ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

勘とは必然に近きものなり

数日前

推しが某人気シリーズの舞台の観劇報告をしていた。

最近はちょこちょこ行ってるみたいだが、あまり人の舞台を観劇しに行かないタイプの人である。

 

その時私は「あ~~これヤバいかも」と思ってしまった。

予感がしたからだ。

私の勘はそこそこ当たる。

まあその時は、同じ事務所の子が出てるからだなきっと…と自分を納得させた。

 

そして先日

たまたまチケットが取れた友人に誘われて、私もその公演を観に行った。

たまたま大楽だった。

シリーズ初観劇だ。

 

私は原作の方には余り詳しくないが、

思ったよりドタバタコメディとちょっと切ない話…といった取っ付きやすい話だったので、沢山笑ってホロリとして楽しめた。

大楽だからキャストのご挨拶まで見れてラッキー!といった感じだった。

 

最後に

新作公演の発表があり、へえーと思いながら見ていたその時だ。

映像の中で流れた誰かの声に、何だか引っ掛かった。

 

その後、うちの推しこの前観に来てたっぽくてさーちょっとあやしいんだよねーなんて話をしながら会場を後にした。

そして、スマホをオンにすると目に飛び込んできたのは推しの出演決定ツイートだった。

このシリーズの。新作の。

 

さっき喋ってたの推しかよーーーー!!!

 

たまたま観に行った公演の最後に推しが喋ってる映像が流れることってある????

そんなにないよ!!!!

 

私は割りとこういう偶然が重なることがありがちで、今回も無意識のうちに呼ばれたかなと思ったりした(?)

勘はスパンと当たってしまった。

 

勘とか偶然って、実は物凄く必然に近いものなんじゃないか、と改めて考えたりした日だった。

 

さて、戦争に打ち勝つ方法を練らなくては…。

人気シリーズに出演するとなれば箔がつく。

これからも長い間俳優をやっていってほしいし、大きい作品に出演するのは良いことだと思う。

でもチケット、超取りづらいじゃん。

私の「ヤバイかも」はまずこの一点に(別にも多少理由はあるけど)焦点の当たった感情だ。

もうチケット戦争に巻き込まれるのは嫌だ…とずっと思っていたが、推しが出るというならばチケットをもぎ取る以外の選択肢は無いのだ。

がんばろー。

 

(忙しかったので大分更新が滞っててすみません…書きたいことは沢山あるので、またそのうち。)

 

追記

ひとつだけ書き忘れていたことがあったので追記。

この人気シリーズの制作の別の舞台で、私の推しは1人だけ酷い発表の仕方でキャス変された過去があり、推しが出ない限りこの会社に自分から積極的に金は落とさんと思っていました。

まあ、舞台の製作陣が全く同じというわけではないですし、人気シリーズに出てステップアップ出来るのは喜ぶべきことだろうと思うし、何より推しが出るとなれば行かない選択肢は無いわけで…。

 

だからといってあの仕打ちが消えたわけではないし、一生恨み続けるとは思います。

 

何か書いた文を読み直したら何事もなかったような肯定的さだなと思ったので笑、補足しておきます。

「量産型」は誰のためのものか?

ここ最近おたく界隈で良く耳にする「量産型」という言葉について前にこんな記事を書いた。

 

数年前に、似たような格好の女子大生が多くて見分けが付かないことを揶揄して使われるようになった「量産型」(「量産型女子大生」)というマイナスイメージの言葉が、

最近は主に男性アイドル(特にジャニーズ)のオタクの間で「憧れの対象」「なりたい自分」を表す存在としてプラスイメージでも使われることになったこと(「量産型オタク」または「量産型ヲタク」)、

この短スパンでの言葉の意味の転換が凄く興味深いものに思えたので、書いた記事である。

 

そして今、またこの「量産型」、現在の量産型の様相を特徴付ける「量産型オタク」という存在について考えたいことが沸いてきたので、また記事を書いている。

それは、「量産型」は誰のためのものなのか?ということである。

 

一応もう一度説明しておくと、「量産型オタク」または「量産型ヲタク」とは、ふんわりとした可愛らしい洋服を着て、リボンやフリルのついた鞄を持った如何にも「可愛い」を纏う格好をしているオタクの女性たちを示す言葉である。

先程も述べた通り、男性のアイドルや若手の俳優のファンをしている女性たちに多く見かけるファッションである。

 

なので、彼女たちがそうした格好をしていくのは必然的にアイドルのコンサートや俳優の出演する舞台やイベントの会場である。彼女たちは、「量産型」ファッションを身に纏い、「推し」の男性に会いに行ったり、観に行ったりするのである。

 

折角推しに会うのだから良く見られたいというオタクは沢山いるし、そのために身だしなみに気を使って「可愛い」服を着ている女性は大勢いると思う。

では、彼女たちの「推し」たちは皆そういった「量産型」ファッションを好んでいるということだろうか?

