ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

"恋愛至上主義"の裏にある"女性同士の連携"と"パフォーマティヴな攪乱"ー舞台『Multi-Unit-Apartment』マルアパ 感想・考察等

感想書きたいなと思っていたのだけど、観劇してから頭の中でぼんやり考えていたことも書こうと思って文献を読み返したり某サ終*1で落ち込んでいたりしたら大分時が経ってしまって…配信も終わってしまったけど、折角なので書いておきたいと思う。

『Multi-Unit-Apartment』の感想や考察(のようなもの)です。

※ネタバレしかありません

※本文中の作品に対する考察や分析はあくまで筆者の個人的な考え基づくものであり、言及されている事実ではありません。

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久しぶりの三浦さんオリジナル・ショーステージ

私は三浦香さんのオリジナル作品、特にショーステージのある作品が大好きだ。三浦さんの描く"人間くさい人間"と彼らの細やかな心情とその内に秘めたパッションが発露してキラキラと輝くステージパフォーマンスの組み合わせの化学反応が好きだからだ。あと多分、それなりの不条理が好きだから…というのもあるかもしれない(?) (この辺り全般は以前書いたスレイジーの記事とかOh My Dinerの記事を見ていただければわかると思う。)

でも三浦さん原作付きの脚本や演出でお忙しいから…暫くオリジナル作品の上演はなかった。そんなある日発表されたのが「三浦香が手掛ける完全新作オリジナル作品」と銘打たれた『Multi-Unit-Aprtment』(マルチユニット アパートメント、通称マルアパ)の上演決定告知だった。丁度お昼休憩に入ったばかりだった私がなんだなんだ、とニュースサイトを開いて読んでいると、目に飛び込んできたのは華やかな女子8人(+男1人)の写真と明らかにショーのステージだ!という背景の男子9人の写真、そして三浦さんの「自分の大好きなショーステージでお届けします」という言葉*2だった。三浦さんの完全オリジナルショーステージ!?この写真も完全に「ショー」だ!!…行きます…になった。ひとまず、そうなった。

それから良く公演情報を読み、見知った俳優たちが「ガールズ」「レディ」として奮闘するという物語であることを知り、俳優が本気で「女の子」をやるぞ!という心意気をひしひしと感じて、すごく面白そうだなと思った。キャストも動ける人が多そうなので楽しみだったし、どの方も女の子の姿の写真が大変可愛らしく、美しいのでそこもワクワクした。そして加藤良輔さんがいることにもこの時点で気が付いた。三浦さんのショーステージに良輔さんがいるぞ!!!この意味が…わかるか?と勝手に一人で問いかけたのち、すぐに良輔さんのオタクに一緒に行かないか?と声をかけた。(すぐに行くが?と返ってきた。Thanks…) あと個人的に木津つばさくんのことを信頼しているので(?) 主役が木津くんなのも期待値が高かった。

絶対1回見たらもう1回観たいよ〜!ってなりそうだからまずは一人で行って、その後友達と一緒に入ろうということになり、2回分のS席を取った。結果2回観て本当に良かったな、と思った。

 

リトルラブリータウンへ

公演2日目が初回の観劇だった。当日、会場のClub eXへ入場すると、きっとリトルラブリータウンにあるのであろう広告や地面広告を模したキャラクター名があちこちに貼られていた。物販もリトルラブリータウン仕様。観劇前からこうして物語の世界に入っていけるのは嬉しい。確かOMDの時もロビーに看板が貼ってあったな、というのを思い出した。

劇場内に入ると、セットもとても可愛くて凝っていて驚いた。アメリカのティーンのカルチャーを反映したようなカラフルなアパートのセットが本当に可愛かった…。個人的に小物まで丁寧に作り込まれて凝ったセットの作品がすごく好きなので嬉しい。このポップなセットとClub eXのどこかラグジュアリーな雰囲気がリトルラブリータウンと作中に出てくるビバリーヒルズの対比みたいだなと思った。Club eXのこのラグジュアリーな雰囲気は好きだが、死角席が多すぎて劇場としては全然愛せない。アンビバレンス。

開演前には可愛いガールズとシティボーイ(アンサンブルキャストの皆さん)による前説もあり、イザベラの人物像が少し匂わされたことでどんな人?気になる!欲が刺激され、徐々に意識を作品へ向かわせるのも上手いな~と思った。

 

一見"恋愛至上主義"に見える裏にあるもの?

