ささやかな備忘録

いつか死ぬ日の僕のために

それぞれが対峙する群像-舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たちの話 その1

先に別の感想をアップしてしまったけれども、

この前の記事の宣言通り、いい加減に舞台の感想を書きます!!!

(推しの舞台も千秋楽を迎え、バイトも無くなってしまってゆっくり書けるので丁度いい)

 

書きたいものは沢山あるのだけれど、

今回はこれも宣言通りに「推しが少し前に出ていたロングラン公演」である

「舞台『刀剣乱舞』維伝 朧の志士たち」の感想を書いていきたいと思う。

 

先に申し上げておきたいのは、私は元々刀剣乱舞という作品自体にあまり詳しくなく、アプリが始まった頃に一瞬だけやっていたくらいで、刀ステはたまたま前回の慈伝の千秋楽当たったから一緒に行こ~と誘われて観に行ったのが初観劇だったということだ。

そこで発表された新作に(案の定)推しが初出演することになって(何故案の定なのかは過去の記事から察していただければ)、どうしよう…あまり詳しくないけど楽しめるかな…と思いながら観劇したのが今回の維伝である。

(どうでもいいけど推しに「刀剣乱舞、割とミリしらなんですが楽しみたいです」と言ったら食い気味に「一緒に勉強しましょう!(ガッツ)」と言われたの本当に面白かったな)

結果として、すごく楽しめたのだけれども。

 

一応終わってから(始まる前に見ろよ)過去作を借りてざっと見たのだけれど、まあつまるところ、原作や過去作に通暁していない人間の書いている感想であることをご了承いただければということである。なので、他作との伏線部分には余り触れない方向で、本作で完結する部分の感想が主となると思う。

 

初日から千秋楽まで(流石に修論書きながらだったので神戸以外だけれど)、1/4いかないくらい観劇して、基本は前~中方辺りが多かったけれど、最前から2階席まで入って観たので、日替わりとか見え方とかその辺も考慮しながら書いていこうかなと思っている。

(なお、いつも通り推しが誰なのかについては伏せたままにするけれど、見ている時間が多い分無意識に偏ってしまう部分はあると思う。オタクとはそういう生き物なのでご了承いただければと思う。また、ネタバレ満載なのでその点もご注意である。)

 

前置きがずいぶん長くなってしまい恐縮だけれど、ここから感想に入りたい。

まず、お話について。

実はここが観劇前に一番危惧していた部分であった。原作も過去作も余り詳しくないのに、ストーリーを楽しむことが出来るのだろうか、という思いがあったのである。

結果的に、初日を観劇し終えて、めちゃくちゃ面白くて少々驚いたくらいであった。

私は歴史に余り詳しい方ではないのだけれども、黒船、坂本龍馬、幕末…と戦国鍋に出てくる所と高校の日本史くらいまでしか分からん私でも取っ付き易い部分が題材になっていたというのもあるし、「刀ステ」シリーズにおいてどうやら心機一転的な位置づけの作品だったというのもあるのかなと思ったりした。過去作云々を置いておいても作品単体で観ても十分楽しめる作品だったというか。

全体的にテンポが良いし、まあ陸奥守吉行と坂本龍馬はメインであるので置いておいて、他の登場人物にも満遍なくスポットが当たっていて、それぞれに関する話が順番に展開されていくので、誰かが置き去りになっている印象がないのも良いなと思った点だった。

群像劇が好きな自分としては凄く楽しめる構成だったと思う。

 

あと、何気ないちょっとしたセリフに伏線が張られていて、後半でそれが綺麗に回収されていたのも観ていて気持ちが良かったし、初観劇は話を追うので精一杯な所があったので、2回目以降にその辺りの伏線をじっくり考えながら観られるという何度も観劇する中での楽しみも用意されているのが嬉しかった。

 

総合レポ的な感想は既に書かれている方も沢山いるかと思うので、私はお話の中で印象的だった部分をかいつまんで書いていこうかなと思う。

 

まず、特に印象的だったのは、土佐の三振りの刀剣男士の元持ち主(正確にはそうではないのだけれども)との向き合い方の違いが上手く表現されていたことである。

本作では、陸奥守吉行と坂本龍馬肥前忠広と岡田以蔵、南海太郎朝尊と武市半平太の3組の刀剣男士と元持ち主が対面している。そして刀剣男士たちは、その元持ち主(を模したもの)が歴史改変の原因となっていることを悟り、対峙する。(実際に手にかけるのは陸奥守だけだけれども)「元の持ち主(を模したもの)を自分の手で斬らなければならない」という状況は3振りとも同様ではあるが、その対峙の仕方(主に心理的な)にそれぞれ個性が持たされているのが面白いなと思った。

 

荒っぽく以蔵に対峙し、とにかく彼を斬ろうと動くものの「斬りたい訳じゃない、そんなの俺が一番わかってる」と以蔵のやるせない気持ちを汲み、自分にもそれを言い聞かせて心に留めることが出来る繊細さも持ち合わせている肥前

型を大切にしながら真正面から武市と戦い、筋が通っているやり方で武市と向き合い、彼の曲がったことが嫌いな部分を尊重して向き合った南海。

そして、清々しいほどに真っ直ぐに龍馬に自分の役割、そして自分の気持を伝えて、龍馬にも自分にも納得のいくであろう形を提案して正々堂々と刀を交わした陸奥守。

三者三様全く違う向き合い方が描かれているし、(南海は刀工の逸話が濃い存在とはいえ)物語に描かれている元持ち主たちの性格や生き様を上手く反映しているのが面白いし、グッと来るなと思ったのである。

回によるけれど、3振りとも元持ち主と刀を交わした後は涙を流していることが多くて、「自分を大切に持っていてくれた人を斬る」ということの切なさ、それが自分の役割りだと分かっていてもどうにもならない切なさみたいなのが伝わってきて凄く良かった。

吉田東洋との戦闘の時に和泉守が「どうしてお前はそんなに強くいられんだよ、どうしてそんな簡単に捨てられんだよ」と叫んだ時に、陸奥守が「何も捨てたつもりはない、ただそこにあの人の歴史がある」というようなことを言うのも、清々しいほど真っ直ぐで、きっぱりさっぱりとしていて龍馬の性格とか生き様を反映しているな~とも思った。

 