勿論可愛らしい格好が好きな男性もいるだろう。しかし、別に全員が全員そうしたファッションが好みであるという訳ではないようである。(人それぞれの好みというものがあるのだから当たり前の話だろう)なので、必ずしも「男ウケ」(「推しウケ」)を狙ってやっているとは言いがたい気がする。

つまり、「量産型」は女性たちが「推し」のためにしているもの、とは一概には言えないよう思えるのだ。

 

しかし、会場には「量産型」ファッションに身を包むオタク女性たちが沢山がいる。

彼女たちはどうして「量産型」ファッションに身を包むのだろう?

「量産型」は誰のためのものなのだろうか?

 

この問いに対する問いとして正しいのは、恐らく

「自分自身」のため、なのではないかな、と私は考えている。

 

少し話は飛ぶが、私は以前、女児向けアニメにおける女性像の変遷について、というテーマで卒業論文を書いた。

その際に、魔法少女・アイドルアニメにおける少女たちの変身・メークアップ・ドレスアップにおける効果について、須川亜紀子氏*1や、柴田絵恵里氏*2の論を援用しながら論じたことがある。

 

女児向けアニメの変身は、ドレスアップやメイクアップを主体としており、より「美しく、可愛い」姿へ変身することが魔法少女であれば敵を倒すためのパワーアップとなり、アイドルであれば自分のアイドルとしての夢を叶える自己実現のためのパワーアップとなっている。

つまり、彼女たちが「可愛く、美しく」変身することは、男性から承認されるためのものではなく、「自分のための純粋なパワーアップ・自己肯定」のためのものなのではないか、というようなことである。

 

私は「量産型オタク」のファッションも、この「自分のための純粋なパワーアップ」なのではないかな、と考えている。

イベントやコンサートを100%以上に楽しみたい、そのために、そこにいる自分自身を最高の状態に「パワーアップ」したい。最大の「可愛い」を纏うことで自分自身の気持ちを高めたい。「今ここにいる自分が最高」を実現したい。「量産型オタク」たちはそんな気持ちでそのファッションに身を包んでいるのではないかな、という気がしてくるのである。

この「今ここにいる自分が最高」でいたいという思いは、沢山のファンがいるコンサートや舞台・イベントの会場で、推しにファンサービスをもらったり、他のファンよりも楽しく推しと話したりしたい、楽しんでいる姿を推しに見てほしいという願望を実現させるためのものであるとも考えられる。

これは一種の戦いであり、そういう意味ではこのファッションは彼女たちにとって〝戦闘服〟であるとも言えるかもしれない。女児向けアニメーションの変身少女たちも、変身によるドレスアップによって敵を倒すパワーを得ていたが、「量産型オタク」の女性たちも同様にこのファッションによって戦うパワーをも得ているのかもしれない。

 

実際に本人たちに聞いたわけではないので、そうじゃない!って人もいるかもしれない。そもそも量産型をプラスイメージで使ってないよ!って人もいるかもしれない。

でも、1つのムーブメントの分析として、こんな風に見えている部分もあるんだなってくらいに思って頂ければと思う。

*1:須川亜紀子『少女と魔法―ガールヒーローはいかに受容されたのか』NTT出版、2013年。

*2:柴田恵里「「変身」の変容史―アイドルにならなかった森沢優と、多重に変身し「女の子」を攪乱する『プリパラ』のアイドルたち」『ユリイカ』第48巻 第12号、青土社、2016年9月。

「夢」破れても、また-舞台「RE:VOLVER」の話 その2

前回の続きで、今さら舞台「RE:VOLVER」の話です。

今回は登場人物とか役者さんに関する細かい感想とか印象深い場面などについて書いて締めたいと思う。

 

登場人物と役者さんに関しては、特に主要人物の5人が演技とかキャラクターの作り込みの点で凄く印象的なのと、また長くなりそうなのとで取り敢えず主要の5人の話にとどめようと思う。

 

まず、植田さん演じる聖木。

ガラ悪いのに嫌な感じが全然しなくて、ガキ大将みたいな可愛さも併せ持ってるのが魅力的なキャラクターだな、と思った。

良い意味でも悪い意味でも熱く突っ走ってしまって、自分を見失っちゃう所もあるにはあったけど、その性格だからこそ仲間をぐいぐいもう一度引っ張って集められたんだろうな、と見てて思った。

