ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

好きだったバンドのタオルを台所のタオルにした時

以前から何度か書いているが、

私は元・ばんぎゃるである。

昔大好きだったバンドが最近復活していてたまに見に行くことはあるけど、

もう頻繁にライブに行くことはない。

 

一番最近まで行っていたバンドは(といっても数年前である)

何となく最近の感じしっくり来ないな、と離れかけていたところで

心を読まれたかのように本命だったギターが脱退してしまい、それ以来行っていない。恐らくこれからも行くことはないと思う。

 

ヴィジュアル系に限らずだが、バンドには大抵の場合グッズでタオルがある。

(バンドに限らずライブをするような歌手なら大体作っているだろうか)

そこまで売れていないバンドでも、ライブ中に使えるものなので作っている所が多いだろう。(交渉の時の目印になったりするのでありがたい存在だ。)

好きだったどこのバンドも例に漏れずタオルを作っていた。

私はそんなにグッズを買う方ではないけれど、タオルはたまに買ってはライブで使っていたりした。

 

タオルは消耗品とはいえ、替えが何枚かあるなら例えそこそこ頻繁にライブに行ったとしてもそんなにはダメにならない。

すると、ライブにあまり行かなくなって家に残るのは

そこそこに使えるタオル×まあまあ沢山

である。

 

そんなタオルたちを洗顔後に軽く顔を拭くタオルとして使ったりしながら暮らしている中、

今まで使っていた台所のタオルが大分天寿を全うしそうになっていることに気付いた。

あーこれはもう替えなきゃなぁ、使えそうなタオルあったかなとケースを開けたら一番始めに目に入ってきたのは一番最近まで通っていたバンドのタオルだった。しかも、そこそこ長い間通っていたので、何枚もある。

上にも書いた通り、私はもうこのバンドを見に行くことは恐らくない。つまりこのタオルの出番も恐らくもう、ない。

何度か使って吸収性の良くなっているタオルだ。手を拭くにはもってこいだった。

ここまで考えて、そのまま放っておくのも勿体無いし、使っちゃお~ということになった。

 

それから私は、そのバンドのタオルを数枚、台所の手拭きタオルにした。

流しの横のタオル掛けに掛けて使っている。

上に書いた通り、吸水性が良いので重宝している。

 

しかしまあ、このタオルで手を拭いていると、「あ、私もうこのバンド見に行くことないんだな」という事実を何だか強く突きつけられたような気分になるのである。

行かないことを選んだのも、タオルを台所用にしたのも勿論自分ではあるのだけれど、過去に通っていて楽しかった思い出と対照的に日常で使い古されていくタオルに何となく哀愁的なものを感じてしまう部分がある。

 

ライブで汗を吹いたり振り回したりするのと、台所に掛けて手を拭くのとでは、訳が違う。消耗具合も後者の方が断然早いだろう。

 

私は他のバンドのタオルも持っているが、それを台所のタオルにしようとは今のところ思わない。大体がもう居ないバンドだけれど、また復活するかもしれない。復活したら行くかもしれない。

まだ活動しているけれど行かなくなってしまったバンドのタオルもあるが、もしかしたらいつか懐かしくて行きたくなる時が来るかもしれない。めちゃくちゃ良い新曲が出るかもしれない。今は使う予定は無くても「もしかしたら使うかもな」という気持ちがあると、やはりまだ台所のタオルにして使っちゃおうとは思わないのである。

 

ともすると、私にとってバンドのタオルをこうして台所のタオルにしてしまうことは、イコールそのバンドとの訣別なのかもしれないな、と思った。いや見に行っていない時点でもうしてるけど。

 

何と言うか、「台所のタオルにできないバンド」は、例え昔良く見に行っていたあるバンドを今は見に行っていなくても、彼らへの意識は過去から地続きの現在進行形であって、それが今休止している、何かが切っ掛けでまた見に行くことがあるかもしれないという状態なのである。

しかし、「台所のタオルにしちゃおう」と思ったバンドは、意識として、もう現在進行形ではない。完全に思い出になってしまっているのである。

勿論そのバンドに好きな曲も沢山あるし、今も度々聞く曲もある。がしかし、それらはもはやただ良い音楽作品として享受される、過去の楽しかったライブやイベントを思い起こさせるだけなのである。

 

このように、私は好きだったバンドのタオルを台所用にすることで、無意識のうちに彼らを完全に過去の思い出にしていたのかもしれない。だから、いつもはタオルを見たくらいでは特に何も思わないのに、その時に限って「もうこのバンド行かないんだな」という事実を強く突きつけられた気がしたのかもしれない。

いつか他のバンドのタオルも「台所のタオルにしちゃお」と思う日が来るのだろうか。

 

 

いや本当になんの話だよ。