ささやかな備忘録

大体推しの現場にいるけど推しの話は少ない

マシュマロのお返事

寒くなってきましたがいかがお過ごしでしょうか。

私は推しの舞台期間が終わったあと

オンラインでトークしてヤッホーと言われたり

WITHの舞台を観に行くなどしていました。

(アサヒのあろまちゃん真似に大爆笑するなどした)

 

さて、だいぶ前に連携してるツイッターではお返ししたのだけど、

すごく嬉しいマシュマロを頂いたので

こちらでも返信しておきたいなと思う。

 

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前々回のエッセイ同人誌を作ります!と告知をした記事を投稿したあとに

頂いたマシュマロ。

普段マロや感想をいただくことがあまりないので、頻繁にチェックをしないんだけど、

(そのせいで気づくのが遅れてしまって申し訳なかった……。)

なんとなくボックスを覗いたらこのメッセージが届いていて、

すごく驚くと同時にすごく嬉しかったです。

 

私は特に創作を書いているわけでも二次創作やってるわけでもないから、

自己満足の部分が大きい記事などを

こうして読んでくださる方がいるというのは奇跡だな~と思っていて。

こんな風に言ってもらえると思っておらず、本当に嬉しいなって。

あ~~また頑張って書こう!という気持ちになるなぁと思う。

 

エッセイ誌の頒布がいつになるか現段階ではわからないけど、頑張って作ります!!

マロを下さった方、本当にありがとうございました!!

 

今はエッセイ誌の原稿書くのに使えそうな理論とかないかな~と本を読んでいて、

積ん読していた川村邦光の『オトメの祈り』を読みながら、〈オトメ共同体〉という〈想像の共同体〉ってネットで繋がってくオタクの集まりにもすごく当てはまるんじゃないかな~と思うなどしている。

(少し前のユリイカでこの「オトメ」と乙女ゲームの「乙女」を結びつけた論考を書かれていた方もいた気がする)

こうして読んだものがどこかしらに活きると良いな。

 

それでは。

 

 

(Twitter: post_siteimasu)

迷い込んだのはとあるダイナーだったー舞台『Oh My Diner』感想

この前観劇した作品の感想。

私の場合大抵は観劇して割と経ってから感想を書くことが多いのだけど(単に書き始めるまでの取っ掛かりが遅いだけ)、今回はすぐ「書いておきたい!」と思ったので、

1週間しないうちにに筆を執っている。

記憶が新鮮なうちに書き残すことを急かしてくれるようなそういう性質の、そう思わせてくれる作品だったのかな、と思う。

『Oh My Diner』という舞台作品である。

 

ある日仕事帰りにツイッターを開いたら、諸星翔希くんが舞台に出るよ!という公式ツイートが目に入った。へーモロの演技まだ生で見たことないから見てみたいなぁと詳細を開いたのがこの作品を知った切っ掛けだった。

詳細を開くとポップなキャストビジュアルが目に飛び込んできて、「可愛い~楽しい感じの作品かな」と更によく見ると、コメディミュージカルで脚本演出が三浦香さんという記述を見つけてなにそれ絶対好きなやつ!!と思った。私は最遊記歌劇伝を毎回必ず観に行っていたり、CLUB SLAZYが結構好きだったり(網羅出来ているわけではないけど…)するので、三浦さんの脚本演出に結構馴染みがある。しかもショーありのコメディとなれば、スレイジーを思い浮かべつつ絶対好きなやつ!!と思ったわけである。キャストさんも知ってる人が多いし、折角だから観に行こう~ということにした。

 忙しくて初めの先行をすっかり忘れててやっちまった…と思ってたんだけど、次の先行で週末のマチソワ取れて良かった!(忘れないでください)

 

当日会場に入ると、すごくポップで可愛いセットが目に入って、それだけでもうワクワクしてしまった。NYの看板を模したポスターの額もすごく楽しい!思わず写真に収めてしまう。

 

開演すると、本当にジェットコースターみたいにあっという間に時間が過ぎてしまうように感じるくらい楽しい作品だった!

どの登場人物もみんなこういう感じの人!って一言で表すのが難しいくらい一癖も二癖もあって、そんな彼らがみんな思い思いに喋って動くから画としてはすごくハチャメチャなんだけど、実は噛み合ってないようで噛み合っていたり、とんでも展開がムードのあるシーンへ繋がっていったりするような軽妙な言葉のキャッチボールがあって、すごくストンと世界に入っていくことが出来た。この辺りの展開がすごく三浦さんだな~と思った。好きです。

そうした言葉のキャッチボールからそれぞれの登場人物の色が見えてきたところで、一人ひとりにスポットを当てて生き方や姿を生き生きと描いてくれていて、そこからただハチャメチャなだけではない、みんなの居場所としての「Oh My Diner」が描かれるっていう流れがすごく良いなぁと思った。私は群像劇的なものがすごく好きなので、メインになってるプリンスやマシュー以外のキャラクターにもしっかり「そこにいる」人間としてスポットを当てて描かれているんだなと思った所が好きなポイントだった。

そして、この作品はオールディーズが沢山歌われるんだけど、どの曲も名前はわからなくても聞いたことのある曲ばかりだからスッと馴染めたし、場面や登場人物にぴったりな雰囲気の曲が選ばれていたのも聞いていてすごく楽しめたなあ。普段テレビとかで聞くことはある曲でも、こんな風に目の前でダンスも見ながらじっくりと聞くっていうことはなかなかないのでそれも新鮮だったし。(一緒に観劇していた母はまさに世代だから全部知ってる~!こんな風に聞けるのはすごく新鮮だねって楽しそうだった。)

ショーパートもキャストがみんな楽しそう~に歌って踊っているから見てるこっちも本当に楽しい~~という気持ちになった。(セットが変わった時はびっくりした)

 

登場人物のことはまた後ほど詳しく触れるとして、

お話ではやっぱり冒頭のSJがマシューと出会ってもしかしてお前…宇宙人――!?宇宙人とトモダチになったぞーー!って勘違いした所からどんどん話がこじれていく一連の流れが本当に好き(笑)SJが「コレ、クツ、ワカルカ?」って宇宙人語(?)で頑張って話しかけてる姿がとても可愛い(笑)

冒頭だとSJがかなりハチャメチャを率先して場をかき回してくれるし、違うと言い出せない感じからマシューの人物像が見えてくるのも面白いし。そこにジョシュアやプリンスが加わって全く噛み合ってないのに「宇宙人の力(ではないが)」という所で微妙に噛み合ってしまってどんちゃん騒ぎになるこの掛け合いの軽妙さ、すごくクセになる……!そのあとのJ.Yザックprojectもめちゃくちゃ笑った。初め、あの部分が完全なアドリブだって知らなくて、2回目観て全く違ったから毎回これを…!?と驚いてしまったりもした。最後まで騙されてたプリンス、俺様なのにおとぼけで可愛かったな。

そして、この宇宙人ネタを見たとき咄嗟にドラマ版のスレイジーでキャスト同士で電話して片や宇宙人のフリをして片や英語でまくし立てたせいで話がこじれてCBが「スレイジーが宇宙人に侵略されたぞーー!!」と叫ぶシーンが思い出されてしまって、三浦さん宇宙人で話をこじれさせるの好きだな!?と思わずフフッとなってしまった(笑)(てかあまり詳しくないけど結構スレイジーの舞台とスタッフさん被ってたね)

 