多分一番仲間思いのキャラクターなんじゃないかな。

元戦国鍋のオタクなのでうえちゃんは可愛いイメージが先行しちゃうけど、吉谷さんが素の植田圭輔を反映した役を作りたいって言ってた気がして、確かに男らしさを強調した感じの役柄だな、と思った。

でも、可愛さも活きてるように思えて、植田圭輔良いとこ取りって感じの役柄だなと思った。

正直、セリフ回しはそこまで…と思うのだけど、表情で魅せる人だなと思うし、上手いなぁと思う。

 

次に、橋本さん演じる伊透。

多分主要人物の中で一番物事を冷静に見られる人、そして、一番優しい人なんじゃないかな~と感じた。

初っぱなは敵として登場するけど、市民のために出来ることをと思って警察になった訳で筋が通ってるし、厳しい言葉を掛けながらも聖木たちのことを気にかけてるし。

でも夢はこのまま捨て去るつもりだったのかもしれないから、そこは聖木と再会して思い出せて良かったって思った。

あと凄く個人的な趣味なんだけど、殺陣の時に衣装の裾がヒラヒラ舞うのが綺麗で好きだった。それと、橋本さんの特徴的な声とはきはきした喋り方が、クールだけど冷たすぎず…といった感じで伊透のイメージに合っていて凄く良かった。

 

次に、山田さん演じる玄汰。

彼は凄く顕著に「弱さ」が描かれてるキャラクターだと思うんだけど、その分自分を持ち直した後の強さ(物理的にも精神的にも)は対比的に本当にカッコ良くて、抹伊たち革命軍へのリーダーシップの取り方含め、良いギャップのある人だな、と思った。

あと割りとクールな立ち回りではあるものの、コミカルなシーンも結構あってそちらのギャップも面白い役だった。

(脱出の例のシーンの日替わりが毎回楽しみだった笑)

殺陣の二刀流も迫力があってすごくカッコ良かった!山田さん、この舞台で初めて知ったんだけど、めちゃくちゃ動ける人だ~~と思った。

 

そして、櫻井さん演じる壬浦。

彼は凄く二面性のあるキャラクターだなーと思った。

一見明るく無邪気に見えて、それ故の残酷さや危うさが見え隠れする部分。仲間大好きーに見えて、実は誰も心からは信頼していないのでは?と思わせるような雰囲気。そういう微妙なバランスが魅力的なキャラクターだな、と思った。

櫻井さんはその辺のバランスをくるくる表情を変えて表現していて、上手いなぁと思った。特に印象的なのは(貝殻を壊された後の)伊透との戦闘で終始笑顔なのに目は笑っていない所。無邪気さとそれ故に簡単に残酷な部分も見せる、というのが良く表れてるように見えた。

この二人で特に印象に残っている場面がもう一つあるのでそれは後述します。

あと殺陣も、他の登場人物と違って色んな小道具を駆使するのが新鮮で面白かったし、くるくる動き回る感じなのも身軽さが活きてて良いな~~と思いながら見てた。序盤の棒に登って脚で敵をホールドしてガン!って倒すの凄く好き。

 

最後に、安西さん演じる阿羅来。

過去の都市海賊メンバーと話している時は表情豊かで楽しそうなのに、現代では無表情で淡々と言葉を述べていく人物になっていて、変わらざるを得なかったんだなと思って少し胸が苦しくなる立ち所の人だと思った。

でも終盤になって、聖木たちと徐々に対峙していく時、彼らへの想いが募ってその淡々さにも変化が出てくるのが良かった。

安西さんはその辺りの細かいセリフの表現が上手いなぁと思った。

 

勿論他の登場人物も、アンサンブルの方々も場を回したりアドリブを盛り込んだり、悪役としての信念を持って生きていたりと欠かせない存在だったんだなぁと思う。

 

さて、長くなってしまったけど最後に印象的な場面を何個か書いて締めようと思う。

 

まずは、終盤、壬浦が伊透に地図を手渡す場面。

壬浦は伊透が仲間に加わることを反対してたけど、結局伊透はそのまま仲間になって、二人が分かり合うシーンは描かれないまま過ぎていき、策間に騙されたことで尚仲間を、特に伊透を信用出来ていないように描かれてると思う。

伊透自身もきっとそれは分かってるけど、貝殻の一件で壬浦の「変わってほしい」部分が見えて静かに見守っているんじゃないかというのもあるし、嫌がる所に敢えて突っ込もうとは思わないからそのまま微妙な関係のまま終盤に進んでいったように思う。(これも伊透が一番優しい人なんじゃないかと思った要因でもある)

