ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

それぞれが対峙する群像-舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たちの話 その1

先に別の感想をアップしてしまったけれども、

この前の記事の宣言通り、いい加減に舞台の感想を書きます!!!

(推しの舞台も千秋楽を迎え、バイトも無くなってしまってゆっくり書けるので丁度いい)

 

書きたいものは沢山あるのだけれど、

今回はこれも宣言通りに「推しが少し前に出ていたロングラン公演」である

「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」の感想を書いていきたいと思う。

 

先に申し上げておきたいのは、私は元々刀剣乱舞という作品自体にあまり詳しくなく、アプリが始まった頃に一瞬だけやっていたくらいで、刀ステはたまたま前回の慈伝の千秋楽当たったから一緒に行こ~と誘われて観に行ったのが初観劇だったということだ。

そこで発表された新作に(案の定)推しが初出演することになって(何故案の定なのかは過去の記事から察していただければ)、どうしよう…あまり詳しくないけど楽しめるかな…と思いながら観劇したのが今回の維伝である。

(どうでもいいけど推しに「刀剣乱舞、割とミリしらなんですが楽しみたいです」と言ったら食い気味に「一緒に勉強しましょう!(ガッツ)」と言われたの本当に面白かったな)

結果として、すごく楽しめたのだけれども。

 

一応終わってから(始まる前に見ろよ)過去作を借りてざっと見たのだけれど、まあつまるところ、原作や過去作に通暁していない人間の書いている感想であることをご了承いただければということである。なので、他作との伏線部分には余り触れない方向で、本作で完結する部分の感想が主となると思う。

 

初日から千秋楽まで(流石に修論書きながらだったので神戸以外だけれど)、1/4いかないくらい観劇して、基本は前~中方辺りが多かったけれど、最前から2階席まで入って観たので、日替わりとか見え方とかその辺も考慮しながら書いていこうかなと思っている。

(なお、いつも通り推しが誰なのかについては伏せたままにするけれど、見ている時間が多い分無意識に偏ってしまう部分はあると思う。オタクとはそういう生き物なのでご了承いただければと思う。また、ネタバレ満載なのでその点もご注意である。)

 

前置きがずいぶん長くなってしまい恐縮だけれど、ここから感想に入りたい。

まず、お話について。

実はここが観劇前に一番危惧していた部分であった。原作も過去作も余り詳しくないのに、ストーリーを楽しむことが出来るのだろうか、という思いがあったのである。

結果的に、初日を観劇し終えて、めちゃくちゃ面白くて少々驚いたくらいであった。

私は歴史に余り詳しい方ではないのだけれども、黒船、坂本龍馬、幕末…と戦国鍋に出てくる所と高校の日本史くらいまでしか分からん私でも取っ付き易い部分が題材になっていたというのもあるし、「刀ステ」シリーズにおいてどうやら心機一転的な位置づけの作品だったというのもあるのかなと思ったりした。過去作云々を置いておいても作品単体で観ても十分楽しめる作品だったというか。

全体的にテンポが良いし、まあ陸奥守吉行と坂本龍馬はメインであるので置いておいて、他の登場人物にも満遍なくスポットが当たっていて、それぞれに関する話が順番に展開されていくので、誰かが置き去りになっている印象がないのも良いなと思った点だった。

群像劇が好きな自分としては凄く楽しめる構成だったと思う。

 

あと、何気ないちょっとしたセリフに伏線が張られていて、後半でそれが綺麗に回収されていたのも観ていて気持ちが良かったし、初観劇は話を追うので精一杯な所があったので、2回目以降にその辺りの伏線をじっくり考えながら観られるという何度も観劇する中での楽しみも用意されているのが嬉しかった。

 

総合レポ的な感想は既に書かれている方も沢山いるかと思うので、私はお話の中で印象的だった部分をかいつまんで書いていこうかなと思う。

 

