ささやかな備忘録

大体推しの現場にいるけど推しの話は少ない

紙の本の物質性と半永久性にどうしようもなく惹かれる話―デジタル情報の儚さと脆さ

院生の頃、就活をしていた時にそこそこ出版社を受けていたので、

「他でも散々聞いていると思いますが、出版は、紙の本は、斜陽です。」という話を何度も聞いた。面接でも「この時代に何故紙の本に携わりたいと思ったのですか?」というよう質問を何度も投げかけられた。

 

当時の私は、小さい頃から本が好きだからというのも勿論あったけど、「勉学に励む人に、すぐ流れるような情報ではなく、芯のある知識を届ける」ことに興味があって、それに適しているのが紙の本だと考えていたからそう答えていた。情報が手に入れやすい世の中にはなったけど、代わりに取捨選択の難しさも付いて来たと感じていたからだ。あとはまあ、紙の本はページ同士を見比べやすいとか書き込みしやすいとか、そういう理由も述べてたと思う。最終的には違う業界に就職したけど(論文を扱うことも多いので学問と紙媒体に無縁ではないのだけど)、

最近、当時自分が答えたこと以上に大切な、本が紙として存在する必要性や紙の本に魅了される理由があるな、と考えることがある。

 

それを考え始める切っ掛けとなったのは、本とは真逆に位置するであろうデジタルな情報について、考えることがあった時だった。

それは、とあるスマホアプリゲームのサービス終了のお知らせを見た時であった。よくある、いついつに最後の更新を行います、その後いついつにはサービス自体が終了して中身が全て見られなくなりますよ、というお知らせだった。お知らせには、終了を悲しむファンのコメントが沢山ついていた。沢山のアプリゲームが競争している今の時代、特に珍しい光景でもないだろう。でも、私はふと考えてしまうことがあった。

この作品は別媒体でも展開はされているが、アプリゲーム中でオリジナルのストーリーが展開されており、ゲームをプレイしないと読めないストーリーがあるらしかった。ということはつまり、当たり前ではあるが、サービスが終了してしまえばファンは二度とそのストーリーを読むことができなくなるということではないか、と。アーカイブを残してくれる所もあるだろうが、そう多くはないだろう。(そもそも終了してしまうサービスということは…という所である。) 個人でスクショを保存したり、まとめサイトを作ったりと色々方法はあるだろうけど、限界がある。提供されていたそのままの状態で読むことは、やはり二度と出来ないのだ。

恐らく制作会社のどこかにはデータとして残るだろう。しかし、こうしたストーリーは人の目に触れることで初めて作品として完成されるものだと私は考えている。誰も読むことの出来ない状態になれば、失われ、無くなってしまったも同然であろう。こうしたことを考えるうちに私は、デジタル情報って実は凄く脆くて危ういものなのだなと感じてしまったのである。

 

その後、もう一つこのデジタル情報の脆さを感じる出来事があった。Yahoo!ジオシティーズヤプログ!のサービス終了である。

前回の記事でも触れたが、私は元々HPもブログも運営していたことがあるので、双方のサービスに相当馴染みが深かった。ジオシティーズは自分でもずいぶん長いこと利用していたし、他の方が運営しているサイトに遊びに行っては、公開されているゲームやイラストをいつも楽しく見ていた。ヤプログ!は利用はしていなかったけど好きなブロガーさんがいて、もう随分長いこと更新はなかったけど、度々記事を読み返していた。サービスが終了した後、それらのページを開いてみると、そこには「こちらのサービスは終了しました」の文字だけが残っていて、とても寂しい気持ちになった。

こうしたHPやブログというのは、前に述べたアプリゲームとは違い、個人で制作・運営しているものが殆どである。そのため、何年も更新されないサイトやブログは、最早制作者の手を離れてインターネットの海を漂う断片のようなものである。大元のサービスが終了してしまえば、その中に記されていた物事はそのまま消滅して、この世界から完全に消えて無くなってしまう。いつか誰かが作り出した作品や書き上げた記事が、制作者の預かり知らぬところで失われてしまう。それって凄く苦い感覚だな、と考えたのである。

 

デジタルな情報は、何度もコピーが出来るし、遠方にいる人にもすぐに送ることが出来るという利点がある。公開もしやすい。それに、嵩張らなくて整理もしやすい。並べ替えも簡単である。劣化もしない。学生時代、企業の嵩張る紙の資料をデータ化するアルバイトをしたことがある。もう置き場がなくて仕方がないとのことだったので、保存方法としては最適だったかもしれない。

しかし、これだけ利点があっても、サービスの終了や機械の故障で呆気なく消えて無くなってしまう可能性があるというのは、それらの利点を吹き飛ばしてしまうくらいあまりにも大きな欠点であろうと思う。そういえば、修士論文を書いている時にUSBが壊れて、集めた雑誌データ10年分が吹き飛んだことがあった。まさにあれだ。(まぁ言ってしまえば紙の本だって火事などで燃えてしまう可能性があるわけだが、デジタルな情報の喪失はそれよりもより身近にあるものであると思える。)

