に笑わせてもらったよ~~マシューの胸ポケットにドーナツ突っ込んだ時はどうしようかと思った(笑)あと、店の鍵はペンダントじゃないからあげないでください(笑)マシューとの掛け合い本当に面白かった。

おばたのお兄さん、実はあまりテレビとかでは拝見したことなかったんだけど、面白いし、日体大卒でアクロも出来るってすご……ってなった。

 

大分長くなってしまったのでこの辺りで締めるけど、

もしまた観られる機会があるなら行きたい!っていう作品だった。

 

再演でも続編でも、また『Oh My Diner』へ足を運べる日を心待ちにしております!!

 

 

 

 

何かありましたら

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「量産型」研究本『「量産型」のゆくえー「量産型女子」から「量産型ヲタク」へ』制作のお知らせ

★編集時に上に上がってしまったようなのですが、

こちらの本は2022年11月20日文学フリマ東京35にて頒布いたしました。

詳細は下記のURLよりご覧ください。(通販もあります)

 

appleringo.hatenablog.com

appleringo.hatenablog.com

 

 

 

appleringo.hatenablog.com

私が2018年にこの記事を書いてからはや2年が過ぎたが、

この2年の間に「量産型オタク(量産型ヲタク)」なり「量産型ファッション」、それに付随する「量産型メイク」なる言葉は随分と一般認知度の高い言葉となったように思う。

6~7年前から使われていたネットスラングを起点とする「量産型女子」とは違う意味合いを持ち、当初は殆どがジャニオタ(ジャニヲタ)を筆頭とするアイドルオタクのものだったと思われるこの言葉も、それが表すファッションとともに様々なジャンルのファンの間で使われるようになったと考えられる。今ではその段階を超えて、誰かのファンではない人々の間でも使われるようになっているようにも思う。

 

ファッションブランドが公式で自社製品の1つの強みとしてインスタ等で宣伝文句に用いることも珍しくはなくなったし、ファッションにおいて若者のインフルエンサー的な立場の人たち(YouTuberやインスタグラマーなど)が「量産型メイク」を自ら行ってみる動画なども随分増えたな、という印象を受ける。

最近だと「地雷系」との対比や類似点の指摘でその存在が語られることも多くなったと思う。

 

しかし、例えば先日あった雑誌「LARME」の誌面大幅改変における「量産型」「地雷系」を冠したファッションページの明らかなちゃちさに対するSNS上での批判的な意見の多さや、「量産型メイク」や「地雷系メイク」を有名メイク系インフルエンサーが取り上げたことによって、その存在を初めて知った人の間で面白おかしく取り上げられることなど、言葉だけが独り歩きしてしまっているような印象を受ける部分もある。

(「LARME」に関してはこの大幅改変で元の雑誌にあった良さが殆ど死んでしまったという部分があり、「量産型」を取り上げること自体に対する批判の方が多かったようには思う。しかし「量産型」「地雷系」という言葉がウケてるから取り敢えず付けてみたよ!と言わんばかりに取ってつけたように「それっぽい雰囲気」を提示してきたことを遺憾に思っている声も見られた。私自身もそう思った。少し前まで「LARME」を購読していたから今回の改変は私にとっても相当ガッカリ案件であった。)

 

このような世の流れを見ながら、今現在の「量産型」とそこから派生している言葉、それが表す物事について、一回じっくりと考えて書いてまとめてみようかなという気持ちになった。言葉が独り歩きを始めてしまっているように思える今、その言葉の実態をもう一度見直してみたいなという気がしてきたのだ。

 

そこで、一度自分で本を作ってみたいな、と思っていたこともあり、折角だから「量産型」をテーマにエッセイや論考を同人誌としてまとめてみようかな~ということになった。

というわけなんだけど、自分の記録と記念としてという部分が大きいし、需要があるかと言われるとすごく微妙なところだけど、読みたいと言ってくれた友人もいたりするので、多少冊数は刷って頒布をしようかな~と思っています。

このご時世なのもあり、頒布の方法とか値段はどうしようか、というのも考えないといけないし、そもそもまだ書き始めていない部分もあるので、まだはっきりといつ出します!とは言えないのだけど、もしご興味のある方がいらしたらまたチェックしていただけたら嬉しいなと思います。

 