そして終盤で玄汰からお前を信じてるって言葉もあってこのシーンに繋がっていって、壬浦がちょっと震えながらも大事な地図をしっかりと伊透の目を見て手渡して、伊透も驚いた顔をしてるけれども彼の思いと共に地図をしっかりと受け取って、ここでやっと二人が絆を取り戻したっていうことの象徴のように見えて凄く好きな場面。

 

 

あと、終盤に突然入る都市海賊がチーム名を決めるために話をしている場面。

これって言ってしまえば下らない話をしていて、でもそれが彼らにはきっと楽しくて……っていう輝かしい青春みたいに見えて、その後に来る阿羅来が再び彼らのために姿を消し、大切な人を2度失って聖木が泣き叫ぶ、絶望的な想いに満ちる場面とのコントラストが凄く切なくて印象に残ってる。

この時の音楽もすごく良かったな。

でもそこで終わりではなく、その後にセンター街の船が動きだし一行は希望を取り戻す…ちゃんと夢を切り捨てないラストになっていたのは、救いがあって、切ないけど清々しい気持ちになれて良かった。

 

すごく長くなってしまったけど、凄く面白い舞台だったんだということが伝われば幸いです。

続編も出来れば見てみたいな~とか。海賊として街を出た都市海賊一行のその後の暮らしとか是非見たいよね。

 

興味のある方は、3/27に円盤が出るので是非買って見てみてね!!主題歌もカッコ良いよ!!

「正義」と「夢」の交差点で-舞台「RE:VOLVER」の話 その1

ご無沙汰してます。

推しの出演作の地方公演も終わり、大事なイベではラッキーなことが続き幸せな気持ちで現場期間を終えて、今は一段落してる所です。その後ちょっと色々考えることもあったけれども。

 

少し余裕があるのでいい加減ずっと書きたかった最近観た中で印象深い舞台の感想諸々書いていこうかな、と思う。

最近と言っても去年観劇した作品の話なので大分間が空いてしまってるけど、ご容赦を。

 

今回書きたいのは 舞台「RE:VOLVER」の話。

愛称はボルステ。

これは、去年の10月に東京と大阪で上演された作品で、推しが出るということでチケットを取ったのだけど、好きな演出家の吉谷さんのオリジナル脚本・演出だし、キャストも結構知ってる人が多かったので凄く期待が大きかった。

世界観とかキャラクター設定がちょっとガラが悪そうなのも「これはきっと好みに違いない」と思う一因だった。ちょっと中2病チックな雰囲気があるのだけは若干心配だったけども。

 

そんな期待を胸に実際に観劇した結果、

予想を遥かに越える「熱さ」のある舞台だったし、若干の心配もすぐ吹き飛んだ。去年観たストレートのお芝居の中で一番面白かったと思った。

内容は複雑な部分も多くて、初見だと見落としたり掴みきれない部分もあったけど、その分観れば観るほど細かい所まで伏線があったり、世界観の作り込み、キャラクターの心情が上手く描かれてたりする所が凄く面白かった。

あと、殺陣。兎に角殺陣が多かったし、派手なので、間近で観たときは迫力に圧倒されたりもした。めちゃくちゃカッコ良かった!

ちょっとアニメ・漫画っぽさというか、クサい部分もあったけど、お話や演出の作り込みとか前述の殺陣の凄さに持っていかれるのでそんなに気にならなかった。

 

大まかにはそんな感想を持った舞台だった。

東京も大阪も何度も観たけど、観れば観るほど細かい点に気付くことが出来たので飽きなかったし、千秋楽は楽しいけど凄く寂しかった。

 

そして、お話とかテーマの面から考えさせられる部分があったり、凄く印象に残ってる場面もいくつかあるので、ここからはそれらをもう少し掘り下げて感想とか考察(という程のものではないけど)を書いていきたいと思う。あくまで超主観の入った私の見方であること、そしてネタバレもりもりなので嫌な方はお気をつけ下さい。

(推しが誰なのかは敢えて伏せるけど、どうしても劇中でも見てる時間が長いので無意識に偏ってしまう部分はあるかもしれないので、そこはご了承ください笑)

 

まず、全体のお話とかテーマの面から。

その前に少しだけ内容の説明をしておくと、元々海賊の英雄に与えられたものだけど、帝國軍との抗争で敗北したことで外に出られない監獄のようになってしまった都市が舞台で、主人公・聖木は幼少期に出会った仲間たちと「都市海賊」というグループを作って都市を脱出しようと試みるも失敗し、慕っていた仲間(阿羅来)を失う。

そして現代。バラバラの道を進んでいた当時の仲間たちと再会し、帝國へ反乱を起こす革命軍と協力し、再び全員で都市の脱出を目指す。

しかし、死んだと思われていた阿羅来は実は生きており、実は帝國軍の司令官であり、帝國軍も監獄都市へ仕掛けようとしている…というのが(非常に)ざっくりとしたお話。

 