まず、特に印象的だったのは、土佐の三振りの刀剣男士の元持ち主(正確にはそうではないのだけれども)との向き合い方の違いが上手く表現されていたことである。

本作では、陸奥守吉行と坂本龍馬肥前忠広と岡田以蔵、南海太郎朝尊と武市半平太の3組の刀剣男士と元持ち主が対面している。そして刀剣男士たちは、その元持ち主(を模したもの)が歴史改変の原因となっていることを悟り、対峙する。(実際に手にかけるのは陸奥守だけだけれども)「元の持ち主(を模したもの)を自分の手で斬らなければならない」という状況は3振りとも同様ではあるが、その対峙の仕方(主に心理的な)にそれぞれ個性が持たされているのが面白いなと思った。

 

荒っぽく以蔵に対峙し、とにかく彼を斬ろうと動くものの「斬りたい訳じゃない、そんなの俺が一番わかってる」と以蔵のやるせない気持ちを汲み、自分にもそれを言い聞かせて心に留めることが出来る繊細さも持ち合わせている肥前

型を大切にしながら真正面から武市と戦い、筋が通っているやり方で武市と向き合い、彼の曲がったことが嫌いな部分を尊重して向き合った南海。

そして、清々しいほどに真っ直ぐに龍馬に自分の役割、そして自分の気持を伝えて、龍馬にも自分にも納得のいくであろう形を提案して正々堂々と刀を交わした陸奥守。

三者三様全く違う向き合い方が描かれているし、(南海は刀工の逸話が濃い存在とはいえ)物語に描かれている元持ち主たちの性格や生き様を上手く反映しているのが面白いし、グッと来るなと思ったのである。

回によるけれど、3振りとも元持ち主と刀を交わした後は涙を流していることが多くて、「自分を大切に持っていてくれた人を斬る」ということの切なさ、それが自分の役割りだと分かっていてもどうにもならない切なさみたいなのが伝わってきて凄く良かった。

吉田東洋との戦闘の時に和泉守が「どうしてお前はそんなに強くいられんだよ、どうしてそんな簡単に捨てられんだよ」と叫んだ時に、陸奥守が「何も捨てたつもりはない、ただそこにあの人の歴史がある」というようなことを言うのも、清々しいほど真っ直ぐで、きっぱりさっぱりとしていて龍馬の性格とか生き様を反映しているな~とも思った。

 

次に印象的だったのは、上にも書いたけれどもセリフに張られた伏線と、それを綺麗に回収している点。

例えば、南海が合流した時の「刀の延長線上に人がいる」。

普通に考えたら陸奥守が言うように、「人の腕の延長が刀」だと思う。私もそう思ったし、最初は良くわからなかった。

でも、終盤で武市が発した言葉で「なるほど」と思ったのだ。

「この刀の先にはこの国を生きる人々がいる」というようなことを言っていたと思う。

単純に道具として扱われる刀のことを表している訳ではなく、その刀を用いて戦うこと、その戦いの結果の先に民の未来がかかっている。それはもしかしたら、武市が生きている日の本だけじゃなくて、私たちのような未来の日本を生きる人々の生活を変えるものかもしれない。そういう意味があったわけである。

そう考えるとこのセリフは、牢屋で武市が龍馬に告げる「こんな日の本を未来の孫や子孫に残せるか」というセリフにも繋がっていると思う。武市の覚悟や正義感がより強く伝わってくるように思える。

延いては、タイトルにもある「志士」という存在を規定するものとなっているようにも思える。これを刀剣男士側の、しかも武市の刀であった南海が言うというのだから、凝っている。

 

また例えば、武市が龍馬に告げる「これはおんしが始めたことじゃ」。

最後まで観劇すると、この文久土佐を歪めてしまっている原因が龍馬であったことを表しているのだな、ということが分かるが、注意して観ているとダブルミーニングになっていることがわかる。

序盤の黒船襲来の後の尊王攘夷を始めようと民が一致団結する時、そのことを言い出したのは龍馬である。龍馬たちが消える時に武市と以蔵に「おんしらまで巻き込んですまんかったの」と言った後に武市が龍馬に「おんしはいつもそうじゃ、敵わん」と告げる。