一応このような感じで章分けをして、

このブログの記事を加筆修正した章と、新しく書き下ろした章をいくつか掲載しようかなと思っています。

 
『「量産型」のゆくえー「量産型女子」から「量産型ヲタク」へ』
1「量産型」は褒め言葉になったのか?
この記事の加筆修正になる予定)
2 「量産型ヲタク」を構成する要素とは何なのか?
3「量産型」は誰のためのものか?ー戦闘服としての「量産型」
この記事の加筆修正になる予定)
4「量産型」は「量産」であることに重きを置いているのか?ー「量産型」と「数」の関係とは
5 「量産型」へ変貌したブランドたちーギャルブランドの生存戦略
6「地雷系」と「量産型」ー近くて遠い新時代の〈カワイイ〉
extra 「量産型」と「ロリィタ」とー世代交代を迎える〈カワイイ〉のゆくえ
 
変更になる可能性は多分にあるけれど、だいたいこんな感じのテーマでエッセイと軽い論考を混ぜて掲載できればと思っています。
 
少し先にはなると思いますが、予定が決まり次第、またこちらのブログとツイッター:@post_siteimasuで告知をします。
もしご興味がありましたら、よろしゅうに。
 
 
 
 

5ヶ月ぶりに吸いこんだ劇場の空気と-舞台『死神遣いの事件帖-鎮魂侠曲-』感想

春から舞台は中止に中止が重なり、

板の上の推しが見られなくて歯がゆい日々が続いてきたけど、7月、久しぶりに推しの出演舞台が開催されたので、観劇してきた。

 

生で推しを見るのは5ヶ月ぶり、舞台自体は4ヶ月半振りの観劇だった。

 こんなご時世なので持っていた地方公演のチケットは泣く泣く手放し、東京公演を10回いかないくらい観劇した。

 

初日辺りはとにかく、推しが板の上にいるという事実だけで感無量で、ああ、見られて良かった~~!!という気持ちでいっぱいだった。

でも内容にはそこまで惹かれず…って感じだった。でも、回数を重ねるごとにおっ結構噛めば噛むほど面白い系だな?と思ったので、オリジナル作品なのもあるし、折角だから感想として書き残しておきたいと思う。

あと内容だけではなくて、このご時世に足を運んだことで感じた、劇場におけるある種の異様な雰囲気(仕方がないものだけれど)についても書き残しておこうと思う。何年後かに「あ~あの時はこんな風だったっけ」と振り返る時が来るかもしれないと思ったから。

 

それは『死神遣いの事件帖‐鎮魂侠曲‐』という作品であった。

 

例のごとく、推しを明示することはしませんが、見ている時間が長い分無意識に偏ってしまうことはあると思うので、そこは気づいてもそっとしておいていただければ…笑

***

この作品は映画と舞台の連動作品で、先に映画があってその続きを舞台で…という形式だった。なので、舞台を楽しめるようにと舞台の前に映画も見に行った。(推しいなかったけど)

さすが東映、一風変わった特撮って感じで派手な演出が繰り返されるのは画面映えするし見てるのは結構楽しかった。でも内容的にはまあ面白いかな~位の印象だった。設定もすごく目新しいという感じではなかったし。もう清々しいほど舞台に続くぜ!というラストだったのはわかりやすい取っ掛かりになってて、舞台版早く見たいな~!というワクワク感が増加したのは嬉しかったな。

 

そして、舞台版。

映画版とは脚本演出の方も違うということで、単純に映像と演劇の違いという面を除いても、確かに軸は続いているけど雰囲気は全く違って面白いな~と思った。

実は毛利さんの舞台は観るの初めてだったから、どんな感じなのかあまり想像は出来てなかったんだけど、聞いてたイメージとはあまり齟齬がなかったような気がする(?)ストレートにアツいというか、そういう感じ。

 

ただ、冒頭でも書いたとおり、初日の辺りは中身にはあまり惹かれず…という感じだった。悪くないけど、そこまでしっくりこないというか。

でも、回を重ねるごとに結構面白くない?と思うようになって、何度か観たらそう思った理由がなんとなくわかるようになった。私は観劇をする時って、特に初回は、結構意外性とか細かい謎解きみたいな部分に着目して、余韻を楽しむ…みたいな感じのことが多い。でも、観劇する中で「しにつか」は言ってしまえば王道な作風だと思ったから、そういう楽しみ方は違うかもと思った。パンフレットのインタビューでも毛利さんが「この作品は正攻法で、任侠チームが正義のヒーローとなって悪い死神と戦う物語」と仰っていたし。(上で、聞いてた毛利さんの作風と齟齬がなかったーと書いたけど、そういう部分を全面に出してくるのがそもそもこの人の作風なんだなというのを実感したというのもあったりした)

