ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

5ヶ月ぶりに吸いこんだ劇場の空気と-舞台『死神遣いの事件帖-鎮魂侠曲-』感想

春から舞台は中止に中止が重なり、

板の上の推しが見られなくて歯がゆい日々が続いてきたけど、7月、久しぶりに推しの出演舞台が開催されたので、観劇してきた。

 

生で推しを見るのは5ヶ月ぶり、舞台自体は4ヶ月半振りの観劇だった。

 こんなご時世なので持っていた地方公演のチケットは泣く泣く手放し、東京公演を10回いかないくらい観劇した。

 

初日辺りはとにかく、推しが板の上にいるという事実だけで感無量で、ああ、見られて良かった~~!!という気持ちでいっぱいだった。

でも内容にはそこまで惹かれず…って感じだった。でも、回数を重ねるごとにおっ結構噛めば噛むほど面白い系だな?と思ったので、オリジナル作品なのもあるし、折角だから感想として書き残しておきたいと思う。

あと内容だけではなくて、このご時世に足を運んだことで感じた、劇場におけるある種の異様な雰囲気(仕方がないものだけれど)についても書き残しておこうと思う。何年後かに「あ~あの時はこんな風だったっけ」と振り返る時が来るかもしれないと思ったから。

 

それは『死神遣いの事件帖‐鎮魂侠曲‐』という作品であった。

 

例のごとく、推しを明示することはしませんが、見ている時間が長い分無意識に偏ってしまうことはあると思うので、そこは気づいてもそっとしておいていただければ…笑

***

この作品は映画と舞台の連動作品で、先に映画があってその続きを舞台で…という形式だった。なので、舞台を楽しめるようにと舞台の前に映画も見に行った。(推しいなかったけど)

さすが東映、一風変わった特撮って感じで派手な演出が繰り返されるのは画面映えするし見てるのは結構楽しかった。でも内容的にはまあ面白いかな~位の印象だった。設定もすごく目新しいという感じではなかったし。もう清々しいほど舞台に続くぜ!というラストだったのはわかりやすい取っ掛かりになってて、舞台版早く見たいな~!というワクワク感が増加したのは嬉しかったな。

 

そして、舞台版。

映画版とは脚本演出の方も違うということで、単純に映像と演劇の違いという面を除いても、確かに軸は続いているけど雰囲気は全く違って面白いな~と思った。

実は毛利さんの舞台は観るの初めてだったから、どんな感じなのかあまり想像は出来てなかったんだけど、聞いてたイメージとはあまり齟齬がなかったような気がする(?)ストレートにアツいというか、そういう感じ。

 

ただ、冒頭でも書いたとおり、初日の辺りは中身にはあまり惹かれず…という感じだった。悪くないけど、そこまでしっくりこないというか。

でも、回を重ねるごとに結構面白くない?と思うようになって、何度か観たらそう思った理由がなんとなくわかるようになった。私は観劇をする時って、特に初回は、結構意外性とか細かい謎解きみたいな部分に着目して、余韻を楽しむ…みたいな感じのことが多い。でも、観劇する中で「しにつか」は言ってしまえば王道な作風だと思ったから、そういう楽しみ方は違うかもと思った。パンフレットのインタビューでも毛利さんが「この作品は正攻法で、任侠チームが正義のヒーローとなって悪い死神と戦う物語」と仰っていたし。(上で、聞いてた毛利さんの作風と齟齬がなかったーと書いたけど、そういう部分を全面に出してくるのがそもそもこの人の作風なんだなというのを実感したというのもあったりした)

だから、毎回細かい部分を観察して発見していくというよりかは、見せ場をおさえておいてそこに注目するみたいな見方の方が合ってるかもと思った。(まあそれでももちろん推しの細かい動きは観察しちゃうけど…俳優のオタクなので…)回を重ねていくうちに結構良いな!?と思ったのは、話の流れや見せ場がわかってきたからだというのが答えだったんだなと思った。

 

なんだか前置きのようなものが長くなってしまったようで恐縮だけど、

そんなわけで、この作品は一言で言えば王道の勧善懲悪ものだと思う。軸になっているのは完全に正義 対 悪という構図だし、最終的に勝つのは世のため人のため戦う「正義」の主人公サイドだ。