あとオリビアとキャンディのそれぞれの恋模様も、ちょっと捻くれてるけど可愛かった。最初は言い合いばっかりしてるのに、キャンディが落ち込んだ時はわざとらしくなくさり気なく励ましてくれるオリビア、本当にイイ奴…。一番友だちになりたい。あのシーンは、自分へも言い聞かせてるんだろうなぁと思った。イーサンと仲直りできてよかった。

プリンスが「ごめんなさい」を言えるようになるまでの「ごめんなさい」を聞くたびに効果音とともにフラフラになるシーンも、コミカルなんだけどテーマは至ってシンプルで、みんなが押し付けがましく説得するのではなくプリンスがちゃんと自分で気がつける流れが良いなぁと思った。

 

観ているととにかく登場人物がみんな愛しく思えてくる作品だったなぁと思う。

みんな癖がありすぎるんだけど、夢のために必死だったり、自分の生き方に正直だったり……「物語の登場人物」っぽくはあるんだけど、現実味もあって、そういう部分もスッと入っていける一因だったのかも。折角だから一人ずつの感想を。

 

プリンス

めっちゃくちゃに俺様!で、初っ端から神も愛した俺!って感じで登場するのになんだか憎めないのは、ちょっとおとぼけな所があったり、素直になりきれないけど本当は素直なんだろうなっていう部分が見え隠れするからなのかな。プライドが傷ついた時のプリンスはなかなか衝撃だったけど、結構可愛かった笑

そして登場シーンのターンや倒れる時の身のこなしは三浦宏規くん流石……!といった感じで惚れ惚れしちゃった。なんとなめらかな動き。

あとSJとの日替わりシーンが本当に可愛くて好きだった。前髪を気にするJKの回、とても良かったです(笑)あと衣装がカラフルなのにまとまってて可愛かった。

 

マシュー

宇宙人だと思われて、でもなかなか言い出せない感じはマシューのちょっと引っ込み思案な感じがよく分かる流れだなーと思った。でも最終的に優しさとプリンスの言葉に感銘を受けちゃうくらいの真っ直ぐさを武器に夢を追うぞ!ってなるのがとても愛しい。

J.Yザックprojectのシーンがガチ目なアドリブの日替わりだと知ったとき、増子敦貴くんのふわっとしてるのに強烈なアドリブ力に驚いてしまった。すごいよ……おばたのお兄さんとの掛け合いめちゃくちゃ面白かったもん。結局もっと大きな夢がなんだったのか明かされないままだったから、是非今後聞ける機会があったらいいのになぁなんて思ったり。

マシューズ5もノリノリで楽しそうでとっても良かった!

 

イーサン

実はすごい強個性。闇の部屋に閉じこもっちゃった時の独り言がどれも面白くて思わずフフって言っちゃった。特に○○さんの真似するぞ!で部屋に籠もっちゃったのに「誰だそれ」ってなってたのめちゃくちゃ面白かった。泣かないの可愛いね……。

初めはオリビアの愛にちょっと押され気味だったけど、本当はすごく優しくて、オリビアのことすっごく大切なんだなぁというのが節々から感じられて、最後はちゃんと仲直りできて良かった~~と思った。卵は美味しい。SJとのおとぼけ兄弟コンビも、端の方でわちゃわちゃやってるのがとても可愛かったです。

田中涼星くん別の作品で見たことあったけどやっぱり脚が数メートルある。ダンスも映えるし羨ましいスタイル。

 

リビア

ちょっと捻くれたこと言ってイーサンを困らせちゃうけど、本当は心は素直で真っ直ぐなんだろうな~というのがキャンディとの会話で見えてくる。所々のさり気ないツッコミも味があってとても好き。そして上でも書いたけど、キャンディのことをさり気なく励ます気の遣える優しさがすごく素敵。友だちになりたい。イーサンとのもだもだ感も少女漫画みたいでキュンとした。

しかし雷太さんも脚が長いので、イーサンと並ぶとマジで高スタイルカップル。ポーズつけたりダンスしてると本当に映えるなと思った!羨ましい。あと髪色が好きです。

 

ノア

ストーリーテラー的な役割もあるし、すごく落ち着いたキャラクターとして描かれているなと思ったけど、実はOMDのことをすごく大切に思ってて、熱い部分があるのかなっていうところが愛せる。プリンスとイーサンのドタバタをスッと受け流せるのは彼しかいない……!ショーパートでは打って変わってハジけてるのも良かった。

 

SJ

むちゃくちゃワルだしヤンキーなんだけど、物凄く情に厚い男。初っ端のハチャメチャの発端になっているだけあってとんかく突飛もない行動をするんだけど、くるくる動き回ってくるくる表情も変わっていく姿がとっても愛しい~~!!イーサンとのおとぼけ兄弟も可愛かったし、プリンスに対してツンデレなのも良かった。上でも書いたけど、日替わりのシーン好きすぎる(笑)

マシューの夢の話で僕になんて出来っこないと言った後に間髪入れずにお前なら出来るよ!!って言ってくれるの、本当にイイ奴。ちょっと意地張っちゃってるけど、本当はみんなのこと大好きなんだろうな―っていうのがこういう所から見えてきてとても愛しい。

他の映像見たとき、諸星くんは演劇っぽいけど自然な演技がすごく得意な人なんだな、と思った時があって、是非そういう感じの役やってるの見てみたいな~と思ってたから、SJがまさにそんな感じで良さが活きててそう!こういうの見てみたかったんだ~~!と思った。ある意味大げさではあるんだけど、わざとらしくないというか、そういう感じ。

私が観た夜の公演で武器にしてた棒が折れてしまってショック(泣)っていう顔をしながら、両手に持って振り回してるのが面白かったんだけど、その次の日ピカピカ光るバットに新調されていたという話を聞いてやったじゃん!と思った(笑)なにそれ楽しい。

そして、観劇前からサックス聞けるところがあると聞いていてすっごく楽しみにしていたんだけど、まさか小野田くんとコンビだと思わなくて……!ぜ、贅沢の極み……!!とすごくすごく嬉しかった。最初は何だオラって表情だけど、段々渋くて良い表情になって吹いていくのが曲の雰囲気に合っていてすごく良かった!!

ダンスも沢山見られて嬉しかった~~本当に楽しそうにしてるから見ているこっちまで本当に楽しくなってくる。観に来られて良かった~~!

 

ジョシュア

癖の強さでは恐らくピカイチなジョシュアさん。そこそことんでもないことをしでかしていることが語られるけど(笑)、彼も夢に向かって一直線なんだなぁと思うとやっぱりなんだか憎めない。マシューが彼に服を見立ててもらってSJがオシャレじゃん!って言ったもののジョシュアが見立てたと知った瞬間ダサくね?って言うの本当にウケちゃった(笑)いやお洒落だと思うし、彼のブティック、ちょっと見てみたいかも。

そして、やり方はとんでもないけど、お洒落だし、見る目はきっと確かなんだと思うから、今度は正攻法で素敵な子をプロデュースしてほしいと思う。がんばれ!(笑)ショーパートでなんとか雇ってもらおうとするのも可愛かった。

この作品を知ったとき、歌がある!小野田龍之介くんいる!行こっかな!って思った部分も実は結構あった。小野田くんを見るのは多分最遊記ぶりで(アリス・イン・ワンダーランドじゃないよね?最遊記のほうが後だよね!?(記憶が曖昧))本当に歌が素敵だったから機会があればまた聞きたい!と思っていたから今回また生歌聞くことが出来て本当に嬉しかった。低いのに艶のある素敵な声でバラードを歌い上げていたのが聞いてて惚れ惚れしてしまった。そしてSJのところでも書いたけど、ショーパートで小野田くんの歌+モロのサックスが聞けたのは本当に……贅沢としか……。