だから、毎回細かい部分を観察して発見していくというよりかは、見せ場をおさえておいてそこに注目するみたいな見方の方が合ってるかもと思った。(まあそれでももちろん推しの細かい動きは観察しちゃうけど…俳優のオタクなので…)回を重ねていくうちに結構良いな!?と思ったのは、話の流れや見せ場がわかってきたからだというのが答えだったんだなと思った。

 

なんだか前置きのようなものが長くなってしまったようで恐縮だけど、

そんなわけで、この作品は一言で言えば王道の勧善懲悪ものだと思う。軸になっているのは完全に正義 対 悪という構図だし、最終的に勝つのは世のため人のため戦う「正義」の主人公サイドだ。

ただ、この作品の「善」は確かに世のため人のため生きている存在だけれど、純粋ピカピカのヒーローではない。話の流れはある意味すごくストレートだけど、「善」である新之助を中心とした主人公サイドは町民にガラが悪く乱暴ものだと思われている侠客と、本来人間の敵となるはずの死神である。なので、善サイドでありながら、怖がられたり嫌悪されたりする様子が描かれたり、死神は死神で本来の力を取り戻して敵サイドに闇落ちしかける様子も描かれたりする。この、ただのヒーローにはなりきらないひねくれた部分がこの作品の持ち味だし、面白い部分だなと思った。

主人公の新之助は、口もガラも悪いけど、人一倍人のことを考えていて、自分よりも人を優先してしまう人物。物凄く優しいのに物凄く不器用だから、仲間にそれが伝わらなくて衝突してしまうシーンもあったり。

でもそういう不器用なりに仲間や敵とぶつかっていく部分が、悩んだなりの「正義」として勧善懲悪な部分をより引き立たせているのが良かったと思った。単なるヒーローが言ったらふーんそうと思ってしまいそうな部分も、新之助が口が悪いなりに諭すから納得出来る…みたいな所があったと思う。言葉だけ拾えばヒーローっぽさがあるけど、それでも「自分は侠客」という信念や覚悟を持って生きている感じがあって、王道くさくなりすぎないためのスパイスになっているような感じ。ストレートにカッコいいなと思った。崎山さんのドンと構えている演技もぴったりだったな。

 

うって変わってもう一人の主役的な立場の死神・十蘭は、死神とは?と思うくらい穏やかで丁寧な口調で話す人物に描かれている。ガラの悪い新之助とのコントラストが面白い。丁寧ではあるけど、新之助が素直に言えない気持ちをバッサリ言い切る部分もあったりして新之助とのコンビ感がすごく良い。ただまあ本人、自分のことに大しては全く素直じゃないので、後述する幻士郎の件やら実はお小言を言いつつも何だかんだ新之助のことを物凄く心配している素振りについて指摘されると途端にツンツンしちゃうのがとても可愛い。私はツンデレが死ぬほど好きなのでかなりツボにハマったキャラクターだった。

そして、十蘭は元々は幻士郎という死神遣いに幻士郎の父の代から仕えて一緒に戦っていた。でも、映画版で幻士郎が亡くなってしまい、死神の世界に帰るはずが何故か帰れずにいた所を何故か十蘭が見える(普通の人には死神は見えない)新之助に拾われて過ごしている…というのが舞台版の導入になっている。映画版を見るとわかる通り、幻士郎は大切な徳川の血筋のお嬢さんを守るために敵の死神と戦って命を使いきっていて(死神との契約の代償は命なので)、十蘭はいわば突然主人を失くした状態。仕えている時は幻士郎の奔放ぶりに小言を言っていたけど、幻士郎を三途の川に見送る時にボロ泣きしている所からもわかる通り、もう大好きなんだよね、幻士郎のこと。

だから幻士郎がいなくなってせいせいしてます!とか言いつつ仇の百目鬼が目の前に現れたらムキになって刀を抜いてしまうし、彼を生き返らせる術があると唆されたら敵についていってしまう。もう大好きじゃん…。これが俗に言うクソデカ感情ってやつか……と妙に納得してしまったりした(?)