本作は主人公・ココがセレブな恋愛に憧れて田舎からビバリーヒルズ付近へやって来る所から始まる。素敵な男の子と出会って家に転がり込むつもりで家も探さずやって来たココは偶然出会ったリリアンに連れられてMulti-Unit-Apartmentにやって来る。

このMulti-Unit-Apartment(以下、「MUA」と言う。)が登場人物のガールズ・レディたちが共同生活を送るアパートなのだけど、順番に登場する住人たちがまあとにかく癖が強くて…笑 途中でココが叫ぶ「あと何人個性的な人出てきますか!?!」は、観客の声を代弁しているようで思わず笑った。

占いの才能があるけど歌手に憧れるリリアン、最強の皮肉屋でありながら実は過去に天才子役だったゾーイ、おしとやかでキュートなのに上司のイザベラに銃を向けるエンジェル、照れ屋だけど実はとんでもない秘密を隠したハンナ、外に出れば天才編集長だが家に帰れば酒にべろべろふにゃふにゃのイザベラ、世界は私を中心に回っているわと言わんばかりのビビ、そして夫の浮気の慰謝料で全てを賄う管理人のアヴァ ── 書き並べてみると本当にとんでもないメンツである。笑

これだけ個性バラバラなメンツではあるが、観ていくととある共通点があることが示されていく。それは「素敵な恋に憧れている」ということである(ビビは微妙に例外ではあるが)。素敵な恋愛に憧れてやってきたココを筆頭に、エンジェルは「女の子は素敵な男の子に恋をするものよ」「恋はこれから探せばいいわ」とココに声をかけるし、物語中盤では全員が同じ一人の男性に恋をしていく様が描かれていく。このMUAに住む条件としてアヴァが提示するのも"恋をすること"である。アヴァとイザベラは2人とも所謂「サレ妻」であり、恋愛に振り回された女性として描かれる。そう、本作はかなり「恋愛至上主義」が前面に押し出された描き方をされているのである。

初回観劇の際、この辺りが随分旧時代的価値観だなぁと観ていて微妙な気持ちになってしまった部分はあったのだけど、終盤にかけてしっかり女の子は恋せど強くてナンボ!心を弄ぶ不届きものには自分たちでカウンターするべし!という「女の子よ、強くあれ」という価値観が示されたのでそっか、そういう持っていき方になってるんだな~と納得は出来た。ただ、最後に彼女たちが騙された男性に対して復讐をする際に"男装"をして復讐劇を見せるという点を見て、「彼女たちが女の子のままで復讐をしたり、カウンターをしたりすることは出来なかったのかな…」と感じてしまったのも事実だった。どうしても現代的な価値観だとこれだけ魅力的な作品を、女性の生き方にも多様性があって、それをエンパワーメントする方向性に持っていかないのが少し勿体なく感じてしまう節はあり…。これは他の方の感想を少しだけ拝見した時に同じことを仰っている方がおり、そうだよね…と思った部分であった。

でも、パンフレットを読んだら、三浦さんが敢えてこうした「恋愛至上主義」が前面に押し出されているように見える作品として仕上げている理由が良くわかる記述があって、描かれてきた内容や話の展開の持つ意味がすごく腑に落ちた。三浦さんはパンフレット内で、昔自分を騙した男性たちをオスカーとして描き、彼に立ち向かうMUAのガールズたちを描くことで、自分と同じような経験をした女性たちとその痛みを分かち合いたいと話している。三浦さんにとってのMUAのガールズ・レディたちは「救いたい誰かの思い」であり、演劇を通して彼女たちの傷ついた思いに寄り添いたいという考えから本作を描いたのだと言う。

この記述を読んで私は、つまり三浦さんは"未来の女性にこうあってほしい"(=エンパワーメント)よりも、"過去の自分や同じ立場にあった女性の救済"に重きを置いているのだと思った。だからこそ、「恋愛至上主義」から、騙した男性と同じ立場で復讐劇を行うという流れになっているのだな、と考えて納得した。