 

キャンディ

紅一点のキャンディちゃん。とってもチャーミングだった~~!My Boyfriend's Backが本当に可愛くて可愛くて。最後にマシューを好きになった時に、本当に好きになると気軽に好きって言えない!って言ってたのもめちゃくちゃキュートでした。恋してる!その反面、興味ない人にはめちゃくちゃ冷たいのもなかなかいい味出してた(笑)「デリケートに好きして」みたいな女の子だ……。

社家あや乃ちゃん、Best Of My Love(だったかな?)の歌が本当にむちゃくちゃ声量あるし艶と伸びがあって素敵!と思ってパンフレット見て生まれ年でびっくり。むちゃくちゃ将来有望だ……!演技もチャーミングですごく良かったし、機会があれば是非また見たいな。

 

ザック

縁の下の力持ち的にさり気なく、流れるようにスッと場を動かしていくかと思えば、J.Yザックprojectで突然プロデューサーになったり、この作品の「噛み合ってるようで噛み合わない」の一端を担っていたザックさん。

ハチャメチャを涼しげに真面目な雰囲気に戻したかと思いきや実は余計ややこしくしてるだけな所が多くて本当にいい味出してて面白かった。でも彼もまた夢を持って生きてるっていう真面目な部分も持っていて、ある意味二面的なのも良かったなぁ。

J.Yザックは本当に笑わせてもらったよ~~マシューの胸ポケットにドーナツ突っ込んだ時はどうしようかと思った(笑)あと、店の鍵はペンダントじゃないからあげないでください(笑)マシューとの掛け合い本当に面白かった。

おばたのお兄さん、実はあまりテレビとかでは拝見したことなかったんだけど、面白いし、日体大卒でアクロも出来るってすご……ってなった。

 

大分長くなってしまったのでこの辺りで締めるけど、

もしまた観られる機会があるなら行きたい!っていう作品だった。

 

再演でも続編でも、また『Oh My Diner』へ足を運べる日を心待ちにしております!!

 

 

 

 

何かありましたら

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エッセイ論考同人誌『「量産型」のゆくえー「量産型女子」から「量産型ヲタク」へ』作予定のお知らせ

appleringo.hatenablog.com

私が2018年にこの記事を書いてからはや2年が過ぎたが、

この2年の間に「量産型オタク(量産型ヲタク)」なり「量産型ファッション」、それに付随する「量産型メイク」なる言葉は随分と一般認知度の高い言葉となったように思う。

6~7年前から使われていたネットスラングを起点とする「量産型女子」とは違う意味合いを持ち、当初は殆どがジャニオタ(ジャニヲタ)を筆頭とするアイドルオタクのものだったと思われるこの言葉も、それが表すファッションとともに様々なジャンルのファンの間で使われるようになったと考えられる。今ではその段階を超えて、誰かのファンではない人々の間でも使われるようになっているようにも思う。

 

ファッションブランドが公式で自社製品の1つの強みとしてインスタ等で宣伝文句に用いることも珍しくはなくなったし、ファッションにおいて若者のインフルエンサー的な立場の人たち(YouTuberやインスタグラマーなど)が「量産型メイク」を自ら行ってみる動画なども随分増えたな、という印象を受ける。

最近だと「地雷系」との対比や類似点の指摘でその存在が語られることも多くなったと思う。

 

しかし、例えば先日あった雑誌「LARME」の誌面大幅改変における「量産型」「地雷系」を冠したファッションページの明らかなちゃちさに対するSNS上での批判的な意見の多さや、「量産型メイク」や「地雷系メイク」を有名メイク系インフルエンサーが取り上げたことによって、その存在を初めて知った人の間で面白おかしく取り上げられることなど、言葉だけが独り歩きしてしまっているような印象を受ける部分もある。

(「LARME」に関してはこの大幅改変で元の雑誌にあった良さが殆ど死んでしまったという部分があり、「量産型」を取り上げること自体に対する批判の方が多かったようには思う。しかし「量産型」「地雷系」という言葉がウケてるから取り敢えず付けてみたよ!と言わんばかりに取ってつけたように「それっぽい雰囲気」を提示してきたことを遺憾に思っている声も見られた。私自身もそう思った。少し前まで「LARME」を購読していたから今回の改変は私にとっても相当ガッカリ案件であった。)

 

このような世の流れを見ながら、今現在の「量産型」とそこから派生している言葉、それが表す物事について、一回じっくりと考えて書いてまとめてみようかなという気持ちになった。言葉が独り歩きを始めてしまっているように思える今、その言葉の実態をもう一度見直してみたいなという気がしてきたのだ。

 

そこで、一度自分で本を作ってみたいな、と思っていたこともあり、折角だから「量産型」をテーマにエッセイや論考を同人誌としてまとめてみようかな~ということになった。

というわけなんだけど、自分の記録と記念としてという部分が大きいし、需要があるかと言われるとすごく微妙なところだけど、読みたいと言ってくれた友人もいたりするので、多少冊数は刷って頒布をしようかな~と思っています。

このご時世なのもあり、頒布の方法とか値段はどうしようか、というのも考えないといけないし、そもそもまだ書き始めていない部分もあるので、まだはっきりといつ出します!とは言えないのだけど、もしご興味のある方がいらしたらまたチェックしていただけたら嬉しいなと思います。

 

一応このような感じで章分けをして、

このブログの記事を加筆修正した章と、新しく書き下ろした章をいくつか掲載しようかなと思っています。

 
『「量産型」のゆくえー「量産型女子」から「量産型ヲタク」へ』
1「量産型」は褒め言葉になったのか?
この記事の加筆修正になる予定)
2 「量産型ヲタク」を構成する要素とは何なのか?
3「量産型」は誰のためのものか?ー戦闘服としての「量産型」
この記事の加筆修正になる予定)
4「量産型」は「量産」であることに重きを置いているのか?ー「量産型」と「数」の関係とは
5 「量産型」へ変貌したブランドたちーギャルブランドの生存戦略
6「地雷系」と「量産型」ー近くて遠い新時代の〈カワイイ〉
extra 「量産型」と「ロリィタ」とー世代交代を迎える〈カワイイ〉のゆくえ
 
変更になる可能性は多分にあるけれど、だいたいこんな感じのテーマでエッセイと軽い論考を混ぜて掲載できればと思っています。
 
少し先にはなると思いますが、予定が決まり次第、またこちらのブログとツイッター:@post_siteimasuで告知をします。
もしご興味がありましたら、よろしゅうに。
 
 
 
 

5ヶ月ぶりに吸いこんだ劇場の空気と-舞台『死神遣いの事件帖-鎮魂侠曲-』感想

春から舞台は中止に中止が重なり、

板の上の推しが見られなくて歯がゆい日々が続いてきたけど、7月、久しぶりに推しの出演舞台が開催されたので、観劇してきた。

 

生で推しを見るのは5ヶ月ぶり、舞台自体は4ヶ月半振りの観劇だった。

 こんなご時世なので持っていた地方公演のチケットは泣く泣く手放し、東京公演を10回いかないくらい観劇した。

 