今書いたとおり、幻士郎を生き返らせる術があるなら…と敵サイドの天元についていってしまって、元の凶悪な死神だった頃の姿を取り戻して新之助を襲いに来るわけなんだけど(新之助を殺せば幻士郎が戻ってくると唆されているので)、この十蘭の人の変わりようがすごい。もう新之助もびっくりなガラの悪さになるのだけど、なんかどこか寂しそうだな~と感じて、案の定新之助との対峙の時にそれを指摘されるんだよね。

その時の十蘭を諭す新之助が、 口は悪いけど本当に真っ直ぐ、十蘭の存在を肯定している感じがして、ヒーローだなあと思った。この後十蘭が自我を取り戻して天元に向かって言う「誰とも違う、死神として生きる」というセリフがなんだか印象に残ってる。死神として「生きる」という死神らしくない言葉が、十蘭の妙な人間臭さを表しているようで的確というか、上手いなあと思ったりしたので。

最終的に天元を倒して、幻士郎を生き返らせる術はわからないまま十蘭は新之助とも契約をして過ごしていくことになるんだけど、「新之助とならその方法を見つけられるかも」みたいなセリフがあって、十蘭、新之助のことも大好きじゃん……と思い、Wクソデカ感情に潰されそうになったりしてた。新之助に死神遣いの才能があるのに言わなかったのは、勿論幻士郎との契約もあるけど、新之助のことあまり巻き込みたくないって気持ちもあったのかなあと思ったりしたし。可愛いな、十蘭…。本当に526歳か?

あと、十蘭は比較的踊るシーンが多かったのだけど、勿論ダンスの上手い俳優さんも沢山いる(私の推しだって結構踊れる方だと思ってる)のは重々承知なんだけど、なんかまた違った華やかさがあって、なんというか、さすがだな…と思ったりした。

…いや十蘭の話長すぎん?

私の推しは正直出ずっぱりの役ではなかったから、自然と舞台上で他の人物を見ている時間がそこそこ長くて、十蘭可愛いな~と思って重点的に見ていたらドツボにはまってしまった…のかもしれない(?)あと、アドリブが結構多めだったんだけど、いつの回も場を壊さない程度に遊んでて、安井くんのアドリブ力すごいなと思ったりもした笑

 

ダンスと言えば権左役の松浦さんもカッコよかったな!鬼八一家の3人衆は新之助とぶつかるシーンもあれど、仲間として本当に尊敬しているんだな~というのが節々に感じられた。個人的にアドリブで喜三郎の似顔絵で遊ぶ伝吉が可愛かったなというのが印象に残ってる。笑 あとひたすら百目鬼に遊ばれている義助。笑

 

そして、悪役サイドは、新之助サイドとは真逆のザ・悪役といった感じで。ただ、その親玉の天元も「死神が人間に仕えなくても良い世界」という死神の自由を求めて戦っているわけなので、立場を変えれば、彼は彼なりの正義で戦っているわけでもあり……。メメントやヴァニタスも、自分の死神としての信念に従って彼についていっているわけで。(なんかこんな話RE:VOLVERの感想の記事でもしたような…私、正義の話が好きなのかもしれない)でも百目鬼を見ていると、死神が人間に仕えないことが本当に死神にとって良いことなのか?というのも考えてしまうし、やはりこの物語において、軸は人間の世界なわけなので。彼は純粋に悪役だな、と思う。

天元は、笑っていたと思ったら一瞬あとにはスッと真顔になっていたり、あまりにも人間性が読めなすぎて(まあ人間じゃないけど)怖いなあと思っていた。

いやそれにしても、メメントに「Yes, my lord」言わせたすぎでしょ!笑

 

映画版でも登場した百目鬼は、映画では完全に悪役だったけど、今回は敵?味方?どっちでもない?というのが最後までよく分からないまま、まさにトリックスターとして場をかき回していく立ち回りだったなあ。彼にとっていちばん大切なものは「自分の死神としての矜持に値するか」であって、敵とか味方とかいう概念がそもそもないのかも…と思ったり。自分が死神らしくあれる場を選ぶ、ただそれだけ。そんな気がしてくるし、舞台版を見てから映画のことを思い返すとまたイメージが違ってくるかも、と思ったりした。ある意味一番いわゆる「死神」のイメージを踏襲しているキャラクターだったかもと思う。百目鬼も割とアドリブが多かったりしたけど、自撮り死神ネタが好きだったな。笑