あともう一つ、女性のエンパワーメントが大分浸透してきた世の中で、"一人で強く生きる女性"に目が向けられがちな中で"素敵な男の子と恋をする"という生き方もあるし、それを描いた物語だってあって良いというメッセージ性もあるのかな?と思った。女性の生き方が一つではないというのがやっと認められてきたわけで、ステロタイプな在り方だけでは駄目だよね、というのが世の流れが行き着くべき場所であり、ロマンティックな恋愛を望む女性だって認められるべきなんだよね…と本作を観ながら考えた。そして、どんな生き方を望む女性であっても必ず強くあれ!というのは忘れずに、というのが三浦さんのメッセージなのかな、と考えるなどした。

 

女性同士の連携と結束

本作では井坂郁巳さん演じるイケメン庭師のオスカーが登場し、特に中盤以降MUAガールズたちの心を鷲掴みにしていき、アパートの全ての住人と恋愛関係を結んでいく。女子たちがオスカーに"落ちる"時の演出(キャラクターカラーの矢を自分で自分に刺す)が可愛くてとても好きだ。ここでオスカーが歌う妖しげでジャジーな曲も雰囲気があって良い。実際のところ、オスカーは女嫌いを拗らせて金を巻き上げるために彼女たちに近づき*3、ある時点で全員がオスカーと付き合っていることに気が付き、復讐のために「リグレット・ショー」の実行へと向かっていく。

この「同じ1人の男性を通して女性が連携・結束していく」という構図で、イブ・セジウィックが『男同士の絆』*4で論じた「1人の女性の交換によって成立する男性のホモソーシャルな関係」が思い浮かんだが、本作で描かれている女性同士の連携はこれの単純な裏返しとは様相が違うな、と考えた。男性同士のホモソーシャルな関係は、実際にはその絆を引き裂きかねない女性への嫌悪・排除によって成り立っているとセジウィックは論じているが、本作ではステロタイプな女性嫌悪を拗らせて"復讐"を受けた男性・オスカーも、ココ(N*9)によって「あんたもまだやり直せるよ」というニュアンスで声を掛けられ、救いを与えられる。

オスカーの悪行を思うと救うのは"甘い"のかもしれないけど、男性を"落とす"ような描かれ方がされていたらもっと後味が悪くて微妙だなと思ったかもしれない。(私がこういった男/女に関係する物事の場合に、単なる立場の逆転では何の解決にならないと考えていることも大きいかもしれないが。)単なる男性嫌悪や男女逆転に向かうのではなく、すべてに平等に向き合って前を向かせるような方向性が、本作のパワーとか爽快感を生んでいるのかな、と思った。

あと、リグレットショー以外にも、イザベラとアヴァがキャットファイトして泣きながら抱き合うのとかも、同じ思いを抱いた女性同士の連携・結束だな…と思った。あのシーンでガールズたちが歌っているのが可愛いラブソングなのも中々味わい深い。

ただ、MUAガールズ・レディの連携や結束が単なる男同士の絆の裏返しになっていないのは、「リグレット・ショー」が男装のショーであることも関係してくるかとは考えている。オスカーは声を掛けてきたN*9のことをココだとは気が付いていなかったのである。女性の姿のままオスカーに向き合っていたら結果はまた変わっていたのかも…と思う部分もあるが、「リグレット・ショー」が"男装のショー"であることについては、もっと違った読み方が出来るかも、と考えているので、次項ではその話をしたいと思う。

 

男⇔女⇔男の"パフォーマティヴ"な攪乱

本作でMUAガールズ・レディたちを演じているのはすべて男性俳優たちである。そのため作中の「リグレット・ショー」は"男性俳優が演じる女性たちが男装する"という一見すると複雑な構造となっている。しかしこの複雑さは、裏を返せば、本作が俳優たちが男⇔女を自由に行き来する土台となっていることを示しているように思える。本作は"男性が女性を演じる"ことから一歩進んだ"(男性が演じる)女性が男性を演じる"という事象までを描くことで、男性/女性という存在の境界を攪乱しているのではないか。