次に印象的だったのは、上にも書いたけれどもセリフに張られた伏線と、それを綺麗に回収している点。

例えば、南海が合流した時の「刀の延長線上に人がいる」。

普通に考えたら陸奥守が言うように、「人の腕の延長が刀」だと思う。私もそう思ったし、最初は良くわからなかった。

でも、終盤で武市が発した言葉で「なるほど」と思ったのだ。

「この刀の先にはこの国を生きる人々がいる」というようなことを言っていたと思う。

単純に道具として扱われる刀のことを表している訳ではなく、その刀を用いて戦うこと、その戦いの結果の先に民の未来がかかっている。それはもしかしたら、武市が生きている日の本だけじゃなくて、私たちのような未来の日本を生きる人々の生活を変えるものかもしれない。そういう意味があったわけである。

そう考えるとこのセリフは、牢屋で武市が龍馬に告げる「こんな日の本を未来の孫や子孫に残せるか」というセリフにも繋がっていると思う。武市の覚悟や正義感がより強く伝わってくるように思える。

延いては、タイトルにもある「志士」という存在を規定するものとなっているようにも思える。これを刀剣男士側の、しかも武市の刀であった南海が言うというのだから、凝っている。

 

また例えば、武市が龍馬に告げる「これはおんしが始めたことじゃ」。

最後まで観劇すると、この文久土佐を歪めてしまっている原因が龍馬であったことを表しているのだな、ということが分かるが、注意して観ているとダブルミーニングになっていることがわかる。

序盤の黒船襲来の後の尊王攘夷を始めようと民が一致団結する時、そのことを言い出したのは龍馬である。龍馬たちが消える時に武市と以蔵に「おんしらまで巻き込んですまんかったの」と言った後に武市が龍馬に「おんしはいつもそうじゃ、敵わん」と告げる。

この辺りを踏まえて先程のセリフを考えると、そもそも武市や以蔵、そしてその周りの志士たちにとっても全ての始まりとなっていたのはいつも龍馬であったことも表しているように思える。

坂本龍馬の影響力の絶大さ、そして武市が彼のやり方に物凄い信頼を置いていたことがひしひしと伝わってくる表現だなと思った。

こういった然り気無い伏線が上手くて、何度観ても飽きない作品だったと思う。

 

ここからは少し細かいシーンの話になるが、

他に印象的だったのは、肥前と以蔵の対峙の場面、そして終盤の2人の共闘シーンである。

2回目の以蔵との戦闘の時に、以蔵が心境を吐露した後に、肥前がトドメをさそうとする所で、「斬りたいわけじゃねえんだよ、誰もわかってくれないだろうが」と以蔵のやるせなさを受け入れたうえで言葉をかける訳だけれど、これが以蔵にも言っているし、自分自身にも言い聞かせているというのがすごくわかるのが良いなと思った。

肥前は以蔵と向き合ったことによって自分の存在意義というか、自己の在り方を考え直して向き合い直すことが出来ているのではないかなと感じられて、この短い時間の中にも成長が見えるように思えるのが面白いなと思ったのだ。

(あのシーン、前にも書いたように涙がにじんでいることが殆どだったので、本当に胸が締め付けられるというか、いつも切なくなってしまったりした。)

そして、それを踏まえた上での二人の共闘シーンで、同じ戦い方をする二人が今度は敵としてではなくて仲間として背中を預けてるのがすごくグッと来るなと思った。私は共闘シーンで二人が刀を交わしてくるりと入れ替わるのがすごく好きなのだけれど、よく見ていると以蔵との戦闘でもそういう場面があって、同じことをしているのに意味合いが180度違っていて、対比的に描かれているのも面白く感じる点だった。

 

次に印象的だったのは、陸奥守が龍馬を討ったあと龍馬が「陸奥守、おんしの知ってる日の本は、ええ国か?」「言い切るか?」

と問いかける場面である。

話を通して、彼ら「志士」たちは日本の未来を良いものにしたいと考えて、戦っていた。それが例え主役サイドから見れば間違ったものであったとしても。

そんな志士の中のメインである龍馬がこの問いかけをするのは、すごく込み上げるものがあると思う。最期まで日本の未来を思いながら消えていくのである。

まさかこんな所で自分の生きる今の日本について考えさせられるとは思わなかった。彼らがそうして戦ってくれたから今の私たちが生きる未来があるのだな、と凄く感じた。

この場面、陸奥守が本当に良い笑顔で「ああ!」と答える様が眩しすぎて、逆にものすごく切なくて、いつも大体ここで泣いてしまっていたポイントだったりもした。

 

あと、印象的だったのは、鶴丸のアドリブのぶっ飛び具合である。笑

東京公演の時は街中で土佐勤王党に絡まれる時の色んなものに成りきっているのが面白くて中々好きだったのだけれど、凱旋の時は時間の関係か無くなっていてちょっと残念だった。

でも、代わりに残骸のシーンがエスカレートしていくので毎回毎回本当に笑わされたし、毎回楽しみだった。東京公演の終盤で肥前に絡み出して、鶴丸も南海も完全に良いおもちゃを見付けてしまったみたいになってて本当に笑ってしまった。頑張れ笑い上戸!と思うことしか出来なかった。笑 凱旋だと上手く切り返して頑張っていたけれども、肥前南海2人して撃沈している様は中々面白かった。笑

私は「コノジョウタイカラデモハイレルホケンハアリマスカ?」と「ウラデナンテヨバレテルカシッテッカ?」(是非教えてほしい)と「忙しいんでこれにて!!!」がとても好きだった。叶うなら余すことなく円盤に収録してほしいくらいである。

 

さて、物語の部分で印象的だった部分を書いてきたわけだけれども、

思ったよりも随分長くなってしまったので、それ以外の殺陣とか人物の細かい部分などについての感想は次の記事に持ち越そうと思う。

近いうちに書くので、またどうぞよろしくお願いします。

 

「プリパラ」と「しゅごキャラ!」の間に感じた〈自己肯定感のスタートライン〉の差異について

以前、「アイドルタイムプリパラ」の登場アイドルであるWITHが気になり、ライブに足を運んだ記事を書いた。

appleringo.hatenablog.com

記事にもある通り、私は卒論で女児向けアニメーションを題材にしていたのでプリパラのこともある程度は知っていたのだけれど、きちんと初めから通して作品を見たことはなかった。

WITHを好きになり(アルバム買ったよ!!)、折角だから時間ができたら通して視聴したいな、と思っていた所にたまたま「プリパラ」の再放送が始まったのだ。これは丁度いい、アイドルタイムプリパラを見る前にまず初めの作品を抑えよう!と見始めた。