ただ、この作品の「善」は確かに世のため人のため生きている存在だけれど、純粋ピカピカのヒーローではない。話の流れはある意味すごくストレートだけど、「善」である新之助を中心とした主人公サイドは町民にガラが悪く乱暴ものだと思われている侠客と、本来人間の敵となるはずの死神である。なので、善サイドでありながら、怖がられたり嫌悪されたりする様子が描かれたり、死神は死神で本来の力を取り戻して敵サイドに闇落ちしかける様子も描かれたりする。この、ただのヒーローにはなりきらないひねくれた部分がこの作品の持ち味だし、面白い部分だなと思った。

主人公の新之助は、口もガラも悪いけど、人一倍人のことを考えていて、自分よりも人を優先してしまう人物。物凄く優しいのに物凄く不器用だから、仲間にそれが伝わらなくて衝突してしまうシーンもあったり。

でもそういう不器用なりに仲間や敵とぶつかっていく部分が、悩んだなりの「正義」として勧善懲悪な部分をより引き立たせているのが良かったと思った。単なるヒーローが言ったらふーんそうと思ってしまいそうな部分も、新之助が口が悪いなりに諭すから納得出来る…みたいな所があったと思う。言葉だけ拾えばヒーローっぽさがあるけど、それでも「自分は侠客」という信念や覚悟を持って生きている感じがあって、王道くさくなりすぎないためのスパイスになっているような感じ。ストレートにカッコいいなと思った。崎山さんのドンと構えている演技もぴったりだったな。

 

うって変わってもう一人の主役的な立場の死神・十蘭は、死神とは?と思うくらい穏やかで丁寧な口調で話す人物に描かれている。ガラの悪い新之助とのコントラストが面白い。丁寧ではあるけど、新之助が素直に言えない気持ちをバッサリ言い切る部分もあったりして新之助とのコンビ感がすごく良い。ただまあ本人、自分のことに大しては全く素直じゃないので、後述する幻士郎の件やら実はお小言を言いつつも何だかんだ新之助のことを物凄く心配している素振りについて指摘されると途端にツンツンしちゃうのがとても可愛い。私はツンデレが死ぬほど好きなのでかなりツボにハマったキャラクターだった。

そして、十蘭は元々は幻士郎という死神遣いに幻士郎の父の代から仕えて一緒に戦っていた。でも、映画版で幻士郎が亡くなってしまい、死神の世界に帰るはずが何故か帰れずにいた所を何故か十蘭が見える(普通の人には死神は見えない)新之助に拾われて過ごしている…というのが舞台版の導入になっている。映画版を見るとわかる通り、幻士郎は大切な徳川の血筋のお嬢さんを守るために敵の死神と戦って命を使いきっていて(死神との契約の代償は命なので)、十蘭はいわば突然主人を失くした状態。仕えている時は幻士郎の奔放ぶりに小言を言っていたけど、幻士郎を三途の川に見送る時にボロ泣きしている所からもわかる通り、もう大好きなんだよね、幻士郎のこと。

だから幻士郎がいなくなってせいせいしてます!とか言いつつ仇の百目鬼が目の前に現れたらムキになって刀を抜いてしまうし、彼を生き返らせる術があると唆されたら敵についていってしまう。もう大好きじゃん…。これが俗に言うクソデカ感情ってやつか……と妙に納得してしまったりした(?)

今書いたとおり、幻士郎を生き返らせる術があるなら…と敵サイドの天元についていってしまって、元の凶悪な死神だった頃の姿を取り戻して新之助を襲いに来るわけなんだけど(新之助を殺せば幻士郎が戻ってくると唆されているので)、この十蘭の人の変わりようがすごい。もう新之助もびっくりなガラの悪さになるのだけど、なんかどこか寂しそうだな~と感じて、案の定新之助との対峙の時にそれを指摘されるんだよね。

その時の十蘭を諭す新之助が、 口は悪いけど本当に真っ直ぐ、十蘭の存在を肯定している感じがして、ヒーローだなあと思った。この後十蘭が自我を取り戻して天元に向かって言う「誰とも違う、死神として生きる」というセリフがなんだか印象に残ってる。死神として「生きる」という死神らしくない言葉が、十蘭の妙な人間臭さを表しているようで的確というか、上手いなあと思ったりしたので。

最終的に天元を倒して、幻士郎を生き返らせる術はわからないまま十蘭は新之助とも契約をして過ごしていくことになるんだけど、「新之助とならその方法を見つけられるかも」みたいなセリフがあって、十蘭、新之助のことも大好きじゃん……と思い、Wクソデカ感情に潰されそうになったりしてた。新之助に死神遣いの才能があるのに言わなかったのは、勿論幻士郎との契約もあるけど、新之助のことあまり巻き込みたくないって気持ちもあったのかなあと思ったりしたし。可愛いな、十蘭…。本当に526歳か?