人間が考えたことを永遠に覚えていられれば別だけど、そうはいかない。自分の考えを人に話して聞かせることにも限界がある。だから、何かに書き記す必要がある。その書き記す媒体としては、デジタルな媒体は実はあまりにも脆い存在なのではないかと実感しているのである。

最近までは、情報革命があって、情報化社会が発展していく中でとにかくデジタルは便利!というのが謳われてきた時代に思えたけど、それが成熟を迎えて、情報化の初期や中期を支えたサービスが段々終わっていく中で、デジタルな情報が超ハイテクで永久不滅のものではないことに世間が気づき始めて、それに目を向けるべき時代に来たのではないかな~という気がしている。

 

そうしたことを考えていく中で、やっぱり紙の本って必要じゃない?と考えているのである。とにかくデジタルは便利!と言われてきた中で、紙の本はもう古いという風潮があるのはまあ、冒頭に述べたことからも明らかだろう。確かに紙の本はデジタルな情報と違って、重いし、嵩張るし、コピーも大変である。その中で私は、面接で答えたようなことに本が紙である意味を見出しているのだと思っていた。

確かにそれも事実なのだが、今はそれ以前にまず、本が、本に記された知識や作品が、物として今自分の目の前に存在するのだという「物質性」に価値を感じているのだな~と考えているのである。目の前にある紙の本に私は触れることが出来るし、例えば(ダメだけど)叩いたり、落としたりしても、中に書かれた情報が消えることはない。それに、紙の本は何かに依存することはない。それだけで存在しているのだから、他の何かの物事が終わった拍子につられて消えてしまうことも絶対にない。

紙の本にも細かい利点や欠点が色々あるけれど、まずこの「物質性」と「半永久性」が何よりも大きな利点であり、魅力なのではないかと気付いたのである。そして私は、その魅力にどうしようもなく惹かれるからこそ、紙の本が好きのではないかと考えたのだ。

 

思えば私は装丁にすごく惹かれることがあって、好きな加工の施された本の表紙をうわ~~最高!とまじまじ眺めてしまったり、特殊印刷加工の実物サンプル本も持っていたりする。こうした印刷加工の素材感というのも、平面のデジタル媒体ではどうしても表現できない部分である。この辺りも紙の本の「物質性」に惹かれる一因なのであろうなと思う。

仕事で論文扱う時とかはコピー面倒くさ!!手切れる!!送るの大変!!数回読むだけならデータで送らせて!と思ったりすることもあるのだけど。この辺りは用途に合わせて柔軟に紙の本とデジタル媒体を使い分けても良いのかもしれない。いやでも紙で読んだ方が捗るという気持ちもとても分かるので頑張って発送したりしている。

あとやはり、雑誌なんかはその当時の流行や空気感をそのまま1つの存在としてパッキングしてくれているものが多いので、文化研究をしてきた身としては凄く役に立つものに感じている。インターネットでそれらを一つ一つ調べるのは恐ろしく手間がかかるし、流行の情報なんかだとそれこそサービス終了で欲しい情報はもう消えてしまっていることも多い。修士論文を書く時に、紙の雑誌の存在が本当にありがたかった。出版の中で雑誌が一番落ち込んでいるとは聞いているが、どうか無くならないでほしいものである。買うからさ。

 

あとは余談だが、推しが雑誌に載るのもやはりそういった意味で嬉しい。インタビュー記事なんかは、時が経って開くと「この記事は存在しません」の文字が目に飛び込んでくることも多いので、手元にずっと残しておけて、いつでも読み返せるのは凄く嬉しい。

やっぱり紙の本って良いな。

 

まあそれを書いているのがこうしたデジタル媒体のメディアであるというのはある種の皮肉になってしまうかもしれないけど、

私は誰かに読んでほしくてこの文章を書いているから、そこを優先した結果、個人で発信しやすいインターネットのとあるブログという形態を選んでいる。しがない覚え書きのようなものだから、という気持ちもあるのかもしれない。

いつかここで書いたことが自分にとって物凄く必要だなと感じたら、紙に起こしておこうかな、と思ったりしている。

 

P.S.

少し話はズレるが、あつまれどうぶつの森の攻略本がめちゃくちゃ売れている理由が、インターネット上で中身のない攻略サイトが乱立されて、検索に引っかかるようにプログラミングされている(アフリエイトなどのためだろう)せいでファンが欲しい情報に全くたどり着くことが出来ない状況だからだと聞いて、これも情報社会が成熟しすぎた結果なのかな…と思ったし、やっぱり紙の本に立ち戻る瞬間が少しずつ訪れているのかもな~と思ったりした。