そんなわけで今も「プリパラ」の再放送を毎週視聴している。

(1話ずつなら負担なく見続けられるし)

 

子供の頃変身ものやアイドルものの女児向け作品が好きだったので、毎週楽しく視聴しているのだけれど、

可愛いキャラクターやテンポの良さは勿論、名前やセリフの語感がキャッチーでズルいな~と思ったり(大庭氏のインタビューで、その辺りは森脇監督のアイディアが多いと聞いて、発想力というかセンスのレベルが高すぎる…と思ったりした)、ダンスシーンのCGのレベルが高くて驚いたり……色々な部分に注目できて面白い。

その中でも一番目を引いたのは、キャラクターの〈自己肯定感の高さ〉なのである。

 

「プリパラ」のキャッチコピーは「み~んなトモダチ!み~んなアイドル!」であり、1つのテーマになっているのが〈友情〉であることは、そらみスマイルの結成へ向かう中でのストーリーや、らぁらとなおの話、大神田校長の話などから明らかであろう。

そして、もう1つテーマになっているのが「み~んなアイドル!」というフレーズも表わしているように、〈なりたい自分になること〉なのだろうと読み取る事ができる。

私が目を引かれたのはこの〈なりたい自分になること〉というテーマの描写から感じられる〈自己肯定感の高さ〉なのである。

 

まずそもそも、その部分に目がいったのには理由がある。

プリパラを見ていて〈なりたい自分になること〉がテーマとしてあるのだなということを感じた時に、そういえば以前にも〈なりたい自分になること〉がテーマの女児向け作品があったな…ということを思い出したのである。

 

それが「しゅごキャラ!」という作品である。

私は小中学生の頃、この作品が好きで、漫画を読んだりアニメを見ていたりしていたのだ。プリパラを見ながら、そういえば似たテーマを扱っているな~とこの作品のことを思い出していたのである。そして、プリパラの描写にしゅごキャラ!の描写を重ねて考えたとき、ハッと気づいたことがあった。

2つの作品は、同じテーマ性を感じるけれど、決定的に違う部分があるのではないかということである。それが〈自己肯定感〉の表現の差なのである。

 

ここからは、現在プリパラを視聴途中の私が考え、感じたことを書いているので、もしかしたら認識違いをしている部分もあるかもしれないことをご理解いただければと思う。(もしなにか大きな間違いがあるようでしたらマシュマロか Twitter:post_siteimasuの方にそっと教えていただければ幸いです。)

 

しゅごキャラ!の主人公・日奈森あむは、「クールでかっこいい」と学校で人気であるが、本当は恥ずかしがり屋で素直になれない口下手な少女である。母にカッコいい系の服を着せられているが、本当は可愛い服を着てみたい気持ちもある。その独り歩きしたキャラと自分のギャップに悩んでいたことで生まれたのが、彼女の様々な〈なりたい自分〉の可能性を表すしゅごキャラである。このしゅごキャラの力によって、彼女は〈なりたい自分〉を反映したような「キャラ」になるのだが、序盤の彼女はその様を「キャラじゃない」「恥ずかしい」「無理」と否定するのである。

つまり、彼女は〈なりたい自分の存在〉自体を肯定することに葛藤しているのである。今の自分とは違う〈なりたい自分〉像を持つこと自体に拒否反応を示しているように見えるのだ。しゅごキャラ!の物語は、彼女が〈なりたい自分〉を肯定出来るように成長することを見守ることが1つのテーマとなっているように思える。

また、例えば強くなりたいが恥ずかしがり屋で自分ではそうなれない唯世や、お笑いが好きで、面白い人になりたいけれども「自分らしくない、恥ずかしい」という理由でそれを隠しているりまなどの登場人物もあむと同様であろう。

 

それに対して、プリパラの主人公・真中らぁらは、「声が大きいこと」をコンプレックスに思い歌うことに苦手意識を持ち、初めは「私にはアイドルなんて無理」と言っていたものの、1話の段階でステージに立つ楽しさを知り、自分の声を活かして「世界中に届くように歌を歌っても良いんだ」ということを悟る。そして、「素敵なアイドルになって、みんなを楽しませられるようになりたい」という〈なりたい自分〉に向かって努力していく様が描かれていくのである。

つまり、らぁらは〈なりたい自分の存在〉自体は初めから受け入れていると思えるのだ。そのため、プリパラではなりたい自分に近づいていくことの方にスポットを当てて描かれているように思えるのである。

勿論、例えばみれぃのように現実の自分となりたい自分のギャップに悩んでいるキャラクターも登場する。そふぃのようになりたい自分へ近づくことに大きな困難が立ちはだかる様も描かれる。しかし、彼女たちは〈なりたい自分〉像について悩むことはあれど、〈なりたい自分〉を持つこと自体を否定することはないと考えられるのである。ここから、プリパラにおいては高い〈自己肯定感〉が表現されていると考えられると思う。

 

〈なりたい自分〉を肯定することに初めは葛藤し、それを受け入れることができるようになる成長が描かれるあむと、〈なりたい自分〉の存在はすんなりと認めた上で、それに近づいていく様が描かれるらぁら。二人の間には〈自己肯定感のスタートライン〉に差がある。

 

安田洋祐は「女性アイドルの「ホモソーシャルな欲望」―『アイカツ!』『ラブライブ!』の女同士の絆」(『ユリイカ』第48巻 第12号、159~167頁。)にて、プリパラ「空間」が少女たちの「こうなりたい」という自分の可能性の肯定として作用すると同時に、プリパラのキャラクターたちは「あるがまま」の自分も肯定していることを指摘している。(例えば、らぁらがコンプレックスの大声をアイドルの強みに変えること、みれぃが「アイドル」も「委員長」も自分だと受け入れること、レオナが男であっても「男らしさ」「女らしさ」を求められることはないことなど。)「あるがまま」の肯定とは、自分の欠点を認めた上で、自分を認めるということである。こうした特徴にも、〈自己肯定感の高さ〉が表れているように見受けられる。

 

〈自己肯定感の高さ〉に関して、もう1つ比較したら面白いと感じたものがある。

それは、2つの作品の主題歌である。

 

しゅごキャラ!の第1オープニング曲である「ココロのたまご」にはこのような歌詞がある。

なりたいようになればいいじゃん しゅごキャラがついてるよ

やりたいようにやればいいじゃん 全然オッケーだし

なりたいようになればいいじゃん ひとつだけじゃつまんない

やりたいようにやればいいじゃん なんだってできるよ

Buono!「ココロのたまご」

 

そして、プリパラの第1オープニング曲である「Make it!」にはこのような歌詞がある。

オシャレなあの子マネするより

自分らしさが一番でしょ

I☆RisMake it!