初日辺りはとにかく、推しが板の上にいるという事実だけで感無量で、ああ、見られて良かった~~!!という気持ちでいっぱいだった。

でも内容にはそこまで惹かれず…って感じだった。でも、回数を重ねるごとにおっ結構噛めば噛むほど面白い系だな?と思ったので、オリジナル作品なのもあるし、折角だから感想として書き残しておきたいと思う。

あと内容だけではなくて、このご時世に足を運んだことで感じた、劇場におけるある種の異様な雰囲気(仕方がないものだけれど)についても書き残しておこうと思う。何年後かに「あ~あの時はこんな風だったっけ」と振り返る時が来るかもしれないと思ったから。

 

それは『死神遣いの事件帖‐鎮魂侠曲‐』という作品であった。

 

例のごとく、推しを明示することはしませんが、見ている時間が長い分無意識に偏ってしまうことはあると思うので、そこは気づいてもそっとしておいていただければ…笑

***

この作品は映画と舞台の連動作品で、先に映画があってその続きを舞台で…という形式だった。なので、舞台を楽しめるようにと舞台の前に映画も見に行った。(推しいなかったけど)

さすが東映、一風変わった特撮って感じで派手な演出が繰り返されるのは画面映えするし見てるのは結構楽しかった。でも内容的にはまあ面白いかな~位の印象だった。設定もすごく目新しいという感じではなかったし。もう清々しいほど舞台に続くぜ!というラストだったのはわかりやすい取っ掛かりになってて、舞台版早く見たいな~!というワクワク感が増加したのは嬉しかったな。

 

そして、舞台版。

映画版とは脚本演出の方も違うということで、単純に映像と演劇の違いという面を除いても、確かに軸は続いているけど雰囲気は全く違って面白いな~と思った。

実は毛利さんの舞台は観るの初めてだったから、どんな感じなのかあまり想像は出来てなかったんだけど、聞いてたイメージとはあまり齟齬がなかったような気がする(?)ストレートにアツいというか、そういう感じ。

 

ただ、冒頭でも書いたとおり、初日の辺りは中身にはあまり惹かれず…という感じだった。悪くないけど、そこまでしっくりこないというか。

でも、回を重ねるごとに結構面白くない?と思うようになって、何度か観たらそう思った理由がなんとなくわかるようになった。私は観劇をする時って、特に初回は、結構意外性とか細かい謎解きみたいな部分に着目して、余韻を楽しむ…みたいな感じのことが多い。でも、観劇する中で「しにつか」は言ってしまえば王道な作風だと思ったから、そういう楽しみ方は違うかもと思った。パンフレットのインタビューでも毛利さんが「この作品は正攻法で、任侠チームが正義のヒーローとなって悪い死神と戦う物語」と仰っていたし。(上で、聞いてた毛利さんの作風と齟齬がなかったーと書いたけど、そういう部分を全面に出してくるのがそもそもこの人の作風なんだなというのを実感したというのもあったりした)

だから、毎回細かい部分を観察して発見していくというよりかは、見せ場をおさえておいてそこに注目するみたいな見方の方が合ってるかもと思った。(まあそれでももちろん推しの細かい動きは観察しちゃうけど…俳優のオタクなので…)回を重ねていくうちに結構良いな!?と思ったのは、話の流れや見せ場がわかってきたからだというのが答えだったんだなと思った。

 

なんだか前置きのようなものが長くなってしまったようで恐縮だけど、

そんなわけで、この作品は一言で言えば王道の勧善懲悪ものだと思う。軸になっているのは完全に正義 対 悪という構図だし、最終的に勝つのは世のため人のため戦う「正義」の主人公サイドだ。

ただ、この作品の「善」は確かに世のため人のため生きている存在だけれど、純粋ピカピカのヒーローではない。話の流れはある意味すごくストレートだけど、「善」である新之助を中心とした主人公サイドは町民にガラが悪く乱暴ものだと思われている侠客と、本来人間の敵となるはずの死神である。なので、善サイドでありながら、怖がられたり嫌悪されたりする様子が描かれたり、死神は死神で本来の力を取り戻して敵サイドに闇落ちしかける様子も描かれたりする。この、ただのヒーローにはなりきらないひねくれた部分がこの作品の持ち味だし、面白い部分だなと思った。

主人公の新之助は、口もガラも悪いけど、人一倍人のことを考えていて、自分よりも人を優先してしまう人物。物凄く優しいのに物凄く不器用だから、仲間にそれが伝わらなくて衝突してしまうシーンもあったり。

でもそういう不器用なりに仲間や敵とぶつかっていく部分が、悩んだなりの「正義」として勧善懲悪な部分をより引き立たせているのが良かったと思った。単なるヒーローが言ったらふーんそうと思ってしまいそうな部分も、新之助が口が悪いなりに諭すから納得出来る…みたいな所があったと思う。言葉だけ拾えばヒーローっぽさがあるけど、それでも「自分は侠客」という信念や覚悟を持って生きている感じがあって、王道くさくなりすぎないためのスパイスになっているような感じ。ストレートにカッコいいなと思った。崎山さんのドンと構えている演技もぴったりだったな。

 

うって変わってもう一人の主役的な立場の死神・十蘭は、死神とは?と思うくらい穏やかで丁寧な口調で話す人物に描かれている。ガラの悪い新之助とのコントラストが面白い。丁寧ではあるけど、新之助が素直に言えない気持ちをバッサリ言い切る部分もあったりして新之助とのコンビ感がすごく良い。ただまあ本人、自分のことに大しては全く素直じゃないので、後述する幻士郎の件やら実はお小言を言いつつも何だかんだ新之助のことを物凄く心配している素振りについて指摘されると途端にツンツンしちゃうのがとても可愛い。私はツンデレが死ぬほど好きなのでかなりツボにハマったキャラクターだった。

そして、十蘭は元々は幻士郎という死神遣いに幻士郎の父の代から仕えて一緒に戦っていた。でも、映画版で幻士郎が亡くなってしまい、死神の世界に帰るはずが何故か帰れずにいた所を何故か十蘭が見える(普通の人には死神は見えない)新之助に拾われて過ごしている…というのが舞台版の導入になっている。映画版を見るとわかる通り、幻士郎は大切な徳川の血筋のお嬢さんを守るために敵の死神と戦って命を使いきっていて(死神との契約の代償は命なので)、十蘭はいわば突然主人を失くした状態。仕えている時は幻士郎の奔放ぶりに小言を言っていたけど、幻士郎を三途の川に見送る時にボロ泣きしている所からもわかる通り、もう大好きなんだよね、幻士郎のこと。

だから幻士郎がいなくなってせいせいしてます!とか言いつつ仇の百目鬼が目の前に現れたらムキになって刀を抜いてしまうし、彼を生き返らせる術があると唆されたら敵についていってしまう。もう大好きじゃん…。これが俗に言うクソデカ感情ってやつか……と妙に納得してしまったりした(?)

