ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

「いま、ここ」なコンテンツの力の強さを感じる話

最近特に、世の中において「いま、ここ」感が強いコンテンツがものすごく強い力を持っているな~と感じる。

 

ここで言ってる「いま、ここ」というのは

特に哲学的な意味とかではなく、

今、この時にタイムリーに展開されていくものとか、すでに出来上がったものを提示されるというよりはその場(それが厳密にその場ではなくても)、消費者の目の前で物語や作品が進んでいくことを指している。

 

それを表すのにふさわしい言葉ってなんだろうと考えた時に

「いま、ここ」かなと思った次第である。

 

まあ元より消費者の声はエンタメにおいて人気を獲得するのには欠かせない一要素だし、大々的にそうした要素を取り入れているものはそこそこ前から存在するとは思う。

 

例えば、今読んでいる『アイドル/メディア文化論』(西兼志著)では、

「リアルタイム、「光ー時間」」に近づくことが、メディアの 趨勢であり、力の源泉でもあると述べられており、アイドルという存在はそうしたリアルタイムをデビュー前の成長過程を見せることで必要不可欠な存在であることが述べられ、そこにおいてファンは「愛着」と「批評」の2つの視点を持つようになったことが述べられている。

具体例としてAKB48が挙げられていて、彼女たちは「プロダクト=(完成品)」ではなく常に変わり続ける「プロジェクト=(成長)」であることが説明されており、リアルタイムで変わり続けるアイドルをファンが投票などで審査の過程にも立ち会っていくという方式が示されている。

これなんてまさに、「いま、ここ」でアイドルのドラマが進んでいき、そこにファンの声が反映されていくという例だと思う。

 

あとは、テレビやラジオ番組で視聴者から寄せられたお便りやメールを読んで、それを元にリアルタイムに進行していく…という企画なんかもありふれたリアルタイム+消費者の声の形式のエンタメであろう。

 

ただ、私がここで言及したいのはそうしたものとは少し違う。

今挙げてきたものは、生身の人間が関わり、対象になっている企画やプロジェクトである。しかし私が言及したいのは、あくまで対象の作品や物語を形作っているのは作者や制作であり、それらが私たちの生きている「いま、ここ」の時間と共にタイムリーに進んでいるような感覚を覚える場合の話である。

基本的には作者や制作が考え、完成したものを提示するのが主だったゲームやアニメなどのコンテンツに関しても、最初から全て決まったものを提示していくのではなく、眼前で、少なからず意見や要望を取り込みながらタイムリーに展開していくコンテンツが増えているように感じている。

 

例えば、ファンの投票や意見で物語や衣装が変化したりするという企画は最たる例かもしれない。

そのように制作側が直接意見を求めていなくても、SNS他でファンが発信した意見や要望を拾い上げて反映していく例は多くある。

 

また、ソシャゲや配信型のゲームなんてのは形式自体がそれに当てはまる例だと思う。

 元々は作りきり、買いきりが基本であったゲームが、日々更新され、次々と新しいストーリーやキャラクターが追加されていくものとなった。

その更新の中では、プレイヤーの意見や要望が反映されることもよくあるだろう。

キャラクターがまるで私たちと同じ時を生きているような感覚を覚えることもある。

まさに、「いま、ここ」で進んでいくコンテンツだなと思う。

 

どうして現在このような「いま、ここ」なコンテンツが力を持っているのか、と考えてみると、

まずは、単純にファン(消費者)側が意見を表明する場が整ったというのが大きいと思う。

言うまでもなくそれはSNSツールである。

ファンが自ら感想や要望を随時発信していくことが当たり前になったことで、制作側が専用に場を設けなくても即時に意見を拾い上げることが出来るようになった。それによりファンの欲するものを即時に提供することで商業的に成功する、という方式が定着していって、それがタイムリーに進んでいく作品に繋がっているのだろうと思う。

(そうしてファンの意見を随時反映していくことが必ずしもプラスに働くわけではないけれども。)

意見表明という部分ではブログやHPなんかはやや昔から存在していたけど、これは昨今のSNSの情報の速さあってのものに思える。

 

あとは、以前美術手帖2.5次元特集(確か)で「現在、ファンは「体験」を求めており、体験型コンテンツが人気を博している」と述べられていたのを読んだことがあるが、それも関係があるように思う。(ここでの「2.5次元」は舞台作品だけではなく、聖地巡礼やコスプレなど「アニメやゲーム作品をリアルに感じることの出来る物事」全般を指して使われていたと記憶している。)