 

「ココロのたまご」では、「なりたいようになればいいじゃん」と〈なりたい自分〉の肯定を促し、「なんだってできるよ」と諭すのである。

対する、「Make it!」では、〈自分らしさ〉〈なりたい自分〉を「オシャレなあの子マネするより」「自分らしさが一番」と断定するのである。

主題歌にも〈自己肯定感〉の表現の差があるように見えるのが面白い。

 

しゅごキャラ!の連載が始まったのが2006年。アニメの放映が始まったのは2007年。

プリパラの放映(及びゲームの稼働)が始まったのが2014年。

両者の間には8年の月日が流れている。こうした差異というのは、時代的なものもあるのだろうか。2006年よりも2014年のほうが確実に多様性が重視される時代になっているであろう。〈なりたい自分〉をすんなりと肯定し、多様性や〈自分らしさ〉の尊重を促すストーリーが目立つのも、そうした社会の流れを受けた変化なのかもしれない。(プリパラには個性的かつ破天荒なキャラクターも多く、多様性の尊重という側面においても意図的に表現されているように思える。)

 

以上が、私がプリパラを途中まで見て興味深く感じた点である。

もしかすると、この先見進めていったらまた違う発見があるかもしれない。

その時にはまたここに書き連ねたいと思う。

 

追記

この話を少女漫画好きな友達にしていたら、

「掲載誌の違いもあるのでは?」という指摘を頂いた。

具体的には「ちゃお」の漫画の主人公って割りと主体的で自己肯定感高めな子が多いけど、「なかよし」の漫画の主人公って流れに身を任せてしまったり自己肯定感低めだったりする子が多いよね、という話だった。

ちゃお/なかよし漫画の全ての主人公がそうであるわけではないし、「プリパラ」の漫画はちゃおに掲載されてるとはいえ、大元は漫画ではなくゲームなのでこの条件に一致しているとも一概には言えないが、時代的な背景だけでなく出版社のカラーというのも中々面白い着目点だと思ったので、追記しておく。

意外とどうにかなる

ご無沙汰してます。

1月の初めにようやく修士論文を提出して口頭試問も終わって、やっと落ち着いた……という感じ。

口頭試問で痛いところ突かれたりしたけど、これからも少しずつ同じ研究を続けていきたいから少しずつ見直してまた書いていきたいなーと思ってる。

あまり褒めない先生が新鮮で面白かったよと言ってくれたりしたので嬉しかった。

 

私が題材にしているのは主に男性芸能人の表象なので、見る対象の当事者、まー簡単に言ってしまえば(大枠で見て)対象のオタク自身が客観的に資料を分析してるというのが結構良かったみたいです。対象が現代的かつ身近な存在だから新鮮かつ取っつきやすいという。

まあだからこそ先行研究がほぼ皆無な訳なので色んな理論を引っ張ってこなきゃだし、雑誌を延々と見つめなくてはいけなかったので凄く大変だったけど。

取りあえず終わって良かった~~

書いてた時に考えた論文には組み込めなかった小ネタとかはまたここでも書きたいな。

 

まあそれはさておき、

実は修論の追い込みである11月~1月まで推しのロングラン公演がどん被りしていて。

日程を見たときは「え、これ行ける!?」と思ってたんだけど、チケットは取りあえず気合い入れて取っておかなきゃ数入れなくなっちゃう公演だったので取りあえず確保しつつ論文を進めた。

そして、初日の幕が開いて、私はシリーズのファンではないのだけど、お話がかなり面白くて、他キャストさんの演技も凄く良かったのでこれは出来る限り観たいなぁと思って、

数時間執筆して家を出たり、図書館と劇場をはしごしたりして通ってた。

いつの間にかチケットが増えてたりもした(?) (勝手には増えません)

 

間の地方は流石に今回は止めようと思って行かなかったんだけど、12月の後半のからの東京公演は追い込みながらそこそこ足繁く通うというかなり無謀なことをした。笑

論文は書いても書いても修正ポイント出てくるし、中々終わらなくてそこそこキツかったんだけど、この舞台の推し、本当にカッコ良くて、繊細で、何度観ても飽きなくてキツいけどどうしても観たい!という気持ちが強くて頑張ってしまった。

しかもほら、オタクって単純だから推しの頑張る姿を見て(挨拶を聞くにかなり疲れがたまっていたんじゃないかと思う)私も頑張って書き終えるぞ~と思えた。(単純すぎる)

 

結果、思ってたより沢山回数を観られたし、論文もギリギリだけど書いてきちんと提出出来て、褒められたのでどっちも頑張って良かったーというのが今の心境だ。

(実は提出した日、完徹のままチケットないけど思いきって劇場行ったらまさかの最前列が当たって夢心地で観劇したなんて話もある)

 

幸い千秋楽の地方公演は提出後だったので無事に行けた!良かった!!

 

まあ何が言いたいかといえば、意外と何とかなるということ(?)

私は、我慢し続けると我慢していることの方が気になりすぎて逆に何も手に着かなくなってしまうタイプなので、きっぱり諦めるよりもこういう二足のわらじ状態が向いてるっぽいというのもあるかもだけど。

 

忙しい社会人の方なんかも形は違えど同じような状況で通われてる方もいるんだろうな。本当にすごい。

私もこれから社会に出てもこの心意気で生きていきたいな、と思う。

 

*****

さて、いい加減舞台の感想とかも覚えている範囲で書いていきたいのだけど、推しに傾倒し過ぎずに感想を書くのも中々難しいな、と感じていて。

あとジャンルの傾向的にこれはちょっと触れづらい……と思うものもあったり(近年推しが多く出演しているシリーズにもあったり)

筆が止まってしまうことも多いのだけど、推しの前回のロングランの出演作は折角沢山観たわけだし、グッと来た部分も沢山あったので感想を書いていきたいなと思う。

あと推しがずっと出ているシリーズの作品も、折角シリーズ通して殆ど観ているの短くでも書いていきたい。(次回作以外もう円盤出てしまってるのだけど…許して下さい…)

てか別に推しが出てない作品のことも書けば良いんだね……。追々書きます。

 

あと別で最近アニメ見てて気づいたこととか、面白いなと思ったオタク現象とかでもまだ書きたいことがあるのでぽつぽつ書いていこうかと思います。

 

なんでこんな宣言みたいなことをしているかというと、宣言しておかないと書くの後回し後回しにしたまま忘れてしまいそうだからです(すみません)

文字書き自体は好きなので、スローペースかもだけど更新はしていく予定です。

 

そういえばボルステの次回作決まりましたね!!!!!