今書いたとおり、幻士郎を生き返らせる術があるなら…と敵サイドの天元についていってしまって、元の凶悪な死神だった頃の姿を取り戻して新之助を襲いに来るわけなんだけど(新之助を殺せば幻士郎が戻ってくると唆されているので)、この十蘭の人の変わりようがすごい。もう新之助もびっくりなガラの悪さになるのだけど、なんかどこか寂しそうだな~と感じて、案の定新之助との対峙の時にそれを指摘されるんだよね。

その時の十蘭を諭す新之助が、 口は悪いけど本当に真っ直ぐ、十蘭の存在を肯定している感じがして、ヒーローだなあと思った。この後十蘭が自我を取り戻して天元に向かって言う「誰とも違う、死神として生きる」というセリフがなんだか印象に残ってる。死神として「生きる」という死神らしくない言葉が、十蘭の妙な人間臭さを表しているようで的確というか、上手いなあと思ったりしたので。

最終的に天元を倒して、幻士郎を生き返らせる術はわからないまま十蘭は新之助とも契約をして過ごしていくことになるんだけど、「新之助とならその方法を見つけられるかも」みたいなセリフがあって、十蘭、新之助のことも大好きじゃん……と思い、Wクソデカ感情に潰されそうになったりしてた。新之助に死神遣いの才能があるのに言わなかったのは、勿論幻士郎との契約もあるけど、新之助のことあまり巻き込みたくないって気持ちもあったのかなあと思ったりしたし。可愛いな、十蘭…。本当に526歳か?

あと、十蘭は比較的踊るシーンが多かったのだけど、勿論ダンスの上手い俳優さんも沢山いる(私の推しだって結構踊れる方だと思ってる)のは重々承知なんだけど、なんかまた違った華やかさがあって、なんというか、さすがだな…と思ったりした。

…いや十蘭の話長すぎん?

私の推しは正直出ずっぱりの役ではなかったから、自然と舞台上で他の人物を見ている時間がそこそこ長くて、十蘭可愛いな~と思って重点的に見ていたらドツボにはまってしまった…のかもしれない(?)あと、アドリブが結構多めだったんだけど、いつの回も場を壊さない程度に遊んでて、安井くんのアドリブ力すごいなと思ったりもした笑

 

ダンスと言えば権左役の松浦さんもカッコよかったな!鬼八一家の3人衆は新之助とぶつかるシーンもあれど、仲間として本当に尊敬しているんだな~というのが節々に感じられた。個人的にアドリブで喜三郎の似顔絵で遊ぶ伝吉が可愛かったなというのが印象に残ってる。笑 あとひたすら百目鬼に遊ばれている義助。笑

 

そして、悪役サイドは、新之助サイドとは真逆のザ・悪役といった感じで。ただ、その親玉の天元も「死神が人間に仕えなくても良い世界」という死神の自由を求めて戦っているわけなので、立場を変えれば、彼は彼なりの正義で戦っているわけでもあり……。メメントやヴァニタスも、自分の死神としての信念に従って彼についていっているわけで。(なんかこんな話RE:VOLVERの感想の記事でもしたような…私、正義の話が好きなのかもしれない)でも百目鬼を見ていると、死神が人間に仕えないことが本当に死神にとって良いことなのか?というのも考えてしまうし、やはりこの物語において、軸は人間の世界なわけなので。彼は純粋に悪役だな、と思う。

天元は、笑っていたと思ったら一瞬あとにはスッと真顔になっていたり、あまりにも人間性が読めなすぎて(まあ人間じゃないけど)怖いなあと思っていた。

いやそれにしても、メメントに「Yes, my lord」言わせたすぎでしょ!笑

 

映画版でも登場した百目鬼は、映画では完全に悪役だったけど、今回は敵?味方?どっちでもない?というのが最後までよく分からないまま、まさにトリックスターとして場をかき回していく立ち回りだったなあ。彼にとっていちばん大切なものは「自分の死神としての矜持に値するか」であって、敵とか味方とかいう概念がそもそもないのかも…と思ったり。自分が死神らしくあれる場を選ぶ、ただそれだけ。そんな気がしてくるし、舞台版を見てから映画のことを思い返すとまたイメージが違ってくるかも、と思ったりした。ある意味一番いわゆる「死神」のイメージを踏襲しているキャラクターだったかもと思う。百目鬼も割とアドリブが多かったりしたけど、自撮り死神ネタが好きだったな。笑

 

そして、今回、正義と悪の話の流れをつなぐ立場である、喜三郎と、お菊。

そもそもは、お菊がいなくなった喜三郎を見つけることを新之助に依頼しに来る所から話は始まっていて、喜三郎は目的のために天元の元で辻斬りをしている。で、実は彼らは映画版で新之助を助けるために死んでいった仲間の一八の兄弟で、彼を死なせた、言ってしまえば仇である新之助に復讐をするために近づいていた。喜三郎が天元についてたのも、新之助を殺すため。

お菊は新之助を呼び出して仇を取ろうとするけど、伝吉に止められて、一八のこと忘れてなんかないという話を聞いて思いとどまって。喜三郎はそれでも新之助を討とうとするんだけど、お菊が新之助を庇ったことと新之助の説得もあって、「一緒にいなきゃどんな人間か分からないし、一八の気持ちもわからない」って新之助と共闘することになる。(そしてそのまま仲間になる)

最終的に一八が無駄死になんかじゃないことが分かり、新之助の熱さに説伏せられて復讐から解放されるというのはわかったんだけど、この二人はもう少し掘り下げが欲しかったなあ。

特に喜三郎。

復讐のために侠客になったのはわかるけど、お菊がどこまでそれを容認してたのかがよくわからなかったのと、最後まで殆ど「お前のせいだ」ばかりで人物像が読み取りづらいのが残念だったなあ。折角メインビジュアルにもキーパーソンな感じで写ってるんだからもう少し出番あっても良くないですか!?役どころはすごく良かったので、それだけちょっと残念。お菊はまだ、新之助とのシーンで胸の内が語られていたから人物像もつかみやすかったけれど。仲間になったわけなので、次回作があったらもっとパーソナルな部分も触れてほしいな。

ただ、セリフが少ない分櫻井さんの表情のお芝居に注目できたのは嬉しかったかも。新之助の刀を受けてギリギリで保っている表情で明らかに力の差があることがわかったりとか、天元に連れられて羅厳親分の所に現れたときのうつむいて曇った表情で本当は辻斬りにも納得していないのかな~とか、頑固そうだけど諭されている感じであ、割と幼い設定なのかな?とか本当は素直なのかなあとか思ったりした。この辺りはもう完全に憶測だけど、ご本人がパンフのインタビューで「喜三郎には弱い部分もあると読み取れたから、葛藤をどう表現するか悩みどころ」みたいなことを話していたから、そういう部分にそれが現れているんじゃないかなぁと見ていて思った。

仲間になった後の憑き物が落ちた!みたいなあどけない感じは可愛かった。(実際死神から解放されているから憑き物落ちてるか 笑)義助がお菊さんに言い寄ろうとしてるのを一生懸命通せんぼしてるのがとても可愛かった。

 

あまり触れてないけど、保科は序盤のストーリーをいい感じにミスリーディングしてくれたし、羅厳親分は渋くてカッコよかったな。

衣装も侠客がメインってことでみんなきらびやかで、舞台に映えててすごく良かったな。

 

長くなってしまい恐縮だけど、今回はキャラが立ってる作品だったので、登場人物に焦点を当てて感想を書いてみた。

何度も観てみると本当に初見と結構印象が変わったので、円盤などで見られる方も是非何回か見てみてほしいなーと思ったりした。あと私は東京公演のみの観劇だったけど、千秋楽に向かうにつれて段々アドリブが入ってきたり、セリフや細かい動きが変わったりとか(谷口さんがこの辺り結構変えてたね)っていうのも結構楽しめたな。

 