この辺りを踏まえて先程のセリフを考えると、そもそも武市や以蔵、そしてその周りの志士たちにとっても全ての始まりとなっていたのはいつも龍馬であったことも表しているように思える。

坂本龍馬の影響力の絶大さ、そして武市が彼のやり方に物凄い信頼を置いていたことがひしひしと伝わってくる表現だなと思った。

こういった然り気無い伏線が上手くて、何度観ても飽きない作品だったと思う。

 

ここからは少し細かいシーンの話になるが、

他に印象的だったのは、肥前と以蔵の対峙の場面、そして終盤の2人の共闘シーンである。

2回目の以蔵との戦闘の時に、以蔵が心境を吐露した後に、肥前がトドメをさそうとする所で、「斬りたいわけじゃねえんだよ、誰もわかってくれないだろうが」と以蔵のやるせなさを受け入れたうえで言葉をかける訳だけれど、これが以蔵にも言っているし、自分自身にも言い聞かせているというのがすごくわかるのが良いなと思った。

肥前は以蔵と向き合ったことによって自分の存在意義というか、自己の在り方を考え直して向き合い直すことが出来ているのではないかなと感じられて、この短い時間の中にも成長が見えるように思えるのが面白いなと思ったのだ。

(あのシーン、前にも書いたように涙がにじんでいることが殆どだったので、本当に胸が締め付けられるというか、いつも切なくなってしまったりした。)

そして、それを踏まえた上での二人の共闘シーンで、同じ戦い方をする二人が今度は敵としてではなくて仲間として背中を預けてるのがすごくグッと来るなと思った。私は共闘シーンで二人が刀を交わしてくるりと入れ替わるのがすごく好きなのだけれど、よく見ていると以蔵との戦闘でもそういう場面があって、同じことをしているのに意味合いが180度違っていて、対比的に描かれているのも面白く感じる点だった。

 

次に印象的だったのは、陸奥守が龍馬を討ったあと龍馬が「陸奥守、おんしの知ってる日の本は、ええ国か?」「言い切るか?」

と問いかける場面である。

話を通して、彼ら「志士」たちは日本の未来を良いものにしたいと考えて、戦っていた。それが例え主役サイドから見れば間違ったものであったとしても。

そんな志士の中のメインである龍馬がこの問いかけをするのは、すごく込み上げるものがあると思う。最期まで日本の未来を思いながら消えていくのである。

まさかこんな所で自分の生きる今の日本について考えさせられるとは思わなかった。彼らがそうして戦ってくれたから今の私たちが生きる未来があるのだな、と凄く感じた。

この場面、陸奥守が本当に良い笑顔で「ああ!」と答える様が眩しすぎて、逆にものすごく切なくて、いつも大体ここで泣いてしまっていたポイントだったりもした。

 

あと、印象的だったのは、鶴丸のアドリブのぶっ飛び具合である。笑

東京公演の時は街中で土佐勤王党に絡まれる時の色んなものに成りきっているのが面白くて中々好きだったのだけれど、凱旋の時は時間の関係か無くなっていてちょっと残念だった。

でも、代わりに残骸のシーンがエスカレートしていくので毎回毎回本当に笑わされたし、毎回楽しみだった。東京公演の終盤で肥前に絡み出して、鶴丸も南海も完全に良いおもちゃを見付けてしまったみたいになってて本当に笑ってしまった。頑張れ笑い上戸!と思うことしか出来なかった。笑 凱旋だと上手く切り返して頑張っていたけれども、肥前南海2人して撃沈している様は中々面白かった。笑

私は「コノジョウタイカラデモハイレルホケンハアリマスカ?」と「ウラデナンテヨバレテルカシッテッカ?」(是非教えてほしい)と「忙しいんでこれにて!!!」がとても好きだった。叶うなら余すことなく円盤に収録してほしいくらいである。

 

さて、物語の部分で印象的だった部分を書いてきたわけだけれども、

思ったよりも随分長くなってしまったので、それ以外の殺陣とか人物の細かい部分などについての感想は次の記事に持ち越そうと思う。

近いうちに書くので、またどうぞよろしくお願いします。