聖木の幼なじみだった伊透は聖木の大嫌いな警察になっていたり、革命軍のリーダーになっていた玄汰は監獄に捕えられていたり、探偵兼殺し屋をしている壬浦は親代わりの人物が実は帝國のスパイだと仲間に言われ信じられずに仲間を疑ったり、聖木自身も自己の感情を優先して戦いに身を投じてしまったりと、都市海賊が再び集まるのにも色んな紆余曲折があって、そこも凄く面白いポイントだけど、登場人物の細かい話に関してはまた後述しようと思う。

 

こうした点からも分かるように、この物語の登場人物たちは、皆自分の意思に沿って動いていて、時には信用すべき仲間であるはずの存在に背くような行動を取る場面が沢山描かれているように思う。

こうした描写って、一見自己中心的に見えたり、「悪」であるように捉えられたりすると思うのだけど、この作品においてはどの登場人物も「それぞれ自分の「正義」に従って行動している」ことの象徴になっているように思えた。

例えば、阿羅来は、最終的に聖木たちを助ける立場に回るとはいえ、帝國軍司令官として監獄都市を水害へ陥れようとした存在な訳なので、「悪」であるように見えると思う。

でも、軍人たちが暮らしていくには監獄都市を制圧する必要があり、自分の仕事の責任を全うする必要もある。でも、かつての仲間のことも助けたい。その思いから阿羅来はギリギリの所で聖木たちを助けたのだと思えたし、彼はしっかり自分の信念を貫いてから彼らの前から姿を消したように見えた。

聖木の台詞にもあったように彼は彼自身の「正義」に従って行動しているのだと思う。

 

他にも、実際は玄汰しか信用していない抹尹の行動や言動も「革命軍が勝つ」という大きな信念によるものだと思えるし、敵サイドである倭潮や鷹城といった如何にも「悪役」な人物たちも、自分の位置する立場なりの正義をもって行動しているように思えた。

 

こうした場面を見て「正義って一体何なんだろうな?」と改めて考えさせられた、というのが一つあった。誰かにとっての正義は他人にとって「悪」であり得ることをすごく実感させられた。

 

そして、その「正義」と交わるように「夢」に関してのお話が展開されていくのも面白い点だな、と思った。

序盤はバラバラだった登場人物が自分の芯になっている「信念」は曲げること無く、一人ずつ「仲間を信用する」思いを取り戻していくこと、自分が成し遂げたかったことが何であったのかを思い出してラストへと繋がっていく部分や、再び「都市を脱出するという」破れた夢を拾い上げて、大人になった自分たちだから、仲間の増えた自分たちだから出来る現実に組み上げていく様なんかを見ていたら、自分にとって大切な信念や希望は例え形を変えても成し遂げるまで持ち続けるべきなんだな、ということも改めて考えらせられた。

本当に、想像以上に深い内容とテーマだなぁ、と思った。

 

まあ長々と書いてしまったけれど、様々な形での「正義」を示すことで、「正義」の在り方の複雑さと難しさについて考えさせつつ、でもそれだけで終わらせず、それの理想的な在り方のひとつ(あくまで一つなのかな、と思う。きっと沢山あるものなのだと思う。)として、「夢」を叶える土台となり得るものであることを上手く描いているように私には見えて、そこが全体を通してのこのお話の面白いポイントのひとつなんじゃないかな、と思っている。

 

思ったより長くなってしまったので、登場人物の細かい話とか、場面ごとの感想とかはまた次の記事に書きます…。

読みにくかったらすみません…ここまで読んで頂いてありがとうございます。

 

今までの観劇で思い出に残っている劇場リスト

舞台の感想をぼちぼち書いていく前に、何となく手始めに今までの観劇で特に思い出に残っている劇場でも書いていってみようかなと思う。五十音順です。

 

池袋サンシャイン劇場

 今の推しを初めて生で見て、好きになるきっかけとなった公演を見た会場なので思い出深い。推しのことはうっすら知っていて、誘われて観に行ったらたまたま歌を歌う公演で、生で見たら歌声と雰囲気のギャップに惹かれて好きになったんですね。

その時の推しが、幕が開いた瞬間からとんでもない姿だったのも印象を深めている一因だと思う。

 

あと別の舞台で行った時に運営がバグったのか、何故か頼んだ分全部2列目までのチケットしか来なくて震えたという意味でも印象深い。おかげで余り前方に出てくる役じゃなかった推しもよく見えた。

 

サンケイホールブリーゼ

 人生初・大楽に最前ドセンを経験した会場。

観に行ったの殺陣が多い作品だったので、迫力が凄くてかなり印象に残ってます。作品自体凄く好みで何度も観に行ったものだったので、そういう意味でも最後に近くで観られて凄く嬉しかった。