 

そして、今回、正義と悪の話の流れをつなぐ立場である、喜三郎と、お菊。

そもそもは、お菊がいなくなった喜三郎を見つけることを新之助に依頼しに来る所から話は始まっていて、喜三郎は目的のために天元の元で辻斬りをしている。で、実は彼らは映画版で新之助を助けるために死んでいった仲間の一八の兄弟で、彼を死なせた、言ってしまえば仇である新之助に復讐をするために近づいていた。喜三郎が天元についてたのも、新之助を殺すため。

お菊は新之助を呼び出して仇を取ろうとするけど、伝吉に止められて、一八のこと忘れてなんかないという話を聞いて思いとどまって。喜三郎はそれでも新之助を討とうとするんだけど、お菊が新之助を庇ったことと新之助の説得もあって、「一緒にいなきゃどんな人間か分からないし、一八の気持ちもわからない」って新之助と共闘することになる。(そしてそのまま仲間になる)

最終的に一八が無駄死になんかじゃないことが分かり、新之助の熱さに説伏せられて復讐から解放されるというのはわかったんだけど、この二人はもう少し掘り下げが欲しかったなあ。

特に喜三郎。

復讐のために侠客になったのはわかるけど、お菊がどこまでそれを容認してたのかがよくわからなかったのと、最後まで殆ど「お前のせいだ」ばかりで人物像が読み取りづらいのが残念だったなあ。折角メインビジュアルにもキーパーソンな感じで写ってるんだからもう少し出番あっても良くないですか!?役どころはすごく良かったので、それだけちょっと残念。お菊はまだ、新之助とのシーンで胸の内が語られていたから人物像もつかみやすかったけれど。仲間になったわけなので、次回作があったらもっとパーソナルな部分も触れてほしいな。

ただ、セリフが少ない分櫻井さんの表情のお芝居に注目できたのは嬉しかったかも。新之助の刀を受けてギリギリで保っている表情で明らかに力の差があることがわかったりとか、天元に連れられて羅厳親分の所に現れたときのうつむいて曇った表情で本当は辻斬りにも納得していないのかな~とか、頑固そうだけど諭されている感じであ、割と幼い設定なのかな?とか本当は素直なのかなあとか思ったりした。この辺りはもう完全に憶測だけど、ご本人がパンフのインタビューで「喜三郎には弱い部分もあると読み取れたから、葛藤をどう表現するか悩みどころ」みたいなことを話していたから、そういう部分にそれが現れているんじゃないかなぁと見ていて思った。

仲間になった後の憑き物が落ちた!みたいなあどけない感じは可愛かった。(実際死神から解放されているから憑き物落ちてるか 笑)義助がお菊さんに言い寄ろうとしてるのを一生懸命通せんぼしてるのがとても可愛かった。

 

あまり触れてないけど、保科は序盤のストーリーをいい感じにミスリーディングしてくれたし、羅厳親分は渋くてカッコよかったな。

衣装も侠客がメインってことでみんなきらびやかで、舞台に映えててすごく良かったな。

 

長くなってしまい恐縮だけど、今回はキャラが立ってる作品だったので、登場人物に焦点を当てて感想を書いてみた。

何度も観てみると本当に初見と結構印象が変わったので、円盤などで見られる方も是非何回か見てみてほしいなーと思ったりした。あと私は東京公演のみの観劇だったけど、千秋楽に向かうにつれて段々アドリブが入ってきたり、セリフや細かい動きが変わったりとか(谷口さんがこの辺り結構変えてたね)っていうのも結構楽しめたな。

 

そして、この作品は7月末から8月にかけての公演で、中止続きだった舞台作品が座席収容率50%でちらほら動き始めた頃だ。

この作品も収容制限のために一度払い戻しがあって、再度購入制限をかけて販売…という形だった。再度チケット取れた後も、近い期間の公演が途中で中止になったりするのを目の当たりにしていて、本当に幕が開くのかすごく心配だった。今回良席ばっかりだったのもあって、初日の前は本当にぐるぐるしてた笑(その前の推しの出るはずだった公演も最前飛んだので泣いちゃいそうだった)