そして、この作品は7月末から8月にかけての公演で、中止続きだった舞台作品が座席収容率50%でちらほら動き始めた頃だ。

この作品も収容制限のために一度払い戻しがあって、再度購入制限をかけて販売…という形だった。再度チケット取れた後も、近い期間の公演が途中で中止になったりするのを目の当たりにしていて、本当に幕が開くのかすごく心配だった。今回良席ばっかりだったのもあって、初日の前は本当にぐるぐるしてた笑(その前の推しの出るはずだった公演も最前飛んだので泣いちゃいそうだった)

結果として初日に無事に幕が開いて、大千秋楽まで無事に公演が出来て本当に良かった…という感じだったんだけど、払い戻し対応もあってか2階席まで出てる公演なのに土日でも前方に空席が目立って、すごく切なかったし、今までじゃ絶対こんなのあり得なかったから(元から埋まってない公演はその限りではない)すごく異様に感じてしまったりした。(どうしても来れない人も沢山いらしたと思うし、私だって地方チケット手放してるし、仕方がないことだというのは重々承知なのだけど。)2列目で横がいないとか、5列目で前の席と自分のブロックの横全員いないとかザラにあった。

ロビーや劇場内がすごくしーんとしてるのもなんだか少し怖かった。友達とばったり会っても会場内では勿論一言二言挨拶するくらいしか出来なくて、寂しかったなあ。(建物外で話すことは出来たけど…)

改めて、終わったあとのみんなが口々に高揚した気持ちでいろんな話をする中で帰っていく熱気までが現場の醍醐味なんだなぁと思った。

そして、配信や映像が生の芸術に取って変わるなんて絶対絶対ムリ。人の身体がある限りは未来永劫それが逆転することは絶対にないなあと劇場の空気を吸いながら思った。

観劇好きだなあ!!

 

早く前のように観劇を楽しめる日が来ると良いなあ。

あと「しにつか」続編観たいです!

続・界隈によるチケット譲渡の「様式」の違いを感じた話

以前、こんな記事を書いた。 

appleringo.hatenablog.com
詳しくは元記事を参照して頂きたいが、簡単にまとめると、
ある舞台(2.5)のチケットを探していたとき、SNSで普段見かけない書き方の譲渡募集を見掛けることがあった。
(原作と主役の子が好きだったので)出演キャストを詳しく見ていなかったが、よく見てみると元・ジャニーズの所謂「辞めジュ」の子がいることに気づき、「もしや」と思い調べてみたら、私が見た募集様式は主にジャニーズなどの男性アイドル界隈で見かける書き方であった、という話である。なるほど、界隈によってこんな違いがあるものなのかと驚いた。検索結果に舞台界隈の書き方の形式と(多分)元・ジャニオタの子たちの形式が混在していてなんだか不思議な様子であった。


実は、今絶賛公演中の推しの出演作のキャストにも辞めジュの子がいるので、また舞台界隈(または若俳界隈)とアイドル界隈の募集様式が混在しているのを丁度目にしていた所であったりもする。(一年前の記事だが、非常にタイムリーな話題でもある。)

 

まあそんな私の些細な驚きと気付きから生まれたのが上の記事なのだが、

書いた当時は「違いがある」ということはわかったものの、具体的にその違いが何から生まれたものであろうかみたいなことまでは、触れられなかった。

 

そんな中で、先日ジャニーズの大手グループのファンの友達と久しぶりに話していた時、たまたまこの話をする機会があった。

話を聞いてくれた彼女は、「(ツイッターの譲渡募集以外に)そういう書き方の形式に心当たりがある」と教えてくれたのだ。

それを聞いて「なるほど、それも違いの一つの理由かも」と思ったので、今回はその辺りを追記としてまとめたいと思う。

 

もちろん詳しく周辺事情を洗いざらい調べたわけではないので、

あくまで一例として「こういう文化の違いが募集様式の違いにも反映されているのかもしれないな」くらいの話として読んでほしいと思う。(あれだけ色々なグループや役者さんがいれば例外もあるだろうし)

 

※前回同様、チケット譲渡に関するお話を扱う記事なのでそういった譲渡文化自体に抵抗のある方はスルーして頂けると幸いです。

***

彼女が、私が見かけたチケット譲渡募集の様式に「似ている」と教えてくれたのは

「ジャニーズのコンサートがある日に会場近辺に立っているチケットを譲ってほしい子たちが持っている、「チケット譲ってください」と書かれたボード」

である。

 

当日までチケットが手に入らなかった人々が、もしかしたら直前で余らせてしまう人がいるかもしれない…という思いで会場周辺で待機するという文化である。

私もTDCホールに用があった日に東京ドーム近辺とか、ヘブンズロックさいたま新都心に用があった日にさいたまスーパーアリーナ近辺とかで並んでいるのを見かけたことがある。

 

人気グループだと何人もの人がズラッとボードを持って並んでいることもあるそうだ。

そうなってくると、チケットを余らせている側も声を掛ける人を「吟味」することとなる。

誰に声をかけようか、その決め手となるのがやはり「チケット譲ってください」ボードに書かれている文言なのだという。

 

譲る側も出来ればパッと目に付き、しっかりとしていて、礼儀正しそうな人、そのグループのことが本当に好きそうな人に譲りたい。(そりゃそうだ)

もちろん譲ってほしい側もそれをよく理解しているだろうから、「如何にして選んでもらうか」という一点に留意してボードを書くこととなろう。

 

なんでもそうだが、この場合は特に「わかりやすさ」がかなり重要なポイントとなる。

「わかりやすさ」を考えるなら、いつのなんの公演で、枚数、金額、一つ一つの情報、そして「譲ってください」を丁寧に読みやすく書く必要が出てくる。

書き方は多少違うだろうが、確かに一つ一つの情報を丁寧に目立たせて書くという方法や「譲ってください」という文章での呼び掛け的な書き方は、私がツイッターで見かけた募集様式*1の形式張った感じとよく似ている気がする。

 

また、それだけ人数がいるとなると、目立つためには譲ってほしいチケットの他に情報が必要となる。例えば誰のファンであるのか、とか責任を持って取引します、とかグループの好きなところとか、諸々。

そうなると必然的に行数が増える。この辺りの色々な情報を追加でつけるという辺りがハッシュタグ文化に繋がっている気もしてくる。

 

舞台界隈(と若手俳優界隈)は、こういう会場周辺でボード持って待ってるという文化がジャニーズほど盛んではないし(いるにはいるんだろうけれども、私はほとんど見かけたことがない。そもそもチケットの倍率も違うだろうし。)、その辺りの文化が流入していないのも頷けるように思う。

どちらかと言えば、舞台関係の募集様式*2の簡素さは、二次元作品のグッズ交換文化のほうが近いものがあるかなあと思っている。(特に2.5は原作のファンと役者のオタクが混在するという状況になることも多いし、掛け持ちのオタクも多い。)

 

最初に書いた通り、ボードとツイッターの募集様式の書き方が全く同じわけではないし、ジャニーズ以外にもボードの文化があることを考えると、本当に直接繋がりがあるのかというのは確かめようがない話だ。(特にこういうネット文化とかストリートな文化というのは)

でも2つの間に細かな文化の違いがあるのは明らかで、それがそれぞれのバックボーンに基づくものであるのも明らかである。そう考えると、SNSにおけるチケット譲渡募集の様式に直接繋がりがあったり、反映されていたりするものであるかはわからなくても、間接的に吸収されているとか、脈々と繋がっている可能性は大きいのではないかな、と思う。

なので、今回は一例として「こういうのも理由の一つかも」という形で書き記させてもらった。

 