ボルステが好きすぎてボルステだけ物凄い長い感想ブログがあるのがこのブログの現状ですが、次回作も勿論観て勿論感想書くので!!!(既にチケットはある)

 

それではまた。

 

 

界隈によるチケット譲渡の「様式」の違いを感じた話

※チケット譲渡に関するお話を扱う記事なのでそういった譲渡文化自体に抵抗のある方はスルーして頂けると幸いです。

 

少し前に、大好きな漫画が舞台化した。

推しが出てるわけじゃないけど、演出が好きな方だったので予定が合えば絶対行こ~~と思っていた。

しかしながら先行が行われていた当時は本気で予定が読めない時期だったので、推し以外の予定を迂闊に入れるわけにもいかず、近くなってからチケット手配しよう…ということにした。

 

そうこうしているうちに期日が近づいて来たので、「取り敢えずツイッターで譲渡出してる人を探してみよ」と検索を掛けてみた。

案の定、数人譲り先を探している人がいた。

それはまあ、そういう人を探していたので何も問題はなかったのだが、別の所で少し違和感を覚えた。

ツイートの書き方と言うべきか、様式と言うべきか、といった点である。

 

全てがそうであった訳では勿論ないのだが、こんな書き方をしているツイートが多く見受けられたのだ。

 △△の譲り先を探しています

【日時】○/○

【金額】定価手数料

【座席】□列

【枚数】○枚

#△△譲 #△△ #☆☆(出演者の名前)

まず何に違和感を持ったかというと、テンプレートのように形式ばった書き方である。

勿論こうした書き方をする方もいらっしゃるとは思うが、私が見てきた舞台関係の譲渡は圧倒的にもっと簡素なものが多い。*1

例えば、こういったものである。

【譲渡】

△△ チケット

譲) ○/○ □列 ○連番

求)定価+手数料

このように「譲」「求」欄に必要事項をまとめて書き出しているものが多く、日時や枚数を1つ1つ【 】や《》でくくって書き出しているものは主流ではないように思える。

またツイートの冒頭も「譲り先を探しています」「交換してください」という文章で書かれたものよりも、【譲渡】【交換希望】といった箇条書きで簡素なものの方がよく見かけるように思う。

 

そして、もう1つ違和感を持ったのは例にも挙げたように、ハッシュタッグが盛んに使われていることであった。

私が今まで見てきた限りでは、舞台関係の譲渡でハッシュタグを付けているツイートはあまり見掛けたことがなかった。だから、おや?と思ったのである。ちなみにこれは同じ舞台の譲渡ツイートの中で上記のような形式ばった様式を取っていないツイートにもいくつか見られた傾向であった。

 

こういった点から、「何かいつもと違うな~」と感じながら眺めていた。

そうしてツイートを眺めながら、そういえば私、主演の子くらいしか出演者を把握してないぞ、ということに気付いた。

そもそも原作と演出家さんが好きで観に行こうと思っていたし、主演の子は前にも見たことがあって結構良さげな雰囲気だしオッケーと思っていたので、出演者のチェックを怠っていたのだ。

折角だからこの機会に調べておこう、と公式サイトをチェックしてこの人は知ってるなと思ったり、知らない子を調べたりしてみた。

 

そこであることに気づく。

出演者の中に元ジャニーズの、所謂「辞めジュ」(この呼称に関しては友人のジャニオタが度々使用していたので知っていた。)の子がいることに。

そこでピンと来て、ちょっと別のジャニーズの公演の譲渡を検索してみた。

 

ビンゴだった。

あの形式ばった譲渡募集の書き方、「様式」はジャニーズ界隈でよく用いられている書き方だったのである。私はジャニーズに詳しくないので存じ上げないのだが、恐らく何かが切っ掛けで(もしかするとツイッターでの譲渡が盛んになる前かもしれないと思っている)テンプレート的にこうした書き方の様式が用いられるようになったのであろう。

そしてもう1つ、譲渡募集にハッシュタグを用いるのは、ジャニーズに限らず主にアイドルの界隈でよく使われている手法だったのである。*2

 

なるほどなるほど、だから上記のような様式の譲渡募集が多く見られたのか。とても納得のいく答えを見つけられたように思う。

冒頭にも書いた通り、上記のような様式が多数ではあったものの全てがそういった書き方をしたツイートばかりではなく、見慣れた簡易な譲渡募集も勿論存在していたのは、舞台オタク及び俳優オタクと、元ジャニーズのオタクが混在した結果なのだということに気付くことが出来た。

と同時に、界隈によってこうした本当に些細な部分でも文化の「様式」の違いが現れてくるというのは非常に興味深いな、と改めて感じたりもした。

 

そういえば、界隈による譲渡の様式の違いという点でもう1つ思い出すことがある。

以前、推しが舞台で歌い手の方と共演した時に、歌い手側のファンの方とチケットの交換や譲渡のやり取りをすることがあった。

そこでやはり、「あ、こちらとは違う様式があるんだな」と感じたことがあった。

 

普段、舞台の界隈で譲渡のやり取りしている際は、2枚以上の連番のチケットは「○連番」といった書き方をするし、連番ではない1枚のチケットの場合は「単番」もしくはそのまま「1枚」と表現することが殆どである。

しかし、歌い手のファンの方々は2枚以上の連番のことを「○連」と呼ぶのはこちらと同様であるが、1枚、すなわち単番のチケットのことも「1連」という表現を用いていることに気付いたのである。

初めは少し戸惑ったが、なるほどそちらではそういう呼び方をするものなのね、と納得してしまえば、やはり面白い「様式」の差異の1つとして捉えることが出来た。

 

ジャニーズ型の譲渡の様式にせよ、「1連」という言い方にせよ、我々舞台界隈の譲渡の様式もそうであるが、きっと何か理由やバックボーンがあってその形式や呼び名が使われるようになったのだと思う。