 

渋谷公会堂

 これ、劇場に含めるかすごく迷ったけど、元推しを初めて見た会場なので入れてみました。

 別の人目当てで行った超ドマイナー映画の試写会に元推しが登壇してて、それまで名前も知らなかったけど真面目で可愛い感じに惹かれて好きになって舞台観劇というものををするようになったので、そういう意味ではこちらの界隈に引きずり込まれるきっかけとなった公演だったり。笑

 

 ちなみにこの作品、まさかの上映中に良いシーンで映像が進んだり巻き戻ったりして挙げ句の果てに切れるという今まで経験したことのないトラブルに見舞われたり、制作側が揉めたらしくこの上映会後の映画館上映は中止になり、数年後に予告無く突然ネット配信されたというある意味伝説の作品でもある。

 あれ、本当に何だったんだろう……(色んな意味で)

 

全労済ホール

 忘れもしない、観劇史上一の大事件に遭遇した劇場。

最遊記歌劇伝』の観劇時に開演10分前位にブロマイドの交換も終えてよーし観るぞと席に向かうと何故か既に座っている人。え?と思ってその席の人に尋ねるも何と私と同じ席のチケットを持っていたのだった。

 取り敢えず係の人に言わなきゃと思っていたら近くに同じくオロオロしている女性がいたので話しかけてみたら、彼女も自分の席に既に人がいたとのこと。

 結果、なんと一列総ダブルブッキング。結局座っていた人たちは別席に案内されて(今思うと男性も多かったし関係者の人たちだったのかも)私達は正規の席に座ることが出来たけれども、最初は本当に観られないんじゃないかと凄く焦ったし困惑した。もう二度と経験したくない。

 その事件後、私とその時一緒に観に行った母の間ではこの劇場は魔の全労済ホールと呼ばれている。今の推しの出演作品がこの会場の時はとてもドキドキする。悪い意味で。

 

草月ホール

 初めて自分で「行きたい!」と舞台のチケットを取って観に行った作品の劇場なので印象深い。(小さい頃母に連れていってもらった舞台とかはあるんですけどね)

 ちなみに作品は『愛が殺せとささやいた』。今思うと観劇デビューがそれ!?という感じだけど、サスペンス好きだし、凄く面白かったので初めがそれで良かったなぁと思う。

 後にDVDがとんでもねえプレミア価格になっていてビビったりもした。

 

東急シアターオーブ

 割りと出来たばかりの頃に行ったので凄く綺麗で、ロビーから渋谷の街並みが見渡せるのが雰囲気があって凄く良かったのと、初東宝観劇だったので思い出に残ってる。

 観劇したのは『ロミオ&ジュリエット』の1度目の再演。キャスティングが良かったのもあって、まとまりがあって作品としても印象深いです。

 

中野ザ・ポケット

 何だか分からないけど凄く印象に残ってる劇場。単に中野が好きっていうのもあるかも……笑 

 観劇したのは確か『ユメオイビトの航海日誌』(初演の方)。群像劇が好きなので作品も凄く面白かったのを覚えてる。

 

日本青年館

 某作品でめちゃくちゃ行った。ご縁あって1階の前から後ろまで入れたので色々な場所からステージを眺められてここからだとこうなのか~という比較が良くできて良い経験になった。2階席は実は入ったことがない。

 

 他にも色々思い出のある劇場があるけど、特に印象深いのはこんな感じかな、と。

 すぐ推しが特定出来ちゃいそうなのは何となくちょっと…と思ったので作品名ぼかした所とかもあります。

 

 こうして並べてみると面白いですね。

 

時を超えた「ありがとう」を伝えたい-彩冷える「バージンスノーカラー Final Season」

1月12日

彩冷える「バージンスノーカラー Final Season」

に行って来ました。

 

気付けばAREA15thの限定復活から去年の感謝祭、この前の正月のAREAまで、気付けば復活のライブには全部足を運んでいたけれど、

その中でも12日の公演は一番良いライブだったと思う。

びっくりするくらい楽しくて、セトリも演出も凄く良かった。

 

始まりが君の声と約束なのは予想してなかった驚きも相まって、当時の映像をバックに演奏しているのを見ていたらまだ初めなのに凄くグッと来た。

後ろに映されている過去がより一層彼ら5人が「今」ここにいて、演奏しているんだってことを強調しているように感じるからかな、と思った。

 

その後も好きな曲とかちょっと意外な曲も沢山聞けた。

GAMEはびっくりしたし、星ヶ丘はギターの音は暖かいのにあおちゃんの歌は切なくて大好きだなって改めて思ったし、

マスカレードや蟻角はめちゃめちゃ踊った。

1秒も残さずずっと楽しかった。

 