文化的バックボーン(と言ってしまうとなんだか壮大になってしまうが)から生じる一つ一つの差異が、間接的にまた細かな差異を生み出していって、結果的に違う文化が形成されていくという流れは、なんだかやはり面白い事象だなあと思う。

 

しかし、こういう現場文化というべきなのかストリート性のある文化というのは当事者でないとわからない部分というのが本当に大きいなあと今回の話を聞いていて思った。

意識的に書き記す人間がいない限り、そこに身を置いている人間にしかわからないことが多すぎる。

やはり有識者に聞くのが一番。教えてくれた友人に感謝である。

 

 

あと、これはもっと個人に即した話なのだけど、

友人は割と同担の話しの合いそうな人にチケットを譲りたいと話していて、私は友達以外なら推しが違う人に譲りたいな~と思うことが多くて、まあその理由がグッズの交換出来たらありがたいから…なんだよね、という話をした。

そうしたら友人がジャニーズは基本的にランダムグッズないからその必要ないんだよ…と言われて、これもまた文化の違いか…って新たな発見をしたりした。

(まあこれに関しては推し被りNGとか同担拒否の話も絡んでくるから実際はそんなに簡単な話ではないだろうけど)

 

 

*1:前回の記事の引用だが、こういう様式のこと。

 △△の譲り先を探しています

【日時】○/○

【金額】定価手数料

【座席】□列

【枚数】○枚

#△△譲 #△△ #☆☆(出演者の名前)

*2:前回の記事の引用だが、こういう様式のこと。

【譲渡】

△△ チケット

譲) ○/○ □列 ○連番

求)定価+手数料

好きだったバンドのタオルを台所のタオルにした時

以前から何度か書いているが、

私は元・ばんぎゃるである。

昔大好きだったバンドが最近復活していてたまに見に行くことはあるけど、

もう頻繁にライブに行くことはない。

 

一番最近まで行っていたバンドは(といっても数年前である)

何となく最近の感じしっくり来ないな、と離れかけていたところで

心を読まれたかのように本命だったギターが脱退してしまい、それ以来行っていない。恐らくこれからも行くことはないと思う。

 

ヴィジュアル系に限らずだが、バンドには大抵の場合グッズでタオルがある。

(バンドに限らずライブをするような歌手なら大体作っているだろうか)

そこまで売れていないバンドでも、ライブ中に使えるものなので作っている所が多いだろう。(交渉の時の目印になったりするのでありがたい存在だ。)

好きだったどこのバンドも例に漏れずタオルを作っていた。

私はそんなにグッズを買う方ではないけれど、タオルはたまに買ってはライブで使っていたりした。

 

タオルは消耗品とはいえ、替えが何枚かあるなら例えそこそこ頻繁にライブに行ったとしてもそんなにはダメにならない。

すると、ライブにあまり行かなくなって家に残るのは

そこそこに使えるタオル×まあまあ沢山

である。

 

そんなタオルたちを洗顔後に軽く顔を拭くタオルとして使ったりしながら暮らしている中、

今まで使っていた台所のタオルが大分天寿を全うしそうになっていることに気付いた。

あーこれはもう替えなきゃなぁ、使えそうなタオルあったかなとケースを開けたら一番始めに目に入ってきたのは一番最近まで通っていたバンドのタオルだった。しかも、そこそこ長い間通っていたので、何枚もある。

上にも書いた通り、私はもうこのバンドを見に行くことは恐らくない。つまりこのタオルの出番も恐らくもう、ない。

何度か使って吸収性の良くなっているタオルだ。手を拭くにはもってこいだった。

ここまで考えて、そのまま放っておくのも勿体無いし、使っちゃお~ということになった。

 

それから私は、そのバンドのタオルを数枚、台所の手拭きタオルにした。

流しの横のタオル掛けに掛けて使っている。

上に書いた通り、吸水性が良いので重宝している。

 

しかしまあ、このタオルで手を拭いていると、「あ、私もうこのバンド見に行くことないんだな」という事実を何だか強く突きつけられたような気分になるのである。

行かないことを選んだのも、タオルを台所用にしたのも勿論自分ではあるのだけれど、過去に通っていて楽しかった思い出と対照的に日常で使い古されていくタオルに何となく哀愁的なものを感じてしまう部分がある。

 

ライブで汗を吹いたり振り回したりするのと、台所に掛けて手を拭くのとでは、訳が違う。消耗具合も後者の方が断然早いだろう。

 

私は他のバンドのタオルも持っているが、それを台所のタオルにしようとは今のところ思わない。大体がもう居ないバンドだけれど、また復活するかもしれない。復活したら行くかもしれない。

まだ活動しているけれど行かなくなってしまったバンドのタオルもあるが、もしかしたらいつか懐かしくて行きたくなる時が来るかもしれない。めちゃくちゃ良い新曲が出るかもしれない。今は使う予定は無くても「もしかしたら使うかもな」という気持ちがあると、やはりまだ台所のタオルにして使っちゃおうとは思わないのである。

 

ともすると、私にとってバンドのタオルをこうして台所のタオルにしてしまうことは、イコールそのバンドとの訣別なのかもしれないな、と思った。いや見に行っていない時点でもうしてるけど。

 

何と言うか、「台所のタオルにできないバンド」は、例え昔良く見に行っていたあるバンドを今は見に行っていなくても、彼らへの意識は過去から地続きの現在進行形であって、それが今休止している、何かが切っ掛けでまた見に行くことがあるかもしれないという状態なのである。

しかし、「台所のタオルにしちゃおう」と思ったバンドは、意識として、もう現在進行形ではない。完全に思い出になってしまっているのである。

勿論そのバンドに好きな曲も沢山あるし、今も度々聞く曲もある。がしかし、それらはもはやただ良い音楽作品として享受される、過去の楽しかったライブやイベントを思い起こさせるだけなのである。

 

このように、私は好きだったバンドのタオルを台所用にすることで、無意識のうちに彼らを完全に過去の思い出にしていたのかもしれない。だから、いつもはタオルを見たくらいでは特に何も思わないのに、その時に限って「もうこのバンド行かないんだな」という事実を強く突きつけられた気がしたのかもしれない。

いつか他のバンドのタオルも「台所のタオルにしちゃお」と思う日が来るのだろうか。

 

 

いや本当になんの話だよ。

 

「いま、ここ」なコンテンツの力の強さを感じる話

最近特に、世の中において「いま、ここ」感が強いコンテンツがものすごく強い力を持っているな~と感じる。

 

ここで言ってる「いま、ここ」というのは

特に哲学的な意味とかではなく、

今、この時にタイムリーに展開されていくものとか、すでに出来上がったものを提示されるというよりはその場(それが厳密にその場ではなくても)、消費者の目の前で物語や作品が進んでいくことを指している。

 

それを表すのにふさわしい言葉ってなんだろうと考えた時に

「いま、ここ」かなと思った次第である。

 

まあ元より消費者の声はエンタメにおいて人気を獲得するのには欠かせない一要素だし、大々的にそうした要素を取り入れているものはそこそこ前から存在するとは思う。

 

例えば、今読んでいる『アイドル/メディア文化論』(西兼志著)では、

「リアルタイム、「光ー時間」」に近づくことが、メディアの 趨勢であり、力の源泉でもあると述べられており、アイドルという存在はそうしたリアルタイムをデビュー前の成長過程を見せることで必要不可欠な存在であることが述べられ、そこにおいてファンは「愛着」と「批評」の2つの視点を持つようになったことが述べられている。