あと、十蘭は比較的踊るシーンが多かったのだけど、勿論ダンスの上手い俳優さんも沢山いる(私の推しだって結構踊れる方だと思ってる)のは重々承知なんだけど、なんかまた違った華やかさがあって、なんというか、さすがだな…と思ったりした。

…いや十蘭の話長すぎん?

私の推しは正直出ずっぱりの役ではなかったから、自然と舞台上で他の人物を見ている時間がそこそこ長くて、十蘭可愛いな~と思って重点的に見ていたらドツボにはまってしまった…のかもしれない(?)あと、アドリブが結構多めだったんだけど、いつの回も場を壊さない程度に遊んでて、安井くんのアドリブ力すごいなと思ったりもした笑

 

ダンスと言えば権左役の松浦さんもカッコよかったな!鬼八一家の3人衆は新之助とぶつかるシーンもあれど、仲間として本当に尊敬しているんだな~というのが節々に感じられた。個人的にアドリブで喜三郎の似顔絵で遊ぶ伝吉が可愛かったなというのが印象に残ってる。笑 あとひたすら百目鬼に遊ばれている義助。笑

 

そして、悪役サイドは、新之助サイドとは真逆のザ・悪役といった感じで。ただ、その親玉の天元も「死神が人間に仕えなくても良い世界」という死神の自由を求めて戦っているわけなので、立場を変えれば、彼は彼なりの正義で戦っているわけでもあり……。メメントやヴァニタスも、自分の死神としての信念に従って彼についていっているわけで。(なんかこんな話RE:VOLVERの感想の記事でもしたような…私、正義の話が好きなのかもしれない)でも百目鬼を見ていると、死神が人間に仕えないことが本当に死神にとって良いことなのか?というのも考えてしまうし、やはりこの物語において、軸は人間の世界なわけなので。彼は純粋に悪役だな、と思う。

天元は、笑っていたと思ったら一瞬あとにはスッと真顔になっていたり、あまりにも人間性が読めなすぎて(まあ人間じゃないけど)怖いなあと思っていた。

いやそれにしても、メメントに「Yes, my lord」言わせたすぎでしょ!笑

 

映画版でも登場した百目鬼は、映画では完全に悪役だったけど、今回は敵?味方?どっちでもない?というのが最後までよく分からないまま、まさにトリックスターとして場をかき回していく立ち回りだったなあ。彼にとっていちばん大切なものは「自分の死神としての矜持に値するか」であって、敵とか味方とかいう概念がそもそもないのかも…と思ったり。自分が死神らしくあれる場を選ぶ、ただそれだけ。そんな気がしてくるし、舞台版を見てから映画のことを思い返すとまたイメージが違ってくるかも、と思ったりした。ある意味一番いわゆる「死神」のイメージを踏襲しているキャラクターだったかもと思う。百目鬼も割とアドリブが多かったりしたけど、自撮り死神ネタが好きだったな。笑

 

そして、今回、正義と悪の話の流れをつなぐ立場である、喜三郎と、お菊。

そもそもは、お菊がいなくなった喜三郎を見つけることを新之助に依頼しに来る所から話は始まっていて、喜三郎は目的のために天元の元で辻斬りをしている。で、実は彼らは映画版で新之助を助けるために死んでいった仲間の一八の兄弟で、彼を死なせた、言ってしまえば仇である新之助に復讐をするために近づいていた。喜三郎が天元についてたのも、新之助を殺すため。

お菊は新之助を呼び出して仇を取ろうとするけど、伝吉に止められて、一八のこと忘れてなんかないという話を聞いて思いとどまって。喜三郎はそれでも新之助を討とうとするんだけど、お菊が新之助を庇ったことと新之助の説得もあって、「一緒にいなきゃどんな人間か分からないし、一八の気持ちもわからない」って新之助と共闘することになる。(そしてそのまま仲間になる)

最終的に一八が無駄死になんかじゃないことが分かり、新之助の熱さに説伏せられて復讐から解放されるというのはわかったんだけど、この二人はもう少し掘り下げが欲しかったなあ。