この男性/女性の境界の攪乱というのは、ジュディス・バトラーが『ジェンダー・トラブル』*5においてジェンダー・アイデンティティが社会的に構築されたものにすぎず、性(セックス)も同じく永続的で絶対に揺るがない存在ではないということを論じるために用いた理論の一部である。バトラーはジェンダーを「パフォーマティヴ」なものと捉えている。ジェンダーを演技と見なし、社会的なパフォーマンスが繰り返されることによってジェンダーが構築されていく中で攪乱が行われることによって、自然なものと思われた男女の規範を崩し、男性優位の強制的異性愛の不確実さを暴くことを狙いとしている。(※バトラーの論はかなり説明が難しいのでニュアンスに誤りがあったらすみません…。)

本作における男⇔女の自由な行き来による男女の境界の攪乱は非常に「パフォーマティヴ」なものであると感じる。本作においては男性が女性になることも、女性になった男性が、その姿のまま男性になることも出来る。そうなると男性性とか女性性によく目が向くようになるが、それを纏うのは男性としての彼らなのか?女性として彼女らなのか?という部分は曖昧になっていく。男女の規範を崩す、とまで大きな話ではないが、そこに縛られないような表現を行うということには意味があるのではと思ったり…した。

前の項までで述べたように本作は「恋愛至上主義」が前面的に出ているように見せているので、バトラーが論じるような強制的異性愛の崩壊とは若干拮抗しているように見えるかもしれないが、最終的なオスカーへの復讐と許しの面を踏まえると、そんなに遠くはないものにも思える。

バトラーは実際、『ジェンダー・トラブル』内で異装のパフォーマンスがジェンダーの偶発性と模倣性を示すものであることを論じているが、同時に異装のパフォーマンスがステロタイプを助長し、笑いものにすることで度々女性蔑視に繋がってきたことを指摘している。本作においてはどうだろうか。私は、俳優たちの演じるMUAガールズ・レディたちにわざとらしさを感じた場面はあまりなかった。真摯に「女の子」を演じてくれていることは仕草や表情を見ていてすごく感じたので、今回はバトラーの指摘が当てはまらないように思っている。また、彼女たちが個性的過ぎて「ステロタイプ」?知らんがそんなもん…というキャラクター造形だったことも大きいと思う。「リグレット・ショー」も男性をわざとらしく演じるという建付けではなかったと思う。だからこそオスカーも彼女たちであることに気が付いていなかったのだと思うし…。

と、色々考えてみたけれど、深読みのしすぎと言われたらそれまでである。でもわたしは女性への救いの表象と共に男性への救いもあり、男女観の撹乱によるポジティブな効果が生まれていることも感じたように思ったので、書き記しておくこととした。

 

MUAという作品の中身の感想

ここまで作品の表現とか建付けに関することばかり考えてきてしまったが(私の悪い癖で…)、MUAという作品の中身自体も良かったよ!という話も記載しておきたい。

前の項までで少し触れてきたが、MUAに関わる女性たちは本当に、大分個性的である。アヴァはよく彼女たちを統率していると思う…。笑

私が一番好きだったのは木津くん演じるココである。個性的なメンツに振り回されるわ田舎者扱いされるわで少々不憫な所が目立つけれど、都会に染まり切っていない彼女が実は最強なのでは?と思えるシーンも沢山ある。*6そして、田舎者~と言われてはいるが、とってもチャーミングで可愛いのだ。オスカーに言いくるめられそうになりつつ、彼の顔を見ると思わずカッコいい♡と言ってしまう所とか、本当に可愛い。

あと前項で少し触れたけど、MUAガールズ・レディたちは仕草や表情がすごく自然で見ていて嫌な気持ちになることが少なかったのだけど、特に最後のダンスパートでココがターンして屈んだ時に、少しだけ顔にかかった横髪をすっと耳の方に流す仕草が本当に「女の子」ですごい!と思った。男装から女の子に戻る時のメイクシーンもうわ~あるよね、こういう会話するよね、という感じでとても良かった。