インターネット時代の文化というのは中々発祥元がハッキリしないものも多いため、探しだすのは容易ではないかもしれないが、そうした部分に着目して些細な文化の違いを分析してみると、より大きな界隈自体やそこに属する人々の文化的な差異とか、反対に類似点が見えてくるのではないかという気がしてくる。

 

私にはあいにく、今の段階でそれを詳しく調べて分析している時間はないが、いつか触れてみたい部分ではあると思っている。

その時にはまたお付き合い頂けると嬉しい。

*1:これは見たところ、若手俳優舞台界隈、2.5次元舞台界隈に限ったことではなく、宝塚や劇団舞台なんかでもどちらかといえばこうした簡素な書き方のツイートが多く見られた。(譲)(求)という枠組みも使用していない例も見られた。

*2:どうやら、舞台に限らず、コンサートやライブ、舞台挨拶などのアイドル系の界隈全般でよく用いられているらしい。

今更鞄の中身の話をしたくなる

結構前におたくの鞄の中身の話が話題になっていたのをふと思い出し、当時説明するの楽しそうだし書いてみたいなーと思いつつ忙しくて書けなかったので、今更だけど書いてみようと思う。

身バレ防止で写真はないです。

 

①カバン

詳細を書くとすぐバレそうなので書けない。笑 ばんぎゃるは所持者多数だったけど舞台のおたくは持ってる人少ないなーというブランドのもの。たまにしか遭遇しない。みんな代わりにフルールのトートなんだろうなぁという印象。やはりそもそもの服装が違うというのもあるのだろうか。

 

②財布

今はなきブランドの可愛いやつ。折り畳み財布なんだけれども、実は今まで長財布というものを使ったことがない…。大きい財布が苦手です。

 

③化粧ポーチ

推しのイベントのグッズ。汚れてきたので次のイベントがある時は是非新しいの出してほしいな。中身はあんまり拘りはないけどジルとかラデュレとかが多いかな。あ、でも今のリップはYSL(母が似合わなかったとくれたやつ)。

 

ティッシュポーチ

目薬とか酔い止めとかお守りを入れています。ティッシュは毎年永遠に無くならない某景品を使い続けているけど、花粉の季節はちゃんといいティッシュに変えてる…。鼻が痛いので…。

 

⑤手帳

でっかいキキララの。なぜでっかいかと言うと、私の欲しかったサイズはA6だったんだけれど、分からなくなってしまい両親に聞いたらA5じゃない?と言われて成る程と信じて買ったら違った。笑 騙された…。笑 昔撮ったプリとか良席だったチケットとか推しのサイン入りのものとか入れてる。

 

⑥ペン

シナモンの入れ換え式のペンなんだけれども、私は筆圧が強いのですぐにバッキバキ…。笑 使いやすいので同じシリーズの新しいやつが欲しいんだけど、今ディズニーしか売ってなくて仕方がなく使い続けている…笑

 

⑦チケットケースとファイルケース

どっちもキキララ。チケットケースは落としたら怖いのでその日のチケットしか入ってない。

ファイルケースは話題になったいちご新聞のやつ。その時の舞台のグッズとかを交換用に入れてたりレタセを入れてたりする。あの良くある固いクリアケースを持ち歩く習慣がないのでこれは非常に便利。

 

⑧オペラグラス

お父さんのお下がり。古いけど珍しい軽量小型で結構いいやつなので良く見える。

ただピント合わせるのが結構難しいかな。

 

⑨充電器

遠征先で充電難民になったことが複数回あったので最近容量が大きいのを買った。好きな作家さんのグッズのポーチに入れてる。

 

⑩本

院生なので隙あらば本を読もうとしたくなるので入れてるけど、研究書ってまあ大抵ハードカバーなので超重い。そして会う人にびびられる。でも入れてる。

 

⑪定期入れ

昔行っていたバンドのグッズ。なんと6年も使っているのでそろそろ変えたい。布じゃない変わった形状で全然壊れない。多分今まで買ったグッズの中で一番丈夫なのではないか。ちなみに買った日のライブが野外なのにとんでもねえ雨だったので、見る度にその時の風景を思い出す。

 

ウォークマン

高校生の頃に買ったけど未だに現役の凄いやつ。長い間ありがとう…。

 

スマホ

Androidしか使ったことがない。カバーはキキララ。推しのチェキを入れている。ブロマイドよりもチェキに心が踊るのはばんぎゃるの血が騒ぐからだと思う。

スマホ変えたら容量が2倍になってとても嬉しい。でも使用料は3分の2になったのでめちゃくちゃハッピー。

 

あとは日傘や飲み物とか現場によってブロマイドホルダーやペンライトを持っていったりするかな。

 

いつも鞄詰めすぎじゃない!?と言われることが多いけれども、こうして見ていくと明らかに元凶がハードカバーの本な気がしてくる。

読みたいから仕方がない。

 

初めて「WITH」を見た話

6月末某日

電車の遅延で30分繰り下げになってしまった試験を終えて私がダッシュで向かったのは、舞浜アンフィシアターだった。

5~6月に推しを観に来たこの場所に、まさかこんなに早くまた来ることになるとは思っていなかった。

折角だし!と選んだ真っ赤な鞄を携えて、開演5分前に席に滑り込んだ。意外と男性が多いな、と思った。と同時に、まあそれもそうか、とも思った。

キンブレのチェックをしていると公演はすぐに始まり、画面に映し出されたのは「WITH」そして「#IIZE TOUR 2019」のロゴだった。

 

*****

6月初めに推しの舞台が終わり、大好きな作品の観劇も終えてしまった後のことだ。

当時私は就活をしており、楽しみがないとマジでやってられん…と思っていたのだが、困ったことに、たまたま推しの現場が当分無い時期に入ってしまっていたのだ。

特に観たい舞台もないし、さてどうしたものかとツイッターを眺めていた時だった。

 

目に飛び込んできたのは「もうすぐ#IIZEツアー!」という小林竜之さんのツイートだった。

 

私は長いこと喜多修平さんという歌手の方のファンなのだが、小林さんは喜多さんと同じ大会出身の後輩というよしみで、歌も好きでCDを買って聞いたりしていた。

数年前には喜多さんと同じイベントに出ていてデュエットしてるのを聞いたり、握手の時肌がつるつるすぎて感動したりしたこともあった。

だがしかし非常に申し訳ない話だが、最近はあまり活動を追えておらず、キンプリを見てるときに出てる!!となっている位だった。

でも度々TLに現れる小林さんを見ながら久しぶりに動いてるたっちゃん(小林さんのあだ名です)見たいなぁと少し前からふんわり考えていた。

 

そんな時に目に飛び込んできたのがこのツイートである。ただ、最近の活動を追えてない私には一体何のことやらわからなかった。

でも無性に気になってしまい調べてみると、小林さんがプリパラで声を当てているキャラクターのいるグループが単独ライブを開催することになり、そのタイトルが#IIZE TOUR 2019であることを知った。

そういえばプリパラ出てるって言ってたなと思いながらもう一発、グループ名の「WITH」を調べてみる。

流石女児向け、中々可愛らしいデザインのキャラクターである。おっ試聴がある聞いてみよ、とボタンを押してみた。

 

女児……向け……!?