具体例としてAKB48が挙げられていて、彼女たちは「プロダクト=(完成品)」ではなく常に変わり続ける「プロジェクト=(成長)」であることが説明されており、リアルタイムで変わり続けるアイドルをファンが投票などで審査の過程にも立ち会っていくという方式が示されている。

これなんてまさに、「いま、ここ」でアイドルのドラマが進んでいき、そこにファンの声が反映されていくという例だと思う。

 

あとは、テレビやラジオ番組で視聴者から寄せられたお便りやメールを読んで、それを元にリアルタイムに進行していく…という企画なんかもありふれたリアルタイム+消費者の声の形式のエンタメであろう。

 

ただ、私がここで言及したいのはそうしたものとは少し違う。

今挙げてきたものは、生身の人間が関わり、対象になっている企画やプロジェクトである。しかし私が言及したいのは、あくまで対象の作品や物語を形作っているのは作者や制作であり、それらが私たちの生きている「いま、ここ」の時間と共にタイムリーに進んでいるような感覚を覚える場合の話である。

基本的には作者や制作が考え、完成したものを提示するのが主だったゲームやアニメなどのコンテンツに関しても、最初から全て決まったものを提示していくのではなく、眼前で、少なからず意見や要望を取り込みながらタイムリーに展開していくコンテンツが増えているように感じている。

 

例えば、ファンの投票や意見で物語や衣装が変化したりするという企画は最たる例かもしれない。

そのように制作側が直接意見を求めていなくても、SNS他でファンが発信した意見や要望を拾い上げて反映していく例は多くある。

 

また、ソシャゲや配信型のゲームなんてのは形式自体がそれに当てはまる例だと思う。

 元々は作りきり、買いきりが基本であったゲームが、日々更新され、次々と新しいストーリーやキャラクターが追加されていくものとなった。

その更新の中では、プレイヤーの意見や要望が反映されることもよくあるだろう。

キャラクターがまるで私たちと同じ時を生きているような感覚を覚えることもある。

まさに、「いま、ここ」で進んでいくコンテンツだなと思う。

 

どうして現在このような「いま、ここ」なコンテンツが力を持っているのか、と考えてみると、

まずは、単純にファン(消費者)側が意見を表明する場が整ったというのが大きいと思う。

言うまでもなくそれはSNSツールである。

ファンが自ら感想や要望を随時発信していくことが当たり前になったことで、制作側が専用に場を設けなくても即時に意見を拾い上げることが出来るようになった。それによりファンの欲するものを即時に提供することで商業的に成功する、という方式が定着していって、それがタイムリーに進んでいく作品に繋がっているのだろうと思う。

(そうしてファンの意見を随時反映していくことが必ずしもプラスに働くわけではないけれども。)

意見表明という部分ではブログやHPなんかはやや昔から存在していたけど、これは昨今のSNSの情報の速さあってのものに思える。

 

あとは、以前美術手帖2.5次元特集(確か)で「現在、ファンは「体験」を求めており、体験型コンテンツが人気を博している」と述べられていたのを読んだことがあるが、それも関係があるように思う。(ここでの「2.5次元」は舞台作品だけではなく、聖地巡礼やコスプレなど「アニメやゲーム作品をリアルに感じることの出来る物事」全般を指して使われていたと記憶している。)

「体験する」ということには、「その物事に流れる時間をも肌で感じる」という意味が内包されていると思う。コンテンツの中身を見たり聞いたりしてインプットするだけでなく、そこに存在する〈時間〉をもリアルタイムに体感することに注目が集まっているということであろう。

こうした「体験」への注目は間違いなく、ファンの目の前で進んでいく「いま、ここ」なコンテンツへの需要の高まりと関係があるだろう。

そう考えると、(生身の人間が関わるという意味では少しここで取り上げているものからは外れるかもしれないが) 2.5次元の舞台も「いま、ここ」なコンテンツの一部と言いうるかもしれない。アニメやゲームといったあくまでも「作者や制作が作った作品」をその場で再現されることで、(例え元が完成された状態で提示された作品であっても)舞台としてのその作品は〈その場〉でタイムリーに作り上げられてく。時には観客の反応で流れが変化することもある。キャラクターと同じ時を生きている気持ちが芽生えることもあるだろう。こうした点から、今まで述べてきた「いま、ここ」的なコンテンツと非常に近い性質を持っていると考えられるだろうと思う。

 

そして、最後に最近見かけたあるツイートを読んで考えたことが理由として挙げられるかもと思っている。

(あくまで私がそれを読んで連想して考えたことで、ツイートで主張されていることはまた別の内容なので敢えて引用などはしないでおく)

それは「時間がない」ことである。

周りの人を見ていてもこうしたネット上の意見を見ていても、やはり現代人、物凄く忙しそうな人ばかりである。

技術革新で色々なことが便利になっているとはいえ、それが逆にまた覚えること・やることを増やしているという側面もあり、仕事にせよ私事にせよ、忙しい世の中を生きている人ばかりである。

ここ数ヶ月はコロナの影響で暇を持て余していた方もいたかもしれないが、だんだんと元の日常が戻ってくるにつれてまた忙しい毎日に身を置く人も増えているだろうと思う。物理的には時間があっても気持ちが疲れてしまっていることもあるだろう。今の所そんなに忙しい暮らしをしてはいない私ですら、仕事を終えて帰ってきて、本読みたいけど何もしたくないな~…という矛盾した気持ちになることがあるから、もっと忙しい暮らしをしている人は一層そうなのではないか。

完全に完成されたコンテンツやすでに完結した作品を後から追っていくというのは、結構労力が要ることだと思う。忙しい中で合間を縫って楽しむ、ということを考えると、現在進行系で進んでいるものを少しずつ楽しんでいく方が気軽で手軽な気がするのである。

なおかつ、「いま、ここ」的に自分の生活と同時間的に進んでいくコンテンツであれば、同じ時間にいるように感じられることで、より馴染みやすく入っていきやすいものなのではないかと思うのである。

(終わっているものを追うほうが自分のペースで追い進められて楽だという意見もあるかもしれないけど、コンテンツや作品の規模が大きければ大きいほど最後まで行き着くのに時間がかかり、既に終わりがハッキリしているのに、時間の問題でなかなかたどり着けないというのも歯がゆいものだと思うのである。まとめて見たり読んだりする時間があれば良いのかもしれないが…。)

 

今述べてきたことは、一言で言ってしまえば、「時代の流れ」とか「時代性」ということになるのかもしれない。しかし、その中に様々な理由や物事の関係が付随するのだと考えていくと、なかなか面白いものである。

今の段階だと「いま、ここ」で展開しているものとはいえ、どうしても制作し提示するまでのタイムラグがあるが、技術がより発展していつかそのタイムラグすら取っ払われて即時的にコンテンツが提示される時代が来たとしたらどうなるのだろうか。(そこまでいくと通信技術とかAIなんかが絡んでくる問題になりそうだ。)

「いま、ここ」的なコンテンツと私たちの実際の生活や暮らしが密接に、最早融合していく可能性もあるのだろうか。私はそういう技術的な部分には全く詳しくないのでこの先のことはよくわからないが、それはそれで面白いかも、と思ったりもする。

まあとりあえず今は、たまにはそんなことを気に留めながら、自分の好きな「いま、ここ」を楽しんで暮らしたいと思う。