特に喜三郎。

復讐のために侠客になったのはわかるけど、お菊がどこまでそれを容認してたのかがよくわからなかったのと、最後まで殆ど「お前のせいだ」ばかりで人物像が読み取りづらいのが残念だったなあ。折角メインビジュアルにもキーパーソンな感じで写ってるんだからもう少し出番あっても良くないですか!?役どころはすごく良かったので、それだけちょっと残念。お菊はまだ、新之助とのシーンで胸の内が語られていたから人物像もつかみやすかったけれど。仲間になったわけなので、次回作があったらもっとパーソナルな部分も触れてほしいな。

ただ、セリフが少ない分櫻井さんの表情のお芝居に注目できたのは嬉しかったかも。新之助の刀を受けてギリギリで保っている表情で明らかに力の差があることがわかったりとか、天元に連れられて羅厳親分の所に現れたときのうつむいて曇った表情で本当は辻斬りにも納得していないのかな~とか、頑固そうだけど諭されている感じであ、割と幼い設定なのかな?とか本当は素直なのかなあとか思ったりした。この辺りはもう完全に憶測だけど、ご本人がパンフのインタビューで「喜三郎には弱い部分もあると読み取れたから、葛藤をどう表現するか悩みどころ」みたいなことを話していたから、そういう部分にそれが現れているんじゃないかなぁと見ていて思った。

仲間になった後の憑き物が落ちた!みたいなあどけない感じは可愛かった。(実際死神から解放されているから憑き物落ちてるか 笑)義助がお菊さんに言い寄ろうとしてるのを一生懸命通せんぼしてるのがとても可愛かった。

 

あまり触れてないけど、保科は序盤のストーリーをいい感じにミスリーディングしてくれたし、羅厳親分は渋くてカッコよかったな。

衣装も侠客がメインってことでみんなきらびやかで、舞台に映えててすごく良かったな。

 

長くなってしまい恐縮だけど、今回はキャラが立ってる作品だったので、登場人物に焦点を当てて感想を書いてみた。

何度も観てみると本当に初見と結構印象が変わったので、円盤などで見られる方も是非何回か見てみてほしいなーと思ったりした。あと私は東京公演のみの観劇だったけど、千秋楽に向かうにつれて段々アドリブが入ってきたり、セリフや細かい動きが変わったりとか(谷口さんがこの辺り結構変えてたね)っていうのも結構楽しめたな。

 

そして、この作品は7月末から8月にかけての公演で、中止続きだった舞台作品が座席収容率50%でちらほら動き始めた頃だ。

この作品も収容制限のために一度払い戻しがあって、再度購入制限をかけて販売…という形だった。再度チケット取れた後も、近い期間の公演が途中で中止になったりするのを目の当たりにしていて、本当に幕が開くのかすごく心配だった。今回良席ばっかりだったのもあって、初日の前は本当にぐるぐるしてた笑(その前の推しの出るはずだった公演も最前飛んだので泣いちゃいそうだった)

結果として初日に無事に幕が開いて、大千秋楽まで無事に公演が出来て本当に良かった…という感じだったんだけど、払い戻し対応もあってか2階席まで出てる公演なのに土日でも前方に空席が目立って、すごく切なかったし、今までじゃ絶対こんなのあり得なかったから(元から埋まってない公演はその限りではない)すごく異様に感じてしまったりした。(どうしても来れない人も沢山いらしたと思うし、私だって地方チケット手放してるし、仕方がないことだというのは重々承知なのだけど。)2列目で横がいないとか、5列目で前の席と自分のブロックの横全員いないとかザラにあった。

ロビーや劇場内がすごくしーんとしてるのもなんだか少し怖かった。友達とばったり会っても会場内では勿論一言二言挨拶するくらいしか出来なくて、寂しかったなあ。(建物外で話すことは出来たけど…)

改めて、終わったあとのみんなが口々に高揚した気持ちでいろんな話をする中で帰っていく熱気までが現場の醍醐味なんだなぁと思った。

そして、配信や映像が生の芸術に取って変わるなんて絶対絶対ムリ。人の身体がある限りは未来永劫それが逆転することは絶対にないなあと劇場の空気を吸いながら思った。

観劇好きだなあ!!

 

早く前のように観劇を楽しめる日が来ると良いなあ。

あと「しにつか」続編観たいです!