あと、本編ラストのデジタルネバーランドやラストの七色で、メンバーみんな眩しい笑顔で、楽しそうに演奏していたのが凄く印象に残ってる。

こちらも思わず笑顔になったし、「ああ、良かった」と思った。

あの発表の前の頃も、4人がバンドを守ろうと始めてくれたあの頃も、勿論笑顔ではあったけど、今考えればギクシャクも空回りもしてたんだろうなと思うから。

 

MCでイン様があのふわふわの調子のまま

当時の本音を語ってくれた。

メンバーが多少当時のことに触れることは今までも聞いたことあったけど、こんなに包み隠さずに心境を聞いたのは初めてだった。

 

話していたのはこんなことだった。

最後のツアーのファイナル、Zeppでのライブが音楽人生一番空虚だったこと。今回みんな同じ楽屋で話して、5人でまたZeppのステージに立っていることが本当に奇跡みたいで嬉しいということ。

当時の話を聞くのは少し心苦しかった所も勿論あったけど、メンバーの口から「また出来て凄く楽しい」って聞けたのが嬉しかった。

 

夢人もケンゾも相変わらずのテンションだし笑、たけぴもイン様もたけぴとイン様だし、あおちゃんが言ってたように「何も変わってない、噛み合っていないようで噛み合っているような感じ」を見られて凄く嬉しかったりした。

勿論、ここ数年メンバー同士がイベントで話してるのを聞くことはあったし、険悪な感じでは無いのかな~と思うことはあったけど、5人がこんな調子で話してるのが夢みたいに思った。

個性が豊かなのとメンバーがバラバラなのは違うもんなぁと思う。

 

あおちゃんが、このライブは、沢山悲しませてしまったけど待っていてくれたみんなへの恩返しのようなものというようなことを言っていたことも印象的だった。

これまでの復活の時は取り敢えず集まって出来るかやってみる、みたいな雰囲気を感じたりもしたんだけど、今回のライブを見て話を聞いて、この人たちは空白の時間を取り戻そうと色んなことを考えようとしてくれてるんだなぁと思った。

 

私は当時田舎の中学生で、ライブに行くなんてそう出来なかったし、5人を生見られたのもイベントでだけで、

音源を聞き込み映像にかじりつきやっと高校生になって、お小遣い貯めてさあライブ行くぞ!って思った矢先にあの発表だったから、めちゃくちゃ悲しかったしもうめちゃくちゃ怒ったよそりゃ!!

4人のAYABIEは暫く通っててそれはそれで楽しかったし好きだったけど、途中で何か楽しくなくなって行かなくなっちゃったりもした。

どんだけ振り回すバンドなの?今さら何?っていう声だってあるとは思う。

 

でも、今の5人を見てると、

今楽しそうにライブしてくれてるなら良いや!って思えるくらい頼もしいしカッコいい。

 

またライブも決まっているし、

今度は悔しい思いをしないように、しっかり見守っていきたいと思う。

 

以前の記事で私はばんぎゃる上がりかけだけど~という話をしたけれども、

彼らがいる限りは上がれないだろうな~!笑

業が深い!!

 

 

また出会ってくれてありがとう。

 

 

(舞台の雑感をまた書きとめようと再び始めたブログなのに、一向に書かず突然ライブの感想なのは許してください笑 推しに偏った感想にならないように書きたいというのもあって舞台の話はじっくり書くと物凄く時間がかかるので…また今度…)

 

「歌い手」の音楽に触れたばんぎゃるが考えたこと

私の周りには様々なヴィジュアル系のバンドのファンの友人がいますが、

集まって話すと頻繁に

「最近自分たちより若いファンの子、少ないよね」「中高生のファン、あまり見掛けなくなったよね」

という話になります。

 

私は最近あまりライブに行かなくなった身ではありますが、それでも周りの話を聞いていても自分の体感でもそう感じます。

勿論若いファンが多いバンドというのは存在するし、全く居ないわけではないのですが

自分が中高生だった頃に比べると随分減ったなぁという気がしています。

 

若いファンが減っているということは必然的に新しくジャンルに流入してくるファンが減るということなので、長い間身を置いてきた側からすると悲しいことです。

 

流行ってないのかなぁ…悲しいね…

話は大体そういう結論で終わりました。

 

でも、実際どうしてなのか、その理由は良く分かっていませんでした。

そんな中、こんな記事を見掛けました。

「この調子だとバンド音楽はあと10年もしないうちに消滅する」

石左さんという方のコラムです。

 