「体験する」ということには、「その物事に流れる時間をも肌で感じる」という意味が内包されていると思う。コンテンツの中身を見たり聞いたりしてインプットするだけでなく、そこに存在する〈時間〉をもリアルタイムに体感することに注目が集まっているということであろう。

こうした「体験」への注目は間違いなく、ファンの目の前で進んでいく「いま、ここ」なコンテンツへの需要の高まりと関係があるだろう。

そう考えると、(生身の人間が関わるという意味では少しここで取り上げているものからは外れるかもしれないが) 2.5次元の舞台も「いま、ここ」なコンテンツの一部と言いうるかもしれない。アニメやゲームといったあくまでも「作者や制作が作った作品」をその場で再現されることで、(例え元が完成された状態で提示された作品であっても)舞台としてのその作品は〈その場〉でタイムリーに作り上げられてく。時には観客の反応で流れが変化することもある。キャラクターと同じ時を生きている気持ちが芽生えることもあるだろう。こうした点から、今まで述べてきた「いま、ここ」的なコンテンツと非常に近い性質を持っていると考えられるだろうと思う。

 

そして、最後に最近見かけたあるツイートを読んで考えたことが理由として挙げられるかもと思っている。

(あくまで私がそれを読んで連想して考えたことで、ツイートで主張されていることはまた別の内容なので敢えて引用などはしないでおく)

それは「時間がない」ことである。

周りの人を見ていてもこうしたネット上の意見を見ていても、やはり現代人、物凄く忙しそうな人ばかりである。

技術革新で色々なことが便利になっているとはいえ、それが逆にまた覚えること・やることを増やしているという側面もあり、仕事にせよ私事にせよ、忙しい世の中を生きている人ばかりである。

ここ数ヶ月はコロナの影響で暇を持て余していた方もいたかもしれないが、だんだんと元の日常が戻ってくるにつれてまた忙しい毎日に身を置く人も増えているだろうと思う。物理的には時間があっても気持ちが疲れてしまっていることもあるだろう。今の所そんなに忙しい暮らしをしてはいない私ですら、仕事を終えて帰ってきて、本読みたいけど何もしたくないな~…という矛盾した気持ちになることがあるから、もっと忙しい暮らしをしている人は一層そうなのではないか。

完全に完成されたコンテンツやすでに完結した作品を後から追っていくというのは、結構労力が要ることだと思う。忙しい中で合間を縫って楽しむ、ということを考えると、現在進行系で進んでいるものを少しずつ楽しんでいく方が気軽で手軽な気がするのである。

なおかつ、「いま、ここ」的に自分の生活と同時間的に進んでいくコンテンツであれば、同じ時間にいるように感じられることで、より馴染みやすく入っていきやすいものなのではないかと思うのである。

(終わっているものを追うほうが自分のペースで追い進められて楽だという意見もあるかもしれないけど、コンテンツや作品の規模が大きければ大きいほど最後まで行き着くのに時間がかかり、既に終わりがハッキリしているのに、時間の問題でなかなかたどり着けないというのも歯がゆいものだと思うのである。まとめて見たり読んだりする時間があれば良いのかもしれないが…。)

 

今述べてきたことは、一言で言ってしまえば、「時代の流れ」とか「時代性」ということになるのかもしれない。しかし、その中に様々な理由や物事の関係が付随するのだと考えていくと、なかなか面白いものである。

今の段階だと「いま、ここ」で展開しているものとはいえ、どうしても制作し提示するまでのタイムラグがあるが、技術がより発展していつかそのタイムラグすら取っ払われて即時的にコンテンツが提示される時代が来たとしたらどうなるのだろうか。(そこまでいくと通信技術とかAIなんかが絡んでくる問題になりそうだ。)

「いま、ここ」的なコンテンツと私たちの実際の生活や暮らしが密接に、最早融合していく可能性もあるのだろうか。私はそういう技術的な部分には全く詳しくないのでこの先のことはよくわからないが、それはそれで面白いかも、と思ったりもする。

まあとりあえず今は、たまにはそんなことを気に留めながら、自分の好きな「いま、ここ」を楽しんで暮らしたいと思う。