結果として初日に無事に幕が開いて、大千秋楽まで無事に公演が出来て本当に良かった…という感じだったんだけど、払い戻し対応もあってか2階席まで出てる公演なのに土日でも前方に空席が目立って、すごく切なかったし、今までじゃ絶対こんなのあり得なかったから(元から埋まってない公演はその限りではない)すごく異様に感じてしまったりした。(どうしても来れない人も沢山いらしたと思うし、私だって地方チケット手放してるし、仕方がないことだというのは重々承知なのだけど。)2列目で横がいないとか、5列目で前の席と自分のブロックの横全員いないとかザラにあった。

ロビーや劇場内がすごくしーんとしてるのもなんだか少し怖かった。友達とばったり会っても会場内では勿論一言二言挨拶するくらいしか出来なくて、寂しかったなあ。(建物外で話すことは出来たけど…)

改めて、終わったあとのみんなが口々に高揚した気持ちでいろんな話をする中で帰っていく熱気までが現場の醍醐味なんだなぁと思った。

そして、配信や映像が生の芸術に取って変わるなんて絶対絶対ムリ。人の身体がある限りは未来永劫それが逆転することは絶対にないなあと劇場の空気を吸いながら思った。

観劇好きだなあ!!

 

早く前のように観劇を楽しめる日が来ると良いなあ。

あと「しにつか」続編観たいです!

続・界隈によるチケット譲渡の「様式」の違いを感じた話

以前、こんな記事を書いた。 

appleringo.hatenablog.com
詳しくは元記事を参照して頂きたいが、簡単にまとめると、
ある舞台(2.5)のチケットを探していたとき、SNSで普段見かけない書き方の譲渡募集を見掛けることがあった。
(原作と主役の子が好きだったので)出演キャストを詳しく見ていなかったが、よく見てみると元・ジャニーズの所謂「辞めジュ」の子がいることに気づき、「もしや」と思い調べてみたら、私が見た募集様式は主にジャニーズなどの男性アイドル界隈で見かける書き方であった、という話である。なるほど、界隈によってこんな違いがあるものなのかと驚いた。検索結果に舞台界隈の書き方の形式と(多分)元・ジャニオタの子たちの形式が混在していてなんだか不思議な様子であった。


実は、今絶賛公演中の推しの出演作のキャストにも辞めジュの子がいるので、また舞台界隈(または若俳界隈)とアイドル界隈の募集様式が混在しているのを丁度目にしていた所であったりもする。(一年前の記事だが、非常にタイムリーな話題でもある。)

 

まあそんな私の些細な驚きと気付きから生まれたのが上の記事なのだが、

書いた当時は「違いがある」ということはわかったものの、具体的にその違いが何から生まれたものであろうかみたいなことまでは、触れられなかった。

 

そんな中で、先日ジャニーズの大手グループのファンの友達と久しぶりに話していた時、たまたまこの話をする機会があった。

話を聞いてくれた彼女は、「(ツイッターの譲渡募集以外に)そういう書き方の形式に心当たりがある」と教えてくれたのだ。

それを聞いて「なるほど、それも違いの一つの理由かも」と思ったので、今回はその辺りを追記としてまとめたいと思う。

 

もちろん詳しく周辺事情を洗いざらい調べたわけではないので、

あくまで一例として「こういう文化の違いが募集様式の違いにも反映されているのかもしれないな」くらいの話として読んでほしいと思う。(あれだけ色々なグループや役者さんがいれば例外もあるだろうし)

 

※前回同様、チケット譲渡に関するお話を扱う記事なのでそういった譲渡文化自体に抵抗のある方はスルーして頂けると幸いです。

***

彼女が、私が見かけたチケット譲渡募集の様式に「似ている」と教えてくれたのは

「ジャニーズのコンサートがある日に会場近辺に立っているチケットを譲ってほしい子たちが持っている、「チケット譲ってください」と書かれたボード」

である。

 

当日までチケットが手に入らなかった人々が、もしかしたら直前で余らせてしまう人がいるかもしれない…という思いで会場周辺で待機するという文化である。

私もTDCホールに用があった日に東京ドーム近辺とか、ヘブンズロックさいたま新都心に用があった日にさいたまスーパーアリーナ近辺とかで並んでいるのを見かけたことがある。

 