やや極端な書き方をしている部分もあるかとは思うのですが、

内容の核心の部分を読んで、今まで疑問だったことがスッと解決したような気がしました。

 

このコラムのメインとなっている話は、

今までだったらヴィジュアル系を好きになっていたであろう少女たちが人気「歌い手」のファンへと流れてしまっている。

理由はバンドがインターネットと親和性が低いことにあるのではないか、ということでした。

 

それが全ての要因であるとは言い切れませんが、冒頭のような話を頻繁にしていた私は思わず「なるほど、そういうことだったのか」と呟いてしまいました。

 

ただ、理論としては飲み込めたのですが、

「歌い手」の文化が未知の領域である私には「そんなにかっさらわれる程凄いジャンルなのか」ということはイマイチピンと来ないという側面もありました。

 

そんなことを考えていた少し後、何とまあお誂え向きな、というタイミングで歌い手文化に触れる機会が出来ました。

推しが歌い手さんの曲が原作となる舞台へ出演することになったのです。

最初はどういうこっちゃという感じで飲み込めなかったのですが、どうやらその方が数人でやっているプロジェクトの曲がストーリー仕立てになっており、それを歌い手さんが実際に歌唱する音楽+演劇の形にアレンジした舞台らしいと。

どんな雰囲気なのか丸っきり想像出来ませんでしたが、演出家さんも好きな方だし、チケットを押さえて公演日を待つことにしました。

 

そして、先日千秋楽が終わりました。

何度も観劇しましたが、一言で言うと、予想以上にめちゃくちゃ面白くて勢いのある舞台でした。

推しは予想以上にダンスも殺陣も多くて、推しのキレのある動きが好きな私は思わず見惚れてしまったりとか、あまりないタイプの大人な役がカッコ良かったとか推しについての感想は挙げたらキリが無いのですが、

 

この記事ではそれは一先ず置いておいて、触れたいのは

「歌い手」さんの音楽のパワーに私が感じた衝撃です。

 

この舞台では、キャラクターの心情を表現する存在として、歌い手さんが原作の曲を歌うパートがありました。

私は正直原作をチェックせず挑んでしまったのですが(それはどうなんだという感じですが)

まず、曲のカッコ良さに驚いた。

少し怪しげでセクシーな雰囲気を醸し出していて尚且つロック、歌詞もちょっとセクシーな感じ。

若い子はハマるだろうなぁと単純に思いました。

私ももっと若い頃に出会っていたらきっと好きになっていたと思った。

そして、歌い手さん自身ビジュアルも凄く良く、尚且つ歌が上手い。

 

本当に単純に「これはそりゃ持ってかれるわ」と思いました。

少し気になって最近他の人気「歌い手」と呼ばれている方もちょっと見たり聞いたりしてみたのですが、ちょっと影があったり同じくセクシーだったり、勢いがあったりとやっぱり若い子がハマりそうな方々が多くいました。ヴィジュアル系に近い部分も感じました。

顔出しされてる方も結構いて、皆さんビジュアルも文句なしの方ばかり。

 

このレベルのものをインターネットで提示されて容易に触れることが出来る。そしてリアル(ライブ)でも楽しませてくれる。

初めからこの文化に触れてしまったら、インターネットに弱いバンド文化をあれこれ探しに向くことは中々無いだろうな……と正直、思ってしまいました。

 

音楽は勝ち負けではないし、

私はバンド側の人間ではないので口を出すことでは無いのかもしれません。

でも、そちらに多くの人が流れるということは衰退の一途を辿ることに繋がってしまうのは事実だと思います。

文化というのは世代交代を繰り返して繋がっていく側面があると思うのですが、若い世代が来なければ繋げることも出来なくなってしまう。

 

ヴィジュアル系の音楽は本当にカッコいい。

胸を張っておすすめしたいバンドも沢山あります。

自分が大好きな1つの音楽表現のかたちが衰退してしまうのは、やっぱり悲しい。

 

でも、だからといって、目につくようにむやみやたらにインターネットと親和性を高めていくのが生き残る道なのかと考えると、それも違う気がしてくる。

バンドは硬派であれ。リアルに、生に存在するのがバンドなのだ。それがカッコ良さの一部分だ。という考えも凄くよく分かるから、より難しい部分なんだと思います。

 

生であるカッコ良さとインターネット

音楽配信の部分などで、双方を上手く両立させようと頑張っているバンドさんも沢山いると思います。

 

これだ!という解決法を提示することなんて私には勿論到底出来ませんが、大好きなジャンルが、文化が、これから先も勢いを持って続いていくように何か打開策が出来れば…と願ってしまいます。

 

これからヴィジュアル系に、バンド音楽に光がありますように、と祈るばかりです。