あとはビビが今日罪(Guilty)の話を聞いて、それってまさに私のことだと思ったの!だって可愛すぎるって罪だから!あんたたちは無罪で良いわね!と言い放つシーンの勢いと妙な説得力に2回とも大笑いしてしまった。そこまで自己肯定感MAXだったら何も怖くないから羨ましい。そして確かにビビって本当にビジュアルも仕草も自分の魅力を存分に理解しているシティ・ガールで本当に可愛いんですね…あんな性格なのに許せてしまうのも何だか納得してしまう。そして、雑誌「DEEP」の編集長、でも裏の顔は酒で酔ってべろべろになりながら、芯の無い話を延々と続けるイザベラ(演:加藤良輔)って…それは…さぁ!流石にさぁ!と恐らくスレイジーのオタクが全員熱くなっているところで私も熱くなるなどした(?) これは多分、三浦さんのささやかな贈り物*7なのだろうと思う。ココシャネルのポーズ、渾身の一撃すぎる。私はある程度不条理なギャグが好きなので、こういうテンポ感のある謎の会話はとても好き。

あとキャラクターのファッション!どの子も可愛かったし、一人ずつしっかりジャンルが違うのがすごいなと思った。ファッションチェンジがあるのも嬉しい。オスカーはめちゃくちゃアメリカのティーン向けの映画に出てきそうだし。ホースで水浴びんのは面白かったけど。

 

楽曲と女の子たちの"秘密"の話

本作は歌やダンスのナンバーも沢山あるが、どれもどこか懐かしさを感じて親しみやすさもあり、盛り上がる音でもありどれも良かったな~と思っている。私はリリアン役の原くんが歌うのを初めて聞いたのだけど、べらぼうに歌が上手くてびっくりした。全然音痴じゃないよ!?(そりゃビビも嫉妬する) 前田くんは前に別の作品で歌うまいな~と思っていたのだけど、アヴァ様もN*1も迫力がすごくて…サイコ~になった。

最後の自己紹介ソング…さ!!なんだかすごく知っているような気がしたり…しなかったり…したよね。笑 歌い方や言葉遣いもそれぞれのキャラクターに沿っていてとても好きだった。

 

そして女の子と三浦さんのオリジナル作品にはつきものの"謎"と"秘密"が今回も沢山匂わせられ散りばめられ、2回目の観劇でもしかして…!?となる伏線回収箇所もあったが、依然として作中では明らかにされていないので、次回作を…お願いいたします。私は初回がAブロックのS席でハンナの部屋がよく見える位置だったんだけど、ケースにびっしり銃が並んでいるのが見えてヒィてなったよ。ある程度の情報はパンフレットでこそっと出されているので、それを読んでなるほどやはり…と思ったり、そうだったんですか…!?と思ったり。ココがあれだけ勘が鋭くて人心掌握に割と長けているのに一人きりで後先考えずに出てくるのおかしいだろ!!と思っていたので、まあ、そうやんな…でも一体何を知りに来たんだ…?教えてくれよ…になっている。ビビは本当に何もなさそうだから、姉の方に"何かある"のかな?と考えたりしている…。

自室で就寝前に歌っているナンバーの歌詞も関係していそうで気になっている。「いい女にはいい夜なんて訪れない」⇔「いい女にはいい夜だけが訪れるの」の対比が一番気になっている。前者は作中で一番なにかありそ~な3人(ココも彼女たちを探るために来たのでは?という気がしてくる)で、後者を歌うのが一番純粋そうなビビとリリアンだというのもね…。

 

先が気になるから是非続編を~~!!!と祈りながら、この記事を締めたいと思う。

*1:

大好きなライドカメンズの話をさせてください - ささやかな備忘録

*2:公式サイトにも掲載されている。

*3:アヴァの手引きもあったと思うが

*4:イヴ・K・セジウィック『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望―』名古屋大学出版会,2001 (訳書)

*5:ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル フェミニズムとアイデンティティの攪乱』青土社,1999 (訳書)

*6:多分、彼女の"強さ"の要因はそれだけではないが…。

*7: 三浦さんは長年脚本・演出を担当していた最遊記歌劇伝の最終作でもとある"贈り物"をしてくれたので、こういう贈り物が得意な方なのかも、と思ったりする。 メインキャストが振り返る 『最遊記歌劇伝ー外伝ー』② | Febri