人気グループだと何人もの人がズラッとボードを持って並んでいることもあるそうだ。

そうなってくると、チケットを余らせている側も声を掛ける人を「吟味」することとなる。

誰に声をかけようか、その決め手となるのがやはり「チケット譲ってください」ボードに書かれている文言なのだという。

 

譲る側も出来ればパッと目に付き、しっかりとしていて、礼儀正しそうな人、そのグループのことが本当に好きそうな人に譲りたい。(そりゃそうだ)

もちろん譲ってほしい側もそれをよく理解しているだろうから、「如何にして選んでもらうか」という一点に留意してボードを書くこととなろう。

 

なんでもそうだが、この場合は特に「わかりやすさ」がかなり重要なポイントとなる。

「わかりやすさ」を考えるなら、いつのなんの公演で、枚数、金額、一つ一つの情報、そして「譲ってください」を丁寧に読みやすく書く必要が出てくる。

書き方は多少違うだろうが、確かに一つ一つの情報を丁寧に目立たせて書くという方法や「譲ってください」という文章での呼び掛け的な書き方は、私がツイッターで見かけた募集様式*1の形式張った感じとよく似ている気がする。

 

また、それだけ人数がいるとなると、目立つためには譲ってほしいチケットの他に情報が必要となる。例えば誰のファンであるのか、とか責任を持って取引します、とかグループの好きなところとか、諸々。

そうなると必然的に行数が増える。この辺りの色々な情報を追加でつけるという辺りがハッシュタグ文化に繋がっている気もしてくる。

 

舞台界隈(と若手俳優界隈)は、こういう会場周辺でボード持って待ってるという文化がジャニーズほど盛んではないし(いるにはいるんだろうけれども、私はほとんど見かけたことがない。そもそもチケットの倍率も違うだろうし。)、その辺りの文化が流入していないのも頷けるように思う。

どちらかと言えば、舞台関係の募集様式*2の簡素さは、二次元作品のグッズ交換文化のほうが近いものがあるかなあと思っている。(特に2.5は原作のファンと役者のオタクが混在するという状況になることも多いし、掛け持ちのオタクも多い。)

 

最初に書いた通り、ボードとツイッターの募集様式の書き方が全く同じわけではないし、ジャニーズ以外にもボードの文化があることを考えると、本当に直接繋がりがあるのかというのは確かめようがない話だ。(特にこういうネット文化とかストリートな文化というのは)

でも2つの間に細かな文化の違いがあるのは明らかで、それがそれぞれのバックボーンに基づくものであるのも明らかである。そう考えると、SNSにおけるチケット譲渡募集の様式に直接繋がりがあったり、反映されていたりするものであるかはわからなくても、間接的に吸収されているとか、脈々と繋がっている可能性は大きいのではないかな、と思う。

なので、今回は一例として「こういうのも理由の一つかも」という形で書き記させてもらった。

 

文化的バックボーン(と言ってしまうとなんだか壮大になってしまうが)から生じる一つ一つの差異が、間接的にまた細かな差異を生み出していって、結果的に違う文化が形成されていくという流れは、なんだかやはり面白い事象だなあと思う。

 

しかし、こういう現場文化というべきなのかストリート性のある文化というのは当事者でないとわからない部分というのが本当に大きいなあと今回の話を聞いていて思った。

意識的に書き記す人間がいない限り、そこに身を置いている人間にしかわからないことが多すぎる。

やはり有識者に聞くのが一番。教えてくれた友人に感謝である。

 

 

あと、これはもっと個人に即した話なのだけど、

友人は割と同担の話しの合いそうな人にチケットを譲りたいと話していて、私は友達以外なら推しが違う人に譲りたいな~と思うことが多くて、まあその理由がグッズの交換出来たらありがたいから…なんだよね、という話をした。

そうしたら友人がジャニーズは基本的にランダムグッズないからその必要ないんだよ…と言われて、これもまた文化の違いか…って新たな発見をしたりした。

(まあこれに関しては推し被りNGとか同担拒否の話も絡んでくるから実際はそんなに簡単な話ではないだろうけど)

 

 

*1:前回の記事の引用だが、こういう様式のこと。

 △△の譲り先を探しています

【日時】○/○

【金額】定価手数料

【座席】□列

【枚数】○枚

#△△譲 #△△ #☆☆(出演者の名前)

*2:前回の記事の引用だが、こういう様式のこと。

【譲渡】

△△ チケット

譲) ○/○ □列 ○連番

求)定価+手数料