流れてきたのはカッコ良くてちょっとセクシーなダンスナンバーだった。イメージと随分違ったので驚いてしまった。

と同時に、凄く好みの感じだなと思った。

そしてまた同時に気づいてしまったのだ。

「#IIZEツアーとやらに行けば、これらの歌を生で聞けるのでは?」

 

私は元ギャなのでライブ大好き、気に入った歌は生歌唱で聞いてみたくなってしまう質である。

たっちゃんも久しぶりに生で見たいな、と思っていたので丁度良くない!?と気付いてしまった。

 

しかしながら、私はアイドルタイムプリパラを履修していないし、前に述べた通り元ギャの舞台オタクなので、声優ライブ的な所には殆ど行ったことがない。楽しめるのか不安だった。

(ピタドルのライブやイベントには何度も足を運んでいるけど、あそこは殆どが元俳優か掛け持ちばかりでやや特殊なので…)

でも折角現場のないこの時期に久しぶりにたっちゃんの歌が聞けるなら…行くしかなくない!?という気持ちになってきた。

よし、行こう。

 

しかしここで困ったことに気付く。

良く見たら採用試験の日だった。

時間は夕方まで。間に合わないかぁ…と一旦諦めてしまいそうになった。土日のイベントごとは開演が早いと思い込んでいた故だ。

 

もう一度時間を確認してみる。

夜の部の開演は19時だ。試験が終わるのは17時過ぎ。試験会場からアンフィシアターは1時間。

 

間に合うんじゃない!?

そう分かってからは早かった。

すぐチケットを確保した。発券番号で譲ってもらったら良席でちょっとびびった。

幸いにも卒論を女児向けアニメの女性像で書いたのでプリパラに関しては多少知識があり、WITHの予習を始めた。

小林さんが演じているのはアサヒ。なるほどマジヤッベーチョースッゲーが口癖なのか…可愛い。

センターは山下さん演じるショウゴ。あざと可愛いツンデレキャラ。ツンだけど優しい主役のゆいちゃんのお兄ちゃん。

リーダーは土田さん演じるコヨイ。エエ声。だけど味噌汁…?

バランスが良い3人だなと思った。試聴も聞いてライブに備えた。

 

前置きが長くなってしまい恐縮だが、

そんなこんなで当日になった。

試験の席について待っていると試験官が現れたのでおっそろそろ準備か、と思っていると

「電車が遅延しているので試験時間を30分繰り下げます」と告げられた。

30分…?えっギリギリでは!?

動揺しすぎて友達にライブギリギリなんだが!?とめちゃくちゃ連絡してしまったりした。でもまあ仕方がないので取り敢えず試験に集中し、終わった瞬間に会場を飛び出した。

途中で光の速さで着替えて舞浜に到着すると、時刻は18:45。

 

その後は、冒頭の通りである。

メンバーが登場して、始まりは「好きにしてI-I-ZE」だった。

あ!前回のイベントの試聴動画で好きだと思った曲だ!!と思うと同時に、驚いてしまった。

みんなめちゃくちゃ踊るじゃん!?!?

前に述べた通り、私は声優ライブというのがほとんど初めての身だった。今時の声優さんって、こんなに踊れるの…?しかも勿論歌が上手い。みんなレベルが高い。たっちゃんのキュートだけどカッコいい歌が久しぶりに聞けている状況も嬉しい。歌って踊れるって…アイドルじゃん!?そうなんだけどそうじゃない!!(混乱)

生の「好きにしていいぜ…」はセクシー過ぎてトンでもなかった。黒いキラッキラの衣装も、クールなダンスにぴったりで、カッコいい。

周りのファンの方達に合わせて、私も思わず何度もいいぜ!コールをしてしまった。

 

その後の「DANCE PRINCE」もダンスがバキバキだし、「Make it!」は見よう見まねでコールをしたら、とても楽しかった。

 

その後は朗読コーナー。「海の家編」ということで海の近くワイワイしたりピンチになりそうだったりしんみりしたり、中々感情が忙しく楽しいSSだった。幼いアサヒとコヨイ可愛かった…海がしょっぱいのは味噌汁工場という理論は中々衝撃的だった…。ショウゴのツッコミは鮮やかだな…。

「リフレインザシンフォニー」でバラードが聞けたのも嬉しかった。

 

今までの曲中のクール&セクシーな姿とはうってかわって、バラエティーコーナーでわちゃわちゃしてるのはとても可愛い。

土田さんが凄いボケて山下さんがツッコんで、たっちゃんが笑ってるのがやっぱりとてもバランスが良いな、と思った。

 

そのあとやや強引に目玉焼きを食べに(笑)たっちゃんが退場したのちのソロコーナー。

アサヒソロ「MYCS」

白衣装だーー!!キラキラしてて可愛い!曲のイメージにもぴったり。見たかったのでここで着てくれて嬉しい!

MYCSポーズ本当に楽しかったし、とにかく俺といればハッピーじゃん?っていう曲で聞いててすごく元気になる。たっちゃんの笑顔が眩しくて、こちらも思わず笑顔になった。

 

ショウゴソロ「エスコート・パレット・ショウタイム!」

アサヒがショウゴーー!とぴょんぴょんしてるから何かと思ったらトロッコ

………舞浜アンフィシアターって、トロッコ走るんだ…………初めて知った……(ヅカオタの友達がヅカのコンサートでも走ったよ!と教えてくれた。そうなのか…)

如何にも王道!!といった感じでキラッキラしてて眩しかった。

 

コヨイソロ「SHOW ME SO SWEET RULE」

一番「エッッ女児向けとは一体!?」となったソロだった。

土田さんの長い脚を使ったダンスがあまりにもセクシー過ぎてナンダッテーー!?ってなった。ウィスパーの歌声も色気があってとても素敵だった。

でも味噌汁。後ろの画面に映し出されたのは大きな味噌汁の文字。歌にまで……笑

三者三様、本当に見ごたえのあるソロコーナーだった。

 

そのあとダンスタイムが入り、なんと新衣装での新曲「スーパー・ダーリン」。

試聴したけど、それを遥かに越えてくるクールなフリと熱い歌声でめちゃくちゃカッコ良くてたちまち好きな曲になった!!「JUST NOW!」も楽しくてとってもハッピー!

 

MCで山下さんが「新衣装どうですかー?」と聞いてくるから思わず「カッコいいーーー!!!」と叫んでしまった。ちゃんとメンバーみんなが大きいステージをぐるっと回って衣装を見せに来てくれるのが優しい。

 

そのあとも盛り上がる曲ばっかりですっごく楽しかった。カラフルなペンライト、見ていてとてもワクワクした。

最後のMCでは山下さんがプリパラに出会えて本当に良かった、と涙を浮かべながら話していて、素敵な作品、そして素敵なメンバーなんだなぁと思った。

デビュー曲を最後に持ってくる演出に弱いので、最後の「Giraギャラティック・タイトロープ」でグッと来たりした。

本当にめちゃくちゃ踊れるしカッコいいというのを目に焼き付けた。

 

そんなこんなで、エンドロールが流れて公演は終了し、温かい気持ちのまま帰路についた。本当に間に合うか心配だったけど、来て良かった~~と思いながら。WITHのことを大好きになりながら。

 

それから、取り敢えず曲をちゃんと聞きたい!前のイベントの映像を見たい!と思いながらDVDの話を友達にしていたら、丁度私の誕生日だったので、友達がうちに直送してくれた。本当にありがとう。

それから何かテンション上がんないなーって時にはいつも見ている。

もっと良くキャラクターのことを調べたりもした。アイドルタイムプリパラはちょっと忙しい時期続きで見られていないんだけど、時間が空いたら是非履修したいと思ってる。

 

たっちゃん、実に4年ぶりに見たんだけど相変わらず歌声は可愛いだけじゃなくて色気もあってカッコ良くて聞き入ってしまった。

そして相変わらず笑顔がキュートで眩しかった。ちょっと離れてたけど相変わらず肌もつるつるだったと思う。ダンスしてるのは初めて見たけどカッコ良かったよー!

 

土田さんは、「あ、司の人だ」という位しか知らなかったのだけど、クールな人だと思っていたから、大分イメージが変わった!秘めたポテンシャルがすごい!(?) いやぁ手足が長いのでダンスが映える映える!司の歌を聞いたときはあまり感じたことなかったけど、歌声めちゃくちゃ色気あるよね…。

 

山下さんは、ザ・王子様のキラッキラさを放つ歌声の持ち主で、さすがセンターという感じだなぁと思った。ツッコミが出来る人!でもちょっとおっちょこちょいなのがとても可愛い。そして、凄く素直な人なんだなぁと思った。そこがすごく素敵だと思った。

 

私は元々熱しにくい&アイドルコンテンツにそんなに興味を持ってきたタイプのオタクではないので、普通に生活してたらWITHに出会うことはなかったと思う。

だからWITHに出会わせてくれたたっちゃんにはマジ感謝だし、新しく人生をハッピーにしてくれる存在に出会えてチョー嬉しいです。

 

余談だけど、この日光の速さで会場を後にした試験は何故か受かっており、面接もびっくりするほどスムーズに進み、来年からこちらに就職することになった。

ありがとうWITH……。

 

というわけで、何となく思い立って書き残しておきたくなったので、随分前の話になってしまいましたが、書いてみました。

長々と読んでくださり、ありがとうございます。

 

アルバム楽しみだなあ!!!!!!!

 

 

クリアファイルを仕舞うファイルという奇なるもの

ご無沙汰してます。

春から色々忙しくて全然更新出来なかったんですが、やっと一段落しました。まあこれから修論に追われるんだけど…。

その間に推しの座長公演が2つあったりなんかして、忙しながら8割通ったり全通したり、推しのカッコいいダンスを見られたり最前でとんでもないもの見たり笑、まあエンジョイしてました。この前大きなイベントが終わって今もイベントの期間。

その辺の舞台の感想もそのうち書きたいけど、一先ず腕慣らしに、最近気になってることを書きたいと思う。

 

***

数年前からオタク向け収納グッズが物凄く充実してきてるなぁと感じる。

ブロマイドホルダーとかトレカ用ファイルなんかは昔からあったけど、最近だとコースター用のファイルとかミニ色紙用のファイル、シール用のファイル、缶バッジ用のホルダーなんかもあって、凄く細かく用途に合わせてラインナップされてる。

しかも、前はメイトとかの専門店でしか取り扱いのなかったものが、今や街の100均なんかでも廉価で用途別に売られているのを見掛ける。

オタク相手の商売、儲かるって気付かれちゃったな。

私も何かのカフェでもらったコースターとかどう収納しようと常々思っていたので、ありがたく使わせて頂いている。

 

そんな豊富なラインナップの中で、凄く気になるものがある。

「クリアファイル収納用ホルダー」

である。

これは、A4とかA5とかのクリアファイルをぴったり収納出来ますよ、というファイルである。

通常市販されているA4とかA5サイズ用ホルダーは同じサイズのクリアファイルを入れるにはちょっと小さいので、確かに画期的な商品だと思う。

だけれど考えてしまうことがある。

 

クリアファイルってそもそも物を仕舞うための製品じゃないか…。

 

それを、また別のファイルに仕舞う…。

まるでマトリョーシカのように、ファイルを開けるとファイルが出てくるのだ。

 

その事実に気付いてしまうと、なんだかとても奇妙で面白い商品に見えてきてしまう。

確かにコースターだってコップの下に敷くものだし、ステッカーは貼るものだし、物自体の用途を果たしていない時点で似たようなものかもしれない。

でも 、「仕舞う」用途のものを「仕舞う」奇妙さに比べたら大したことない気がしてしまう。

 

しかしながら、推しのイラストが描かれたものを傷つけたり、汚したくない。綺麗に手元に残しておきたい。

そんな気持ちもよく分かってしまう。

 

 

 

結局私